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第四章
告白
しおりを挟む「昔はあんなに愛らしかったのになぁ。まさかあのカールに叱られるようになるとは思わなかった。」
お説教から解放され、そうぼやくヴォルフにエレノアは苦笑してしまった。確かにカールがお父さんのようだ。そして皇帝自身がこんなにも子供っぽい。こんなやんちゃで気さくな方が皇帝陛下とは誰が予想できただろう。
「エレノア、君の剣は素晴らしい。帰還したら手合わせ願いたい。」
「是非お願いします。」
ヒュドラを横取りしたエレノアに機嫌を損ねるかと思いきや、ヴォルフは楽しそうだった。ヒュドラ討伐という荒事さえ風のように飄々とこなすこの男こそ皇帝の器なのだろう。
「こいつの手合わせの相手はオレだ!親父は他所をあたれ!」
フリードが二人の間に割って入る。エレノアの手を取り天幕の外に連れ出された。その態度にエレノアはむっとする。せっかく義父と仲良くなれそうなのに邪魔しないでほしい。背後でヴォルフの笑い声が聞こえた。
出てきた勢いで皇太子の天幕まで辿り着きフリードはやっとエレノアの手を放した。フリードがエレノアを見やるもエレノアはふいと顔を背けた。
「その‥‥色々心配かけて悪かった。」
ヒュドラを討ち取り帰還の途につく最中もエレノアは怒ってフリードをずっと無視していた。フリードはそれが余程堪えたらしい。
オレ様フリードが落ち込む様子にエレノアの鼓動が早くなる。初めて見る顔だ。そんな顔はずるいとエレノアは思った。こんなことで許してしまおうとする自分はなんて甘いんだろう。
「‥‥わかってくださればもういいです。」
「よくわかった。お前だけは怒らせてはいけないということは。」
フリードは苦い顏で笑って前髪をかき上げた。そんな仕草でさえどきりとしてしまう。エレノアは俯いて顔を赤らめた。フリードに再会してからどうも感情の起伏が激しいように思う。
「ところで気になっていたんだが、なんで皆がお前をエレノア“ひ”と呼ぶ?“ひめ”ではなく。」
許してもらえてほっとしてフリードは簡易椅子に腰掛ける。
ああ、その話があった、そういえば。エレノアも向かいに腰掛けた。
「それは私の籍が入ったからです。」
「は?」
「出兵のための総大将を賜る為にハイランド籍ではなくアドラール籍が必要でしたので‥‥」
フリードがカチンと固まった。顔から表情が消えていた。その様子を勘違いしたエレノアの血の気も引いた。これはいけないことだったのか!エレノアは俯いて慌てて謝った。
「あああ、あの、ごめんなさい!やっぱり本人がいないのに勝手はダメですね!」
エレノアに謝られてフリードは最悪の事態を確信してカタカタ震え出した。
「‥‥誰の?誰の籍に入った?マルクスか?やはりマルクスなのか?カールということはないな?オレが死んだと思ったからか?」
「そ、そうではなく‥‥」
エレノアはますますしどろもどろで言い淀む。
「まさかうちの養子に入ったとか?養子は許さんぞ!!」
「いえ、その、フリード様の‥籍に‥‥」
「はぁ?!」
フリードは意味がわからず問い返す。エレノアの体がますます小さくなった。
「すみません、式をあげる予定だし良いかと‥‥」
「オレの籍?どうやって?オレがいないのに?」
「マルクス様がお持ちだった書面にサインしました。既にフリード様のサインはあったので‥‥」
しばらく思案していたフリードは思い当たったようにばちんと顔面に手を当てる。
「あれか!あれを使ったのか!マルクスめ‥」
「フリード様?」
「いやあれは!あれはその場の勢いというか!マルクスにも反対されて腹が立ってオレの覚悟を見せようと‥‥」
「覚悟?そのようにマルクス様にも伺いましたが?」
「違う、その、そうじゃないんだ。いや、だが結果としてよかったんだが‥‥」
何かブツブツ言い続けるフリードにエレノアはしゅんとなった。
あの時は出兵する事で頭が一杯だった。でも本人の断りを得ずにやっていい事ではなかった。政略結婚だからといって勝手に籍を入れていい道理などない。そもそもあの書類はエレノアの為に用意されたものじゃなかったかもしれない。
負の思考でへこんだエレノアを見てフリードが慌てて言い募った。
「あ!いや!ダメとかじゃないぞ!その、こういう事はこんな理由でやる事じゃあなくて‥‥オレのせいで‥‥お前は嫌だったんじゃないのか?」
それはない。あるはずがない。でもそれを言うのはまるで愛の告白のように思えて躊躇われた。真っ赤になって俯くもフリードに顔を覗き込まれた。エレノアはますます身を硬くしてぎゅっと目を瞑った。二人の間に沈黙が落ちる。
「エレノア、二度は言わない。よく聞け。」
どきりとした。命令される時はいつもこの言葉で始まっている。何を命令される?婚約破棄?勝手が過ぎて愛想尽かされた?
