上 下
1 / 39
プロローグ

記憶

しおりを挟む
「マリア、もうこんなの分かるのか……」
 父が床に座る娘にそう声を掛ける。
「これは……なんて書いてるのか分かるか?」
「……ぞう。ぞうとはりくじょうどうぶつさいだいのいきもので……」
 娘は図鑑に書かれている文字をよどみなく読み上げた。
 そんな娘を父は誇らしく思い、母は訝しげいぶかしげな目で見ていた。
「マリアはやっぱり天才だよ」
「そりゃ天才に決まってるじゃない……彼女は私たちが……」
 母は持っていたお盆を投げるように机に置いた。エプロンを外しながら部屋を出ていく母。そんな母を慌てて追う父。リビングに残されたマリアは、二人が出ていった扉をじっと見ていた。

 あれから十三年後、両親は事件に巻き込まれ、あっけなくこの世を去った。
 両親はもういない。なのに、なぜかマリアは“悲しい”が分からず、ただ二人が眠る墓の前に立っていた。
「君がマリアちゃんだよね?おじさんは日本の警察に勤めている崎田と言うんだ。君のこと、ご両親から聞いているよ。日本に来ないかい?」
 墓の前で佇むマリアに声を掛けた男性は、自らを崎田と名乗った。
「私は、イギリスでこのまま生活する……。学校のこともあるけど、日本は……私には合わないから」
「でも君は日本人でしょう?いずれ日本に来るのなら、早めのほうが……」
「四歳の時に一週間だけ日本に行ったんだ……でも、私には住みにくいところだった。……大人になって、日本へ行きたいと思ったらその時に勝手に行くよ……私は一人でも大丈夫だ……」
 マリアはそういうと、墓の前から静かに立ち去った。
「変わった子だな……やはり、普通じゃないからか……」
 崎田は慌ててマリアの後を追うと、名刺だけを渡した。捨てるわけにもいかず、それを受け取るマリア。


 誰もいない、静かで寒い家の中。リビング中央ではマリアが佇む。
How I will live myわたしはこれから life in the futureどう生きていこうか……」
 彼女は荷物をまとめ、家を出る。
 向かった先は、ある研究施設だった。
「Professor, I'm alone now教授、私一人になった……」
You can rest assured君には私がついているから that you have me with you.安心しなさい
 マリアはその男性に微笑む。



「日本か……なんか昔とは違うな」
 時は過ぎ、マリアは大人になった。
 イギリスの大学を飛び級で卒業し、その後は研究機関に所属し研究に明け暮れるも、教授が他界したことによって、人間関係を円滑に進めるための潤滑油がいなくなった。
 人間関係が悪化し、居心地が悪くなった彼女は仕方なく研究施設を退職。
 十五歳の時に出会った崎田と言う男に会うために、マリアは日本へやってきたのだ。
「相手が私のことを覚えてるかは分からないけど、まあ、会うだけあってみるか」
 キャリーケースを転がしながら、マリアは目の前にそびえたつ警視庁へと入っていく―――。
しおりを挟む

処理中です...