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第四章 外伝
外伝 冥府の王とウサギ姫
しおりを挟むその男はベッドの中で目を覚ました。
むくりと両手をついて無言で身を起こす。月明かりが差し込み寝室は白く明るかった。
普段と違う見たことのない部屋に男は顔を顰める。窓から見える自然豊かな風景に城ではないと理解した。
男は傍らに眠る女を見やる。寝具を腰まで被り寝息を立てて眠るその体は裸体。明らかに情事の後だとわかる。男は嘆息し裸体にシーツをかけて覆った。ふと己が手を見て、左手に輝く指輪に気がついた。傍の女の左手にも同じ指輪が光る。
「アウレーリオ‥‥無事に結婚できたのか」
そう呟きそっとベッドから抜け出した。裸にガウンを羽織り立ち上がろうとしたところで声がする。
「‥‥アウルさま?」
振り返れば眠っていた女が起きたのか目をこすっている。まだあどけなくさえ見える少女の様な女の耳が伝説の妖精のように細く長い。
それはアウレーリオが特に気に入っていたな、と男はふと思った。ぼそりと呟く。
「何がいいんだか」
「‥‥アウル様?」
眠たげに横になる女を一瞥し視線を正面に戻す。
この娘は王女ノワゼット。アウレーリオの婚約者で、あの日死なずに妻になった女。今は王太子妃か。
寝ぼけたような声に男は応える。だが背を向けたままだ。
「ノワ、起きたのか」
「どうしたの?」
「寝ていろ。まだ夜中だ」
「寝る‥?夜中‥?」
きょとんとした問いとともに手が伸びて男の手を取ろうとするが男はそれを身を引いて躱す。その様子にノワゼットは更に目を瞠った。
「アウル様?」
「少し夜風にあたるだけだ」
そう言い捨て男は窓を開けて外に出た。手近にあった酒瓶とグラスを手に持っていた。
変わらず平和な世界。静かな月夜。
ここは違うと拒絶して目を閉じても。幾度目が覚めてもこの世界は争いもなく穏やかなままだった。
「死にそうなほど退屈な世界なんぞうんざりだ。いっそオレがぶっ壊すか」
男はバルコニーの手すりに背を預けため息をつく。瓶の液体をグラスに注いで口をつけるがその味に顔を顰める。
「アウル様」
男が声の方へ視線を投げればガウンを纏ったノワゼットが立っていた。いつになく固い表情だ。
「眠れませんか?」
「寝ていろ。オレもすぐ戻る」
「眠る前の約束を覚えてます?」
「約束?」
「お忘れですか?」
歩み寄るノワゼットが表情を崩しくすりと笑う。そして男の首に縋りついて背伸びする様に踵を上げる。唇が触れ合う寸前で男が顔を背けた。
「やめろ」
「アウル様?」
「そんな気分じゃない」
冷たくあしらわれたのに、そこでノワゼットは首から手を離し妖艶に顔を綻ばせた。
「あなたは誰ですか?」
その言葉に男の気配が剣呑を纏う。鋭い視線でノワゼットを見据えた。
「何を言っている?」
「たまに‥アウル様を乗っ取ってましたよね?眠っている時とか。何度かお会いしてますよね?」
「何を———」
「アウル様はお酒を飲まれません」
男はぐっと身をこわばらせる。
「それは私が用意しました。お酒はアウル様の唯一の弱点。三回戦になりそうになったら無理に飲ませて酔い潰す作戦でした。まさかご自分から飲まれるとか。目を疑いました」
「そういう日もある」
「飲むと勃たなくなるからと夜は頑なに飲まれなかったのに?目が覚めたら二回戦だって、眠る前にしつこく約束させられたんですよ?これでもまだ私に寝ろとおっしゃいます?」
そこで男は目を瞠り、呆れた様にはぁと深い息を吐いて顔を伏せた。
「アウレーリオは色欲バカなのか?」
「まあ色んな意味でやんちゃで困ってはいますが、優しい方です」
「それはフォローになっていない。ふぅん。相思相愛か。だがまだまだお前は理解が足らない」
「理解?」
男がグラスを掲げて微笑んで見せた。
「酒が激甘だ。お前が飲むと勘違いした侍女が準備したんだろう?だがこれじゃアウレーリオは飲まん。アウレーリオは甘いものが苦手だ」
「え?でも‥‥」
「お前と一緒なら甘かろうが何だろうが関係ない。お前の食べかけなら何でも喜んで食っただろう?ああ、この酒もお前の口移しなら飲むだろうな」
その言葉に今度はノワゼットが絶句して瞑目した。
「‥‥知りませんでした。アウル様ったら」