そろりと目を開ければ目の前には視線を逸らし、ぶすりと顔を赤らめるフリードがいた。眉間には深い皺がある。
「お前は愛らしい。」
「は?」
フリードの脈絡のない発言にエレノアは耳を疑った。何?何を言われている?今聞いたことのない言葉を言われた?言っている人間の表情が不機嫌過ぎて発言の内容が全くそぐわない。
「お前は何か勘違いしてるが、お前の顔は可愛らしい。ベールで隠す必要などない。栗色の艶やかな髪も綺麗だしチョコレート色の目もクリクリしてていいと思う。笑顔もオレは好きだ。」
エレノアの耳が音を拾うが、言われた意味がわからず茫然とする。そして最後の言葉の意味を理解したところで咄嗟に目を瞑って耳を塞いだ。ダメだ!これ以上聞いたら恥ずかしくて心臓が止まる!!
耳を塞いだのに最後の言葉が脳内で勝手に反芻されてエレノアは真っ赤になった。鼓動が速くなりすぎて眩暈がする。口から心臓が飛び出しそうだ。
「思いがけず籍が入ったがオレはそれで全然構わない。戦場で一眼見て心を奪われた。嫁いできて初めて会った日にお前を愛おしいと思った。一生大事にしようと決めたから。だからオレは——」
そこで初めてフリードは正面のエレノアを見たが、エレノアは目を瞑って耳を塞いでいた。そろりと目を開けたエレノアが問いかける。
「‥‥あの?‥‥終わりましたか?」
「お前!!また聞いていなかったのか?!」
フリードは驚愕で悲鳴のような怒声をあげる。
「なんかもう途中からいたたまれなくなって‥‥」
「なぜ!!なぜお前は肝心な時にいつも聞いてないんだ?!」
「やはり聞いちゃダメでした?すみません!前半はうっかり聞いてしまいました!」
「違う!よく聞けと言っただろ!なのにうっかりかよ!!そしてなぜ謝る?!もう耳を塞ぐな!!聞くのは後半だ!!」
耳を塞ごうとする手をフリードが押さえ込もうとする。涙目のエレノアはそうさせまいとして暴れだした。
「だってあれ以上、ああ、愛らしいとか、かかか、可愛いとか聞いたら死んでしまいそうで‥‥」
自分で言った言葉に照れまくり、ひゃーっと奇声をあげて耳を塞ぐエレノアを見て、フリードは眉間を揉みながら深い決意のため息をついた。黒いものが漲った。
「よくわかった。オレが悪かったな。これは特訓だ。」
「はい?」
姫将軍の本能か、フリードの不穏な気配にエレノアは身を仰け反らした。
「お前は褒められることに慣れていない。王太子妃になれば賛辞は日常茶飯事だ。それを受け流せないと公務に支障をきたす。よって賛辞に慣れる特訓をする!戻ったら午後の茶の一時間はオレの賛辞に堪えろ!」
「えええ?!そんなの無理!無理です!!一時間も?死んでしまいます!!」
真っ赤になったフリードに人差し指を突きつけられ、エレノアは涙目で悲痛な声を上げた。戦場でさえここまで引いた事はない。
何を言っているんだこの男は?!私のことを殺すつもりなのか?!こんなこと、訓練でどうにかなるわけがない!!
「言ってるオレも死にそうだ!だが仕方ない!!絶対逃がさんぞ!!無理でも慣れてもらわんとその先の話ができんからな!!」
「先の話は結構ですので!!」
「そういうわけにはいかんだろ!!」
こうしてフリードとエレノアの、いつ終わるかわからない特訓が始まった。
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