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第一部
第07話
しおりを挟むエデルはその日から毎日、午後の休憩の時間に鉢植えに水をやりにやってきた。エルーシアは鉢植えの花の花言葉を知って身構えてしまったがエデルは至って普通だ。水をやり自分の仕事の様子や世間話をして去っていく。恋人のような口説き文句もない。
言葉使いは丁寧。ドロシー情報ではエデルは誰にもそうらしい。ドレスを纏い格子窓の中にいるエルーシアがこの家の令嬢と知っているはずだろうに気さくに話しかけてくる。気がついていない振りをしてくれてるのだろうか。そう思えばその気遣いが嬉しい。部屋に引き篭もり孤独だったエルーシアの心が和む。
しばらくすれば力んでいたエルーシアの緊張は解け、エデルがやってくる時間を心待ちにするようになった。
エデルはエルーシアの知らない話をたくさんした。エルーシアの知らない世界。それが興味深く楽しい。エデルは馬を扱う仕事らしい。どうやら警備ではないようだ。ではどうやって警備に見つからずにここに?
「廃屋を抜けてくれば警備に見つからないんですよ」
家令オスカーの命で立ち入り禁止になっている旧母家だ。どうもそこを通り抜けているらしい。警備に穴がある。だがそれを義兄に言えばエデルがここに来られなくなる。エルーシアはそれは聞かなかったことにした。
いつかエデルの馬で遠乗りに連れて行ってもらう約束もした。きっと叶わない、そうわかっていても未来の約束は嬉しい。それはずっと側にいてくれるという約束だ。
エデルは休みの日でも同じ時間にエルーシアの許に訪れた。
友人のような兄妹のような関係。それが変わりだしたのは知り合って三週間ほどだった。季節は巡り夏になっていた。
「初咲きのひまわりだそうです。エルシャ様に」
笑顔のエデルが鉄格子越しに小さなひまわりを一輪差し出した。夏の太陽のようなひまわり、部屋の中にいる自分に夏を教えてくれようとするエデルの心遣いが嬉しい。
「素敵、もうひまわりが咲いたのね」
それを手に取ろうと伸ばした指が触れ合いエルーシアは驚いて手を引っ込めてしまった。
エルーシアは異性に免疫がない。唯一知る若い異性は義兄、後は歳のいった家人ばかりだ。初めてエデルに触れて過剰反応したのは仕方がない。
同じく指を引いたエデルは目を瞬いていたが気を悪くした様子もなく、それから毎日ひまわりを一輪手に持って現れるようになった。鉄格子越しに毎日少しずつ指が触れ合う。エルーシアが慣れるのを辛抱強く待っているようだ。
少しずつ、距離を詰めるように指が触れあい絡まる。だが近づこうとする二人を鉄格子が阻む。隙間から差し出せる手ではエデルの頬に触れるのが精一杯だ。距離はこれほどに近いのに手が届かない。
「また明日来ます」
別れ際に紳士のようにエルーシアの指に口づけを落としエデルは帰っていく。それがとても切ない。触れられた指が熱い。
もっとエデルに触れたい。ここから出たい。鉄格子越しじゃないエデルを見たい。
部屋を飾るひまわりにエルーシアは嘆息を漏らした。
「部屋がひまわりだらけですね。知ってますか?ひまわりの花言葉はひとめぼ」
「もう!それはいいわ!」
ドロシーにからかわれて頬が熱くなるがひまわりの花が毎日増えるのはとても嬉しかった。
「今晩は夜会に行ってくるよ」
「夜会ですか?」
「貴族の付き合いだ。面倒だが仕方がない」
義兄ラルドに手を取られエルーシアはホールでワルツの練習をしている。ゆっくりとリードされると自分のダンスが上手くなったように感じてしまうが実際はラルドのリードが素晴らしいとわかる。
義兄も十八、当主なら妻を迎える歳だ。そういった女性とは夜会で出会うものだと聞いた。優しい義兄が自分だけのものじゃなくなる。それは少し、いやだいぶ寂しい。義兄が結婚すればこうして会うこともなくなるだろう。エルーシアが目を伏せひっそりと息を吐いた。優しい義兄はいつもエルーシアの心を読んで気遣ってくれる。
「妻はいらない。お前を一人にはしないよ。今はそれどころじゃない」
「お仕事がですか?」
「‥‥そうだな。だがその気もない。お前がいればそれでいい」