ノワゼットが男の傍に立ち手すりに手を置く。男は半身ほど身をひいた。その様子にノワゼットが苦笑する。
「あなたのお名前は?」
「名などない」
「では好きに呼んでよろしいです?セバスチャン?」
「何だそれは?」
「名前がないと不便ですから。フロンソワはどうかしら?ステファーヌもいいわね」
顰めた顔をさらに歪め男は苛立たしげに吐き出した。
「プルート」
「プルート?それが名前?変わった発音ですね」
「周りがオレをそう呼んだ。『冥府の王』という意味だ」
「冥府?どこの国です?王様なんですか?」
そこでその男、冥王は初めて声を立てて笑った。肉体はアウレーリオでもそれは全くの別人であった。
「冥府という国はない。ここで言う王は最強という意味だ。真の王はアウレーリオだろう」
「その最強なあなたは私が嫌いですか?」
プルートは笑いを止め眉をくいと上げて見せる。
「お前はアウレーリオをもっと理解しろと言っている。あの男はお前に近づくものを許しはしない。オレであっても。オレもお前をあいつと共有するつもりはない。お前ももっとそこを配慮するんだな」
「アウル様に遠慮なさっていると?」
「それもだが興味もない。八歳の子供の頃から知っている妹同然の相手にどう欲情しろと?」
ノワゼットはここで合点がいった様に手を合わせて頷いた。
「ああ、なるほど!アウル様に妹扱いされていると勘違いしたのはあなたのせいですね。お陰でアウル様のお気持ちに全然気がつきませんでした」
「それはお前が鈍いせいだろうが」
くすりとノワゼットが苦笑する。
「その言い方、アウル様にそっくりです。アウル様は今は?」
「深く眠っている。警戒心の強い男だ。ここまで深く眠ることはあまりない。よほど満たされた様だな」
「それはご満足でしょう。来週の即位に備えて昨日から休暇です。アウル様がおっしゃるには新婚旅行‥?というものだそうです。今日は一日中私を好きになさいましたから」
「なるほど。やはりあいつはバカだな。納得した」
冥王は苦笑していたが、ふと表情を消してノワゼットに視線を据えた。
「お前、絶対に死ぬなよ」
「はぁ?いきなりなんの話です?」
訝しむノワゼットにプルートは冷ややかだ。
「アウレーリオとの挙式の日にお前は死んだ」
「‥‥‥はい?」
「アウレーリオがお前を庇い矢を一本受け背に傷を負うが命は取り留めた。だがお前は三本の矢を受けほぼ即死だった」
目を瞠るノワゼットに冥王は無表情で淡々と語る。まるで物語を語るように。
「怒り狂ったアウレーリオは暗殺の首謀者を直ちに捕らえ自ら手打ちにした。ストックデイル公爵家にも累が及び家は取り潰しの上領地召し上げ、一族は全員斬首刑にされた」
「え?は?斬首?ストックデイル公爵家?」
「そう、ストックデイル公爵家。筆頭公爵家だったのに、だ。だが裁判さえないその残虐な沙汰に貴族たちが反発、反乱が起こった。それは地方貴族を巻き込んだ内乱となったがアウレーリオはそれらを武力で徹底的に鎮圧、逆らった全てを縁者含め処刑、多くの血が流れた。その頃に国王が崩御、アウレーリオは翌年即位するがその後長く恐怖が国を支配した。暴君にして冥王アウレーリオが長く君臨したためだ」
ノワゼットは目を瞠り納得できないと反論する。
「アウル様が?暴君?何の作り話です?」
「あいつの思いをみくびるな。あれにとってお前はそれほどの存在だ。まあそうならないようにオレとミュシャ‥‥ミゲルでお前を守った。アウレーリオだけではお前を守れなかったからな。だからこの世界でその未来は消えた。だがな」
戸惑うノワゼットに冥王は続ける。
「お前はこれからも命を狙われる。アウレーリオの闇落ちを望み願う奴らに。お前が死ねばまた同じことが起こる。あいつが怒りに狂い闇に堕ちれば多くの血が流れる。オレも守ってやるが、そこを決して忘れるな」
「‥‥狂う?闇に堕ちる?お優しいアウル様が‥?」
「何度も言わせるな。あいつにとってお前はそれほどなんだよ。お前はあいつの存在意義だから」
「存在意義?」
「お前を失えばあいつは生きる意味を失う」
「‥‥‥‥え?」
プルートは手の中のグラスに口をつける。目線は遠く空を見上げ動かさない。
「十の時、あいつはお前に出会い恋に落ちた。オレはお前に落ちなかった」
