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第二部
第11話
しおりを挟む「今晩義兄が夜会で不在です」
視線を伏せるエルーシアの言葉にエデルの鼓動が跳ねた。エデルはいつものように休憩時間にエルーシアの許に訪れていた。花は散り蝶もいなくなった。鉢植えもなくもう水やりという口実もない。
夜会でラルドが不在。当主がいない。家人は遅番を除き早々に寝静まる。秘密の逢瀬には都合がいい。エルーシアは事実を述べただけ。だがこれは密会の誘いなのだろうか。そう考えればエルーシアの大胆さに息を呑んでしまった。
だがエルシャは外に出られない。やはりそういう意味ではないんじゃないか?
判断がつかず言葉に詰まり沈黙が続く。それを打ち消すようにエルーシアが囁いた。その言葉にエデルは耳を疑った。
「隠し扉があります。そこから外に出られます」
「隠し扉?どこに?」
「暖炉の横に。少し前に見つけました。おそらく義兄は知りません」
隠し扉?ラルドも知らない?そんなものがなぜ?だがエルーシアが外に出られる。外に———
その言葉だけでエデルの血が滾る。エルーシアから誘われた。その意味を悟ればさらに体温が上がった。脳が沸騰してしまいそうだ。なんとか言葉を絞り出す。
「夜‥‥ここにお迎えに参ります」
「‥‥‥‥はい、待っています」
掠れた声と共に鉄格子越しに差し出されたエルーシアの指にエデルは口づけを落とした。
夜の逢瀬、あのエルシャの部屋はダメだ。かといって自分の部屋も論外。人目を憚れる場所。そうなるとあそこしかない。隠れ家として使っている場所。少し汚れているが夜ならば気にならないだろう。
そこまで思考を走らせエデルは動いた。仕事の合間に隠れ家に柔らかい藁とブランケットを持ち込んで二人が腰掛けられる空間を確保した。
逸る思いで仕事をやり過ごし夜になるのを待つ。皆が寝静まったのを確認しひっそりと外に出た。満月で外は白く明るい。警備の隙をついて廃屋を抜けエルーシアの部屋に近づく。身を潜め、でも息が上がるほどに全力疾走で建物の闇を駆け抜ける。いつもの逢瀬の窓にエルーシアの白い顔が見えた。
焦がれすぎてエデルの手が震えている。呼吸を整え辺りの様子を窺う。そしてそっと窓に駆け寄った。エルーシアの笑顔が弾けた。
「エデル」
「出られますか?」
窓際で待っていたエルーシアがこくんと頷き暖炉の脇に駆け寄る。壁を押し込めば扉が開いた。隠し扉。有事の際の避難通路だろうか。格子窓から中の様子を伺っていれば白い夜着にショールを羽織るその体がその闇の中に消えて壁が元に戻った。どきりとしたがしばらくした後、少し離れた場所で小さく軋む扉の音がした。音を頼りに駆け寄ればそこには茂った草に隠された地下階段、そこから白い体がふわりと現れた。
「エデル!」
エデルの広げた腕の中に白く柔らかいものが飛び込んでくる。籠の中から外に出てきた愛しい蝶。それを衝動のままにきつく抱きしめた。薄い夜着越しに肌の温もりが、あの甘やかな香りが感じられる。初めての抱擁にエデルの体が震えた。
「エルシャ様‥‥」
「エデル‥嬉しい‥やっと‥‥」
愛しいエルシャ、やっと君に触れられた
ずっと抱きしめていたいが満月の月夜では誰かに見られるかもしれない。そっとエルーシアの手を引いた。
「こちらに」
「どこへ?」
「僕の隠れ家です」
二人で手を取り合い森の闇を歩く。途中でエルーシアが裸足だと気がつきエデルはエルーシアを抱き上げて進んだ。そこは立入禁止となっていた朽ちた母家。そこの屋根が残っている一画をエデルは隠れ家にしていた。大きな本棚がある、書斎だったのかもしれない。煤けているが豪奢な壁紙が見える。昼間敷いておいたブランケットの上にエルーシアを置いた。
満月の光が差し込み部屋の中は白く明るい。その中でエルーシアは光り輝いているようだ。夜着とショールしか纏わないエルーシアの無防備さにエデルは少しハラハラする。それだけ自分は信頼されているとも言えるが、その姿がどれだけエデルの劣情を駆り立てているかわかっているのだろうか。エデルでなければこの蝶はとっくに食べられていただろう。無邪気である一方でその世間知らずが危なっかしい。
心中でため息をつきながらその頬に触れエデルはそっと囁いた。
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