幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

文字の大きさ
23 / 183
今宵もリッチな夜でした

その23

しおりを挟む
 その日もいつもと同じ帰り道を、美香は友人らと歩いていた。
「んでさー、その服屋の店員が割といい感じでさ、あたし、今度声掛けてみようかな?」
「よしなって。カモられに行くだけだよ、そんなの。知らない間にあれこれ貢いじゃってさ、気付いたらすっからかんになった挙句、なびいても貰えないってオチ」
 顕子と昭乃がいつもと変わらぬお喋りを続ける横で、美香は黙って歩いていた。
 その内に、昭乃が声を掛ける。
「おーい、どうしたの、美香? 何か変だよ、あんた?」
「……え?」
 美香が、遅れて顔を上げた。
 その時、彼女の周囲には誰の姿もすでに残っていなかった。
 直前まで辺りを囲っていたと思っていた繁華街の喧騒すらも、今や跡形も無い。
 未だ明かりの灯されぬ民家が道の左右を囲い、通り掛かる者の影の一つも見当たらない。
 赤い、いつになく赤い斜陽が、家々の屋根の向こうに沈もうとしていた。
 灰色のアスファルトに、一つきりの影法師が長く引き伸ばされる。
 辺りをしばし見回した後、美香は顔を前に戻した。
「そっか……」
 もう大分前に友人達とは別れた事を、美香は思い出したのであった。
 何故だろうか。
 家まで続く良く見知った筈の道が、今日は何処までも果てしなく伸びているように思える。
 少しして、置き去りにされたような孤影はまた道を歩き始めた。
 空の半分以上が朱に染まっていた。西の空に浮かんだ雲はどれもべにを吸った綿のように朱く染め上げられ、沈み行く日輪が鋭く放つ末期の雄叫びのような光に感化されている。
 かばんを両手に抱えたまま道を一人歩き続けた美香は、しばらくしてふと顔を上げた。
 前方に一個の人影があった。
 いつからそこにいたのか。
 果たして何処から現れたのか。
 美香の進路上に立つのは随分と小柄な人影であった。して広くもない道の真ん中にたたずみ、こちらが近付いて来るのを待っているかのように動こうとしない誰かを、美香は不思議そうに眺めた。
 それでも彼女は自分の家の方向へと歩を進める。
 そうして少女が道に立つ小柄な人影と擦れ違おうとする直前、相手は唐突に口を吊り上げた。
「今晩は、お姉さん」
 流暢なその言葉は、美香の脳裏に直接響いた。
 突然の事にはっとして足を止めた美香の横で、フェドセイは相手を見上げて不敵に笑った。
 その刹那、深紅の斜陽が血のような光を放った。
 地平の向こうに落ちようとする日輪を背にした小兵の人影は、全身の輪郭をくれないに染め、しかるにその顔には深い陰をまとわせて、突然の事に戸惑う少女を凝視している。
「君とは前にも会ったね。御免よ、昨日は。生憎うちの下っ端共と来たら、おつむの弱いのばっかりそろってるんだ。襲撃を仕掛けた際に同じ人間が二度も現場に居合わせたのを、誰もこれっぽっちも不自然とは思わないんだ。心底呆れたよ、あの能天気共には」
 相手の発言の内容は判らないまま、それでも言い知れぬ不安に押されて、美香は道の真ん中に立つ少年からじりじりと後退あとずさった。
 その美香へとぴたりと視線を据えて、フェドセイは言葉を続ける。
「君の事をよく知っていれば、最初に見掛けた時にしかるべき対処をしておいたんだけどね。だから、埋め合わせという訳ではないんだけど、今度はきちんと役に立って貰うよ」
 頭の中にじかに響く声に押されるようにして、美香は尚も後ろへ下がる。
「だ、誰? あなたは?」
「君を取り扱う者さ」
 そう言ってのけたフェドセイの足元から、赤黒い影が猛然とあふれ出した。斜陽を照り返す灰色のアスファルトの上を滑るようにして、うごめく異形の影は怯える少女へと一直線に突き進む。
 家々の陰へ隠れようとする落陽が、血涙のようなきらめきを放った。

 そしてその日も日は落ちて、残照の輝きが西の空に吸い込まれ行く頃、リウドルフは職員室の端の方に割り当てられた机で翌日の授業内容の確認を行なっていた。
 諸々の部活動も終わり顧問の教師達も相次いで職員室へと戻って来る中、リウドルフは化学の教科書をパラパラとめくりながら、やる気が何処まで篭っているのかはなはだ怪しい眼差しを化学式の羅列へと注いでいたのだった。
 他の席ではやはり同じく翌日の授業の準備を進めている教師や、日直日誌に目を通している担任教諭の姿も認められる。
 その中で特に誰と言葉を交わすでもなく自身の作業を進めていたリウドルフは、ややあって机からふと顔を上げたのであった。
 かすかな羽音が職員室に漂っていた。
 耳障りと評すには小さいが、無視するにしてはいささか大きな音であった。
 そもそも壁の窓は皆閉められ、廊下へ通じる扉にもわずかな隙間も設けられてはいない。
 にも拘わらず、何処かから漂って来る虫の羽音に、リウドルフは職員室に居合わせた教師達の中で一人怪訝けげんな表情を浮かべたのだった。
 と、そのリウドルフの目の前に、彼の机の上に一匹の虫が矢庭に降りて来る。紡錘形の鋭い外殻をさらす、銀色の甲虫である。
 リウドルフが教科書をめくる手を止めそちらへと顔を向けた先で、銀色の甲虫もまた彼の方へと頭を持ち上げた。
『やあ、やっと会えたね、錬金術師アルヒミク
 髪を短くそろえた女性教諭が、廊下の見回りに出掛けるべくリウドルフの席の後ろを通り過ぎた。
 リウドルフは、恐らくはこちらの意識にのみ直接語り掛けているのだろう『虫』へと、面白くもなさそうな面持ちを向けていた。
 当の『虫』は周囲の反応など最初から歯牙にも掛けぬ様子で構わず言葉を続ける。
『僕は、いや、面倒な自己紹介は後にしようか。察しは付いてるだろうが、君に用がある者だよ。君の特別な技能を見込んで一つこちらの頼みを聞いて貰いたい。付いて来てくれるかな? 君の大事な生徒も到着を待ってるよ』
 そう告げると『虫』ははねを広げ、リウドルフの真上の天井に飛び付いたのだった。
 そうしてこちらを監視する相手を少しの間見つめ返してから、リウドルフは椅子の背もたれに億劫そうに寄り掛かったのであった。
 蛍光灯の白々とした光が職員室には満ち満ちていた。
 他の教師達の談笑が聞こえて来る中、リウドルフは左手を蟀谷こめかみの辺りにおもむろに添える。
 次いで、彼は口を小さく開いた。
「……Codeコート,Direkte Verbindungディラクト・ファビンドン
 ささやくような呟きがそこから漏れた。
 椅子に寄り掛かり、左手の指先を頭に添えた姿勢のまま彼は脳裏で形ある思念を結ぶ。
「……不測の事態が起きた……いや、全くの不測という訳ではないが、兎に角非常事態だ……すぐに支度しろ……」
 黙してそれだけを告げてすぐ、リウドルフは椅子から立ち上がった。
 彼の頭上では、天井に逆様に張り付いた『虫』が一連の様子をじっと