【完結】盲目な魔法使いのお気に入り

ユリーカ

文字の大きさ
10 / 35
第2.0章 逐電 – チクデン

幕間 森の中①

しおりを挟む



 暗闇の森の中で男は身動きができなかった。

 髪を掴まれ後ろに引かれ喉を晒している。その喉元に鋭い刃物が突きつけられている。そのひんやりとした感触が夢ではなく現実だと教えてくれている。
 深く呼吸をすれば刃が喉の皮膚を裂くかもしれない、その思いで呼吸が浅くなる。声を出せばやすやすとそれは喉を突き破るだろう。
 冷や汗がつつとこめかみから流れ落ちた。

 その短刀を突きつけているものが背後にいるはずなのだが背後から人の気配はない。ただ闇から腕が出て刃物を自分に突きつけているような錯覚に陥る。殺意さえないそれが短刀一本で自分を拘束している。その事実がさらに恐怖を煽った。

 細かく震えて正面を見据えていれば、森の闇からがさりとローブ姿が現れる。これは今まで監視していた女の同行者だ。
 目元に包帯を巻くその少年は危なげなくその男に歩み寄った。そして男の前に屈み込み、躊躇いなく目元の包帯を額に押し上げゆっくりと瞼を上げた。

 男はその少年に見つめられて目を瞠る。
 月光の中で浮かび上がる美貌とその漆黒の目から放たれる圧が半端なかった。黒い刃の、鋭利な短刀のようにその双眸は正面の男を見据えていた。

「こんばんは、おじさん。いい月夜だね。でも満月の夜の偵察はもっと気をつけなくっちゃ。」

 包帯を頭から外す表情は笑顔だ。しかし目はやはり笑っていない。それとわかる圧をかけている。

「わかってるんだけどさ、一応確認ね。誰を監視してたの?」

 声変わり前の優しい口調。だが語られる言葉は尋問。少年から発せられる圧が拒絶を許さない。
 男は声を出そうとするが喉元のナイフが皮膚にうっすらと刺さる。血こそ出なかったが薄皮が裂けた感覚に息を呑む。

「ああ、ごめんごめん、忘れてた。短刀外せないんだった。じゃあイエスならゆっくり一回瞬き、ノーなら素早く二回瞬きしてね。狙っていたのは僕?」

 素早く二回瞬き。

「‥‥じゃあやっぱり彼女かな?」

 ゆっくり一回瞬き。

「ふぅん、そうなんだ。素直に答えてくれて助かるよ。答えてくれなかったら色々面倒なことになってたし。僕は荒事は苦手なんだよね。」

 正面の少年は笑い顔を貼り付け目を細めている。短刀は微動だにせず喉元に当てられたままだ。緩い汗がうなじから背の襟元に滴った。

 監視の中で遠目でも包帯をしている少年が監視対象の側にいるのはわかっていた。表情が乏しいと思っていたが、包帯がなければこの少年はこれほどに表情豊かなのだと男は身を震わせた。主に恐怖にであるが。

「依頼者の名前を知ってる?」

 少年は男に静かに囁く。

 素早く二回瞬き。
 これは本当に知らない。

 女を尾行し監視する。それだけで週で半年分の稼ぎが手に入る。そう酒場で誘われて女と子供の跡をつけた。話を持ってきた男は報告があると言ってこの場にいない。間が悪かったのか一人の時を狙われたのか。
 いずれにせよ詳しい事情は知らないのだ。

「もう一度聞く。依頼者の名前を知ってる?」

 少年は躊躇いなく喉元の短刀に人差し指をかける。軽く押されただけで短刀は喉の肉を薄く裂いた。血が滲みつつと喉を伝った。その恐怖でこめかみを汗が再び流れ落ちる。

 カクカク震えながら素早く二回瞬き。
 少年は目を細め笑みを纏う。

「依頼者の顔は?性別でもいいよ。知ってる?」

 素早く二回瞬き。

 その様子に少年は短刀から指を離し小首をかしげ軽い声をあげる。

「そうなんだ。じゃあ答え合わせしようかな。」

 腰のバッグから茶色い小瓶を取り出した。それを男の目の前に掲げて見せる。

「これは自白剤。結構高い薬だからきちんと残さず飲んでね。上手に飲める?口を開けてくれると助かるな。飲まないという選択肢はお勧めしないよ。」

 少年は瓶の蓋を開け自分の手の甲に一雫垂らしそれを目の前で舐めて見せる。

「ほらね、毒じゃない。きちんと飲んで話してくれれば命は助けてあげるよ。答え合わせがあっていればね。おじさんは話がわかるいい人みたいだから。」

 神々しい美貌が凍てつく冷気を放ちながら微笑んで見下ろしてくる。その微笑みは美しいを通り越して凄みに近い。その視線だけで凍りついてしまいそうだ。
 少年の見た目の歳からは考えられないその圧に、静かな恐怖に抗えるわけがない。 

 この抗えないものをなんと呼べば良いだろうか。
 
 喉元の短刀の角度が変わる。少し顎を動かせるようになった。息苦しさから男は大きな息をついた。喉の短刀で皮膚を裂かれないよう、のけぞるように顔を上に向かせながら口をゆっくり開けた。

 その様子に少年は静かに笑みを深めた。

「ありがとう。すぐ済むから。答えが合ってるといいね。」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...