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第一章:出会い
婚約
しおりを挟む「今日は殿下の好みがよくわかりました。」
自室で頬を染めてぼーっとしていたアナスタシアにリゼットはため息混じりでつぶやいた。
「どういう意味?」
「殿下は可愛いもの好きでしたね。」
アナスタシアは図星を刺されぐっと言葉を詰まらせる。
確かにそうだ。二十にもなってあれだが、可愛らしい生き物は大好きだ。部屋には置いていないがトイプードルを二匹とウサギを飼っている。
王女の威厳もあり身につけこそしないが、ぬいぐるみやらリボンやら他にも部屋の随所に可愛いもの好きの証拠は散らばっていた。
確かにアンジェロは可愛らしいと思った。自分も可愛いもの好き。そこは認める。だがそれを他の人が言うのは意味が違う。
「え?リゼットもアンジェロ様を可愛らしいと思ったの?!まさかリゼットも可愛い好き?!」
「いえ、全然、まったく、一向に。好み的にはどちらかと言えば年上でかっこいい系がいいです。」
リゼットは速攻否定した。
勘違いの強いこの王女に誤解されたくない。マウワー侯爵は美しいとは思ったが本当にかすりもしなかったのだ。
しかしその即答に逆に王女は即ツっこみを入れる。
「え?!なんで?どうして?何故ツボらないの?!あんなに可愛いのに?!」
「‥‥殿下はアンジェロ様を私に薦めたいのですか?」
リゼットは目を閉じて嘆息する。我が主人ながら訳がわからない。
「そんなわけないけど良さはわかってほしいというか!!」
「良さがわかると恋敵になりますが?」
「やだ!!それは絶対ダメ!!!」
でも共感して欲しいのー!!とアナスタシアは頭を抱えて奇声をあげる。
正直この王女の奇行を見るのは本当に久しぶりだ。そういう意味で脱引きこもりし始めているのかもしれない。それほどの効果があったのだろうか。
いわゆるショック療法か恋の荒治療か。
リゼットは改めて今日の面会者を思い起こした。
確かにマウワー侯爵は今までの候補者と全然違う。
今までは世間一般にいう美形タイプだ。颯爽としていて可愛いとは無縁。愛らしさ皆無だ。
ここにきてこれ程の年下可愛い系男子を連れてきた宰相閣下の剛腕もすごい。
ハタからしたら暴投に近い変化球、ギャンブルで言えば逆張りもいいところだ。だが殿下がここまでメロメロになるとは、きっと彼がツボのど真ん中だったのだろう。
あれは宰相閣下の遠縁のものだという。身元もしっかりしているのだろう。
いかつい系の宰相閣下と全然似ても似つかないが。本当に血が繋がっているのだろうか?もし繋がっていたら——
「本当に恐ろしい。」
「何が?」
「えーっと、宰相閣下の手腕が、です。素晴らしいご縁ですがご婚約の話を進められるのですか?」
リゼットに問われアナスタシアは、はあとため息をつく。そうなれたらいいが、今まで散々拗れたのにそう簡単に婚約などできるはずもない。
「そんなに簡単ではないでしょう?」
「そうでしょうか?全て殿下の御心次第と存じますか?」
その後部屋を訪れたクレマンにアンジェロが気に入ったか聞かれた。
直球で問われ頬を染めて素直にこくんと頷けば、それはもう破竹の勢いで強力に婚約を勧められ、話の流れのままに婚約を整える運びとなってしまった。
今までの候補者にない押しの強さだった。
アナスタシアが明日の予定を確認してみれば今日と同じ時間枠が明日以降全て空けられている。これもクレマンの手配だと聞いて唖然とした。
もう毎日でも会えと言わんばかりだ。それはそれで嬉しいのだが、どうぞどうぞと勧められればさすがに照れ臭い。
その後国王からも内諾を得て一月後の婚約披露日まで決定してしまう。面会したその日のうちにだ。流れと言うならとんでもない激流だ。
ここまで流されておいてなんだが、どうも準備が、手回しが良すぎるように思う。
そう胡乱げに思いながらも明日のアンジェロとの面会の時間をアナスタシアは心待ちにしていた。
そして翌日の同刻にアナスタシアはアンジェロと面会した。彼は元気そうであった。手に持った薔薇の花束をアナスタシアに差し出した。