「十歳?確かアウル様からもそう伺って‥‥。その程度のことで?」
冥王はさもおかしそうに目を細めくつくつと笑う。
「その程度とお前がいうか。常に干渉しあった二人の意志が初めて分かれたんだ。だからより一層執着した。その必要もない今でもなお、お前に執着するのはその名残かもしれん」
ノワゼットがふぅとため息をついて目を伏せた。
「よくわかりません。でもひとつわかったことは、アウル様が粘着変態になったのはあなたのせいですね?」
「変態は知らん。あれは生まれつきだろ。でなければお前のせいだ」
バッサリ否定されるもノワゼットは怪訝顔だ。
口を尖らせ苦情を紡ぐ。
「そんなことありません。アウル様は昔はそれはそれは純粋で愛らしい方で‥」
「あいつ子供の頃からお前に異常にベタベタだったろ。やたら抱きついたり頭を撫でたり手を繋いだり。そういえば夜は一緒に寝てなかったか?あいつのことだから抱き寄せて腕枕で添い寝してたろ」
「ええまあ。子供同士なら普通ですよね?」
「あれが普通ねぇ。子供なのに?」
「‥‥‥?」
ん?と表情を凍らせるノワゼットに冥王は嘆息と共に目を伏せる。
「あれを純粋と言うか?その純粋さをお前のせいで拗らせたんだよ。初めてを全てお前に捧げようと思うほどにな。あいつ、童貞だったぞ」
「‥‥‥‥‥‥は?」
「キスも女を口説いたのもお前だけだ。オレの記憶のお陰であいつは相当の手練れに見えただろうが全くの初心者だ」
「‥‥‥え?童?‥‥初?」
目を瞠り愕然と青ざめるノワゼットを冥王はひたと見据える。ひどく静かな声が降ってきた。
「あいつの愛情は重い。だからお前は何が何でも絶対に死ぬな。長生きしてあいつを突き放さず側を離れずにいろ。お前を失ってあいつが闇堕ちすればそれこそ手がつけられん」
「死ぬな?長生きしろ?そのつもりですが?突き放す?私がアウル様を?ありえません!」
そこでノワゼットが腹の底から息を吐いた。
「それこそ死を迎えようともアウル様と離れるつもりはありません。絶対に」
ノワゼットの気迫にプルートがニヤリと微笑んだ。
「ならばいい。今までの様に二人仲良くバカみたいにイチャついていろ。それがあいつの幸せだ」
だがそこでノワゼットが頭を抱えて声を荒げる。絶叫だ。
「もう!全然よくありません!信じられない!はぁ?!あのアウル様が初めて?嘘でしょ?!全然聞いてません!あのエロエロ絶倫で?!色々とおかしいでしょ?!」
「童貞だったから繁殖期の様に盛ってただろ?そこに絶倫は関係ない」
冷静な冥王のツっこみにノワゼットが頭痛を堪えてこめかみを押さえる。
「もう一つわかったことがあります」
「ん?」
「あなた、ものすごく面倒見がいいですね。アウル様を可愛がりすぎです。ひょっとして妹か弟がいたかしら?」
その言葉に男は目を見張り、堪えきれずに笑い出した。
「お前はすごいな。オレと全く似てない善良な弟ならいた。恐ろしく初心で心根の優しい男だった。アウレーリオも似ているな、確かに。」
「あなたもお優しいです。アウル様のこともこうして気にかけてくださる」
「自衛だ。こいつは仕方がないだろう」
「でも私にも忠告を下さった。ありがとうございます」
「それも仕方ない。長い目で見てそれも自衛だ」
むすりと答える冥王にノワゼットはにこりと微笑んだ。
「それでもです。やはりあなたはお優しいアウル様ですね」
それが聞こえたのか冥王が忌々しげに手の中のグラスを一気に呷る。そして眉間を揉んだ。
「アウレーリオは本当に酒がダメだな。強烈な睡魔がきた。喜べ。これで明日の朝まで目覚めないだろうよ」
「まあそれはそれで明日の朝が大変です。やんちゃな方ですから」
「まあそれも愛だと思え。嫌じゃないんだろ?」
「もちろん嫌では‥‥とっても嬉しいのですが‥‥私にも体力の限界があります」
ふぅと疲れた様に嘆息するノワゼットに同情の一暼を投げて、苦笑する冥王は長い眠りにつくためにベッドに向かう。ノワゼットの呼び止める声がした。
「またお会いできますか?」
「さあてな。アウレーリオが深く眠っている時か戦闘でたまに叩き起こされる時か。またいつか会えるかもな」
冥府の王は振り返ることなく手を上げた。
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