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第二部
第10話
しおりを挟む「水もやれません。私はここから出られませんので‥‥」
「世話なら僕が。仕事の合間にですがその程度なら簡単です」
「でも‥‥」
「僕がここに鉢植えを置いて勝手に水をやります。どうぞお気遣いなく」
目元を染めたエルーシアが恥ずかしげに目を伏せこくんと頷いた。その可憐な様子にエデルは再び息を呑んだ。勝手に喉がこくんと鳴る。
「ありがとう‥‥貴方のお名前を‥伺えますか?」
「エデルです。馬丁をしています」
「私はエルー‥‥エルシャとお呼びください」
本名を知られたくないのか。でも愛称の方が似合っている。エデルが目を細めそっと囁いた。
「はい、エルシャ様」
エデルは急いで庭に戻る。そして庭師のサムに頼み植木鉢をいくつか譲ってもらった。
必死な様子のエデルに歳のいった庭師は何か誤解したようだ。女の子にあげるならこの花がいいと満面の笑みで勧められた。赤やピンクなどできるだけ可愛らしい色味の花を選んだ。愛らしい花を見て喜んでくれればいい。
鉢植えを持って取って返したが、窓際にエルーシアの姿はなかった。少し残念に思いながらも鉢植えを窓の下に置く。早速蝶が飛んできた。
これで少しでも笑ってくれればいい
勧められて選んだ鉢植えであったが、後にその花の名がゴデチアでその花言葉をサムから教えられ、エデルは羞恥で目元を覆った。
そうしてエデルとエルーシアの秘密の逢瀬が始まった。最初は花に水をやるという口実。エデルの休憩の時間も決まっている。その時間に合わせるようにエルシャも窓際に現れた。花に水をやりながら鉄格子越しに他愛のない話をする。
「エデルは馬に乗れるのですか?」
「乗れます、馬丁ですから。馬車よりも疾走感があります」
「すごいわ。私は馬に乗れないから。エデルの馬に乗って遠乗りに行ってみたいです」
「そうですね、いつか是非」
そう応えながらエデルは遠い目をする。
だがそれはラルドが許さないだろう
エデルはオスカーからエルーシアの状況を聞き出した。別邸から戻った直後、エルーシアが強盗に襲われかけた。幸い大事にはならなかったが、ラルドがその日からエルーシアを外に出さなくなった。事件から半年、心配というのもわかるがこれはやりすぎだ。いっそ悪意がある。
この鉄格子は守るためか?
いや、閉じ込めるためだろう。
エデルは鉄格子の隙間からエルーシアに指を差し伸べる。エルーシアが目を閉じてその指に頬を寄せた。
初めて触れあった時は事故のようなもの。小さなひまわりを差し出した指と指が掠めた。火傷したようにお互いの指が離れた。
酷いことはしないのに‥
どうか僕を怖がらないでくれ
もっと触れたくて、自分に慣れて欲しくて毎日ひまわりを差し出した。おずおずと伸ばされたエルーシアの指がエデルのそれに触れる。そこから少しずつ距離が縮まり今はお互いの指が絡まる程に近づく。
だが鉄格子越しでは手で触れ合うだけ。かろうじて顔に触れられても体に触れることができない。息の音さえ聞こえそうなほどに近くにいるのに手が届かない。目の前に見える女性は檻の中だ。
血の繋がらない愛らしい義妹。それは大人たちが勝手に自分達にはめた枷。いや、もう兄妹でさえない。ここにいるのはただの男と女だ。その考えにさらにエデルの胸がときめいた。
焦がれるような切ない想い。エデルは今まで女性にこのように思うことはなかった。その経験でこれが恋だとわかる。一目惚れ。おそらく初めてエルーシアを見た時にはもう恋に落ちていたのだろう。
逢うほどに胸が締め付けられる。惹きつけられる。触れ合いたい。距離はこれほどに近いのに鉄格子越しがもどかしい。
君を閉じ込める檻———
君をここから出すことはできないのか?
毎日少しづつ距離が縮まる。しかし鉄格子がそれを阻む。それがラルドの意志のように。
だがある日、二人は一歩踏み出した。
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