背を支えられ手を繋ぎターンを踏む。義兄の足を踏まないようエルーシアも必死だ。会話をしているがその意味をきちんと理解する余裕もない。なかなかにきつい運動だ。エルーシアの呼吸が上がったところでラルドが笑顔でエルーシアを抱きしめだ。
「上手になったね。基本ステップはできてるよ。今度は全部繋げてみようか」
「が‥がんばります‥」
「大丈夫。シアならすぐにマスターできそうだ。上手に踊れるようになったらご褒美をあげよう。何か欲しいものはないか?」
「もう十分頂いてます」
子供のように頭を撫でられると照れ臭いが誉められれば嬉しい。褒めて可愛り抱きしめる。ラルドの甘やかしは相変わらずだった。ダンスの最後は紳士のようにエルーシアの手に口づける。義兄は子供の頃からずっとダンスの最後には手にキスを落とした。
「昔はたくさん足を踏んでごめんなさい」
「そうだったかな?私は楽しかったがな」
昔と変わらない笑顔が嬉しくてエルーシアも笑みをこぼした。義兄に送られて自室に戻りドロシーの入れたお茶を飲んでいたエルーシアは義兄の言葉を思い出した。
「お義兄さまが夜会に行く‥」
それは夜中はラルドは不在ということだ。エルーシアの鼓動がダンスの時以上に跳ねる。
隠し扉がないか、小説好きのドロシーと冗談で部屋を探したら本当にあった。これでこっそり外に出られる。この通路はエルーシアとドロシーしか知らない。
そこを通れば夜エデルと会えるのではないだろうか?だがなんと言って伝えよう?そんなことを男性に言ったことはない。誘ってると思われる?はしたないと思われないだろうか。そもそもエデルにそんなつもりがなかったら?ものすごく恥ずかしいことになってしまう。
散々思い悩んだ挙句、世間話のようにさりげなくエデルに話してみた。
「今晩義兄が夜会で不在です」
義兄がいない。ただそれだけのことなのに言ってからものすごく恥ずかしくなり俯いてしまった。まるで不道徳なことをしているようだ。顔は見えないがエデルの息を呑む音が聞こえた。
呆れられた?それとも?これはどちらだろう?判断がつかない中での沈黙がいたたまれず口が勝手に開いてしまった。
「隠し扉があります。そこから外に出られます」
言ってしまった。これでは本当に誘っているようだ。羞恥と緊張で頭の中で血がどくどく鳴って周りの音が聞こえない。頬も熱い。俯いてもじもじしていればエデルの静かな声が耳に入りさらに心臓が跳ねる。顔を上げればエデルに見つめられていた。
「夜‥‥ここにお迎えに参ります」
差し出した指がエデルの指で絡められる。エデルが熱い視線を向けてくる。その視線で体が蕩けそうだ。エルーシアの喉がこくんと鳴る。エルーシアから酷く掠れた声が出た。
「‥‥‥‥はい、待っています」
早めに就寝につきたいと侍女たちを下がらせ、皆が寝静まった頃に焦れる思いでベッドから抜け出した。夜着にショールを羽織り窓から外の様子を窺う。エデルはまだ着いていないようだ。待たせなかったとほっとする反面、エデルの姿が見えないことで急に心配になってきた。
エデルは来てくれるかしら?ああ言っていたけど気が変わって来ないかもしれない。それともはしたないと呆れられた?淑女にあるまじき行為。あんな誘うような言葉じゃなくもっと‥‥
不安で視線を泳がせた先に暗闇を駆け抜ける人影が見えた。今夜は満月であたりは昼間のように白く明るかった。月明かりの中、褐色の髪ですぐにエデルだとわかる。来てくれた。喜びで笑顔と共に鼓動も弾ける。
息を弾ませて駆けてきたエデルと鉄格子越しに見つめ合う。
「エデル」
「出られますか?」
その囁きに無言で頷き隠し扉を抜けて薄暗い通路を走った。鼓動が全速力で走った時の様に跳ねて息苦しい。逸る思いで扉を開ける手が震えた。
外に出られたら、出たら最初に———
「エデル!」
まっしぐらに目の前に広げられる腕に飛び込んだ。柔らかく、でもきつく抱きしめる逞しい腕に熱いため息が出た。エデルが危なげなく裸足のエルーシアを抱き上げた。
「エルシャ様‥‥」
「エデル‥嬉しい‥やっと‥‥」
鉄格子越しじゃないエデル。夢にまで見た抱擁。縋り付く逞しい肉体は夢じゃない。エデルの腕が、香りがエルーシアを包んだ。そして自分が持て余していた感情の正体を知る。
ああ、私はこの人が大好きだ
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