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016:成長熱②

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「えっと?冷やすのは?メシは?水は飲めるか?ヒカル、ルキナを着替えさせてやってくれ」

 いつの間にかひっそりついてきていたヒカルが頷いた。ヒカルは白い手を従えている。その手に着替えの指示を出す。ルキナが着替えてる間に朔弥が続き間で小精霊を呼び寄せた。属性を指定できないからどっとイナゴの大群が現れた。

「あー、まずは冷やすやつな。洗面器とコップ出てこい!氷の、来てる?ちょっと氷作って。水の、いるか?ここに水、コップにも入れといて。後のやつはひとまず待機。タオル来い!」

 大物はまだ無理だが小物なら天地創造の力を使い気合いで作り出せるようになっていた。特に今の朔弥は気合い十分だ。水枕、氷嚢ひょうのう。ぽんぽん冷却グッズが現れる。勢いで体温計も出したがルキナの平熱がわからないので廃棄となった。

 濡らしたタオルで顔を拭ってやればルキナは気持ちよさそうにしている。

「辛いよな‥可哀想に。早く治ればいいんだが」

 寒気がするなら布団で温めるがここまで熱が上がれば寝具もいらない。寝具をとっぱらい水枕を頭の下に置き、氷嚢で脇の下や首筋を冷やすもすごい勢いて氷が溶けている。
 続き間ではヒカル監修の元で小精霊たちが総出でせっせと水枕と氷嚢セットを作っていた。ベルトコンベアーも置かれすでに量産ラインと化している。出荷検査済み氷嚢を持った小精霊が緩いものと交換していく。生産から配達まで一元管理。小精霊の分業化が恐ろしい。

「ほら、いちごアイス、好きだろ?食べられるか?」

 朔弥の差し出したスプーンを口に含んだルキナがふにゃりと笑ったような気がした。その様子を遠巻きに三人の大精霊が見守っていた。

「初日からあのテンションは続かないぞ?ルキナも発熱一ヶ月コースだろうな。それにあの高熱だ。相当に苦しむぞ」
「冷やすなら水風呂が一番ですのにね」
「あたしもよく湖に飛び込んでたな。弱点は溺れかけることだが。でもよぉ、ちょーっと展開早すぎないか?」

 ニクスがちらりとファウナを見やる。ファウナがそっと目を閉じた。

「ルキナは毎日三食陛下の食事を食べていました。十分にありえます」
「成長熱は生まれて五十年目くらいだ。十年そこらで発熱するのはおかしいだろ?あんなチビでも一応光の大精霊だぞ?簡単に成長するはずない」
「サクヤの栄養満点美味しいゴハンで急成長したってことですの?」
「そうとしか説明できません」

 ファウナも困惑していた。ルキナの異常成長は前々から気になっていた。ルキナが特別な大精霊ということではない。異常なことは何もしていない。

 三週間前、朔弥が召喚されたその日から始まった朔弥の食事とお世話以外は。

 ニクスがすっと目を細め顎をさする。

「ふぅん?じゃあサクヤのメシ食わしてサクヤがそばで世話していればひょっとして早く治るんじゃないか?あのアホみたいに強力な精霊力で」
「そうですわね。もしそうだとしたら‥ルキナの救いになるかもしれませんわね」
「そうだな‥‥光の罪は重い。サクヤならきっと‥」

 黒紫二人の会話にファウナがふぅと息を吐いた。

 そうなればいい。今のところ光の大精霊ルキナだけが唯一の精霊王の王配なのだから。




 看病を始めて早々に朔弥は困った事態に陥った。

 ルキナが朔弥のそばを離れたがらない。ベッドで横になり眠っている間でもルキナは朔弥の手か服を握ったままだ。深く眠っていると思い朔弥が少し離れる時でもなぜかルキナは目を覚ましてふらふらと追いかけてきた。高熱で思考が混濁しているようだ。それでも朔弥を探している。
 ルキナの身の回りの世話や料理は朔弥に代わってヒカルにも手伝いができる。だがルキナに付き添って三日目、朔弥にも限界が来た。

「陛下、少しお休みになられてはいかがでしょうか」
「そうもいかんだろ‥」

 ルキナの発熱は続いていた。熱にうなされながらもルキナは朔弥の手を握っている。この手を振り払えるわけもない。手を離せば目を覚ます。やっと眠りについたのに起こしたくない。

 朔弥は精霊界に来て眠りはかなり浅くなった。一日二日寝ないでもどうにかなった。だが三日目となれば眠い。体はまだ睡眠を欲していた。自覚はないが朔弥の肉体は失われたらしい。なのに体の半分がまだ自分は人間だと主張しているようだ。

 眠い‥ルキナはこんなに苦しんでいるのに俺は何にもできずに惰眠を貪ろうとしている。

「何が精霊王だ‥何もできないじゃないか」

 いくら物を創造できてもどんなに旨い料理を作れても目に前の女の子を助けてあげられない。せめて———

「せめて少しだけでもこの苦しみを代わってやれればいいんだが‥‥」

 霞む思考でそんな詮無いことを思う。その背後からファウナの声が響いた。

「そうですわ陛下。こちらでお休みになってはいかがでしょうか?」
「ん?」
「ルキナの隣です。床も大きく並んで横になられても問題なくお休みになれましょう」
「‥‥‥一緒に?」
「この熱は病ではございませんのでうつる事もございません」

 すごくいい考えに思えた。ルキナのために作ったベッドはクイーンサイズだ。朔弥が横になる余裕がある。ルキナと離れたくない。目を離したくない。手を繋いだまま一緒にいられる。何よりすごく眠い。普段なら絶対受け入れられないのに思考が停止していて睡魔に抵抗できない。

「ルキナが嫌がらないだろうか?」
「陛下のおそばでしたらむしろルキナも安心しましょう。私も安心できます」

 ファウナも朔弥を気遣いずっと付き添っていた。ファウナにも心配をかけていたと朔弥が目を閉じかける。そしてかくんと底なしの闇に落ちかけた。

「じゃあちょっとだけ‥」

 白い手がルキナの体をベッドの奥へと避ける。空いたスペースに朔弥が突っ伏した。慌てて白い手が朔弥をベッドに寝かせた。マットレスが水音を立ててゆらりと揺れる。

 あ、そうか。少しでも冷やそうとウォーターベッドに変えたんだった。冷たくて気持ちいいなぁ

 重い瞼をどうにかあげればファウナが見下ろしていた。

「先は長うございます。ゆるりとお休みください」

 ああ、そういや発熱って一ヶ月続くんだっけ?長期戦だったな。こんなとこでくたばってる場合じゃない。

 顔を横向かせば目を閉じるルキナが目に入る。目の前の白い手を握り返し、疲れ果てたような寝息に安堵する。

「よかった‥起きて‥な‥」

 そこで朔弥の意識がぷつりと落ちた。
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