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最終話 神が授けた者

Episode1

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 あれからマリアは研究室にずっと閉じこもっている。
 黒田を筆頭に、マリアを知る人物は毎日のように様子を見に行く。だが、あの日から一度も誰も彼女の姿を目にすることはなかった。
 六階を私物化しているマリア。そこには扉が一つしかない。。
 マリアはそれに厳重に鍵を掛け、カーテンも閉めていた。“六階”は完全に彼女の要塞と化していた―――。

「俺……最悪なことを……。先生のこと、黒田警視監から任されたのに、申し訳ありません……」
「君のせいじゃないよ。マリアの特性、いや……性格上こうなることは予測できる。でも、あの子にとってこれは……デリケートな問題だったんだ。それに触れたことは私ですらない。マリアが感情をあらわにするのを、私は初めて見たかもしれないな……君に出会って、あの子は確実に変わった。青井、これからもあの子を頼むよ」
 マリアを傷つけたことで、彼女とのバディを解消されると思っていた暁人。黒田からも厳重注意以上のことがあると身構えていた彼にとって、その言葉は意外過ぎるものだった。
「……良いんでしょうか……俺がバディで……」
「君以上に適任な人間はいないさ。マリアがあだ名ではなく名前で呼ぶ人間など、私はこれまでに見たことがない。あの子にとって君は……特別なんだ」
 自分が、マリアにとって特別……?傷つけてしまったのに、まだそう思ってくれているのか、まだ……名前で呼んでくれるのか……。彼の心は波打っていた。
「よし、じゃあ二人でマリアのところにでも行くか?どうせ一人だと行けないんだろう?」
「え……」
「君があれからマリアと会っていないことなんて、聞かずとも分かるさ。ほら、動くから用意しなさい。その前に差し入れでも買っていこうか。きっとあれを渡せば、マリアも姿を現すに違いないよ」
 黒田はスーツジャケットを手に、暁人の肩を叩く。
 渋々立ち上がり、荷物を手に、彼は黒田の後についた。



「マリア、今日は差し入れを持ってきたんだけど……一緒に食べないか?」
 黒田が声を掛ける。だが、返事はない。ドアノブを回しても扉が開くこともない。
「マリア、開けてくれないと窓ガラス割るけどいい?」
 さすがにそれは……と声を出す暁人に、立てた人差し指を口元に当て、「いいからいいから」といたずらに微笑む。
「……ここの窓はIHSの警察支援機材課が作った超硬化ガラスだ。簡単には割れない……火を使っても溶けたりしないよ」
 部屋の中から、ぼそぼそとしたマリアの声が聞こえてくる。声を聞いたのはどれくらいぶりだろうか。それだけで涙が出そうなほど、嬉しさを感じる。
「だったら開けてくれないか?マリアの好物のゼリーも買ってきたんだけど……食べないか?」
「……それってNoelノエルの……?マスカットのゼリー?」
 扉が開くのと同時に、マリアの声が聞こえた。
「そうだ。食べないか?人数分あるんだ。一緒に食べたいと思って買ってきたんだが……」
 彼女の目の前に、ゼリーの箱を掲げた黒田。
「……それだけ食べる……」
 マリアの“城壁”は黒田の手によって、いとも簡単に崩れ落ちたのだった。
「何で電話に出ないんだ?」
「出たくないから」
「メールの返信もないな」
「してないから」
「いろんな人が来てるのに、なんで顔すら見せないんだ?」
「会いたくないから」
「食事は?」
「食欲ないから……」
 黒田は一言ずつ、マリアとの会話を始めた。
「何で閉じこもってたんだ?」
 マリアは再び口を閉ざした。
「理由はあるだろう?」
 彼女はうつむき、何も話さない。
「マリア先生……申し訳ありません……俺のせいで先生は……先生を傷つけてしまって本当に申し訳ありません……!」
 暁人はマリアの前に土下座した。彼なりの精いっぱいの謝罪だった。
「……暁人……」
 マリアはまだ、彼を名前で呼ぶ。それが何よりも、今の彼にとっては嬉しいものだった。思わず涙がこみ上げ、「先生……」と彼女を見る。
「私には重大な秘密がある……それを、暁人は知ったんだよね……」
 彼女の言葉に、暁人はうなずくしかできなかった。
「私は……その秘密を誰にも話したことはない。もちろん、私の過去を知っている人間は何人かいるが、彼らが話すことはない。話してしまえば、自分の立場が危うくなるだけじゃないからだ……それくらい、私が持ってる秘密は重大なんだ……」
 マリアは話を続けた。
「暁人、お前はこの話を……どこで知ったんだ……?誰かに聞いたのか?」
 彼は一瞬、言葉に詰まる。だが、マリアが知りたがっている。彼は、固く結んだ口を緩めた。
「中崎から……北海道にある潰れた研究所のことを……」
「中崎……?もしかして、女子高生連続誘拐事件の中崎か?」
 マリアにそう問われ、彼はうなずいた。
「北海道の研究所ってことは……あいつは本当に知っていたのか……を……」
 マリアは悲し気にそう呟く。
「マリア先生……」
「暁人、私はね……なんだよ……」
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