「昨日殿下に頂いたおまじないが効いたようです。」
嬉しそうに笑うアンジェロを見てアナスタシアは心底ほっとした。そして嬉しそうに花束を受け取る。婚約者候補から贈り物をもらうのは初めてだった。
過去の事件が不運な事故だとアンジェロに断言されても安心はできなかった。でもこうして無事な姿を見せてくれた。
断言された通り気にしすぎだったのかもしれない。呪いが少し解けたような気がした。
だが彼を失ってはきっと立ち直れなかっただろう。不運な事故というが、それがまた不運にも彼を襲わないとは限らないのだ。もしそうなればアナスタシアは国の至宝の聖剣を持ち出して『死神』に殴り込む覚悟だった。
「先程クレマン卿から婚約の話を伺いました。僕を選んで下さってありがとうございます。」
少し頬を染めつつ真摯な顔で見つめられ、アナスタシアはもう膝が震えるほどメロメロだった。が、年上の王女の意地で堪える。それはもう根性で耐えた。
「あの、どうぞよろしくお願い致します。」
「こちらこそよろしくお願い申しあげます。ご安心を。必ず殿下をお守りいたします。」
守る?昨日も言われたが何から守るのだろうか?
ふと何か違和感を感じたが、アンジェロの続く言葉に気が逸れた。
「クレマン卿から明日以降も殿下にお会いできると伺いました。もし差し支えなければ明日からもこの時間のお約束を賜れませんでしょうか?」
「毎日いらっしゃるのは大変ではないでしょうか?」
「いえ、ちっとも。城下の邸宅におりますし僕もとても楽しいです。」
目元をほのかに染めるアンジェロにそう言われ、アナスタシアはにやける口元を扇で隠す。
可愛いらしい年下婚約者にそう言われれば嬉しくないわけがない。
ありがとうクレマン卿!今私はとっても幸せです!!
リゼットの生ぬるい視線を背中に浴びてながらアナスタシアは心中で宰相に感謝していた。
そうしてひっそりと、二人の逢瀬が始まった。
毎日のほんの僅かな時間であったがアナスタシアにとっては至福の時間だった。
毎日贈られる花束やちょっとした小物に、アンジェロの無事な姿に、心踊る日々が続いた。
この日々がずっと続けばいい。そう願った。
そして穏やかに過ぎた二週間後、アナスタシアはいつもの部屋に入ったところで凍りついた。
今日は部屋にアンジェロがいない。アンジェロはテラス窓の外にいた。そこにはテラステーブルが設えてあった。
「本日は天気もよく風も心地よいので外に席を設けてみました。」
にこやかにそう言うアンジェロにアナスタシアは足が震えていた。
もう三年も外に出ていない。テラスでさえ出たことがなかった。あの事件、人々の害意に当てられて外の接触を絶っていたのだ。
アンジェロは部屋に入りアナスタシアの前で手を差し伸べる。
怖い
「どうぞ殿下、ご案内いたします。」
怖い
差し出された手に応じられない
テラス窓からすぐ側のテーブルに向かえない。外に出られない。
ここからなら部屋を出る扉の方が遠いくらいなのにそちらに向かいたい衝動が酷かった。身が竦む。体がひどく震え慄いた。
アンジェロは辛抱強く手を差し出している。アナスタシアの心中を察している。だから待っていてくれている。そうとわかるが一歩が踏み出せない。
「大丈夫です。必ず僕が殿下をお守りします。信じてください。」
アナスタシアは目をぎゅっと瞑りゆっくりと震える手をアンジェロの手に乗せた。アンジェロの手の暖かさを感じたがそれでも震えは止まらなかった。
ゆっくりと導かれテラス窓で一度立ち止まった。そしてアンジェロがアナスタシアの顔を見た。
すでにアンジェロは外に出ている。部屋の中に立ち止まっているのはアナスタシア。もうガチガチに震えていた。
「怖いの‥‥助けて‥‥」
「大丈夫です。僕はここです。殿下のお側におります。」
アナスタシアの正面から両手を取られ優しく見つめられる。アンジェロはアナスタシアの決意をずっと見守っていた。
そしてアナスタシアは意を決して一歩外に踏み出した。
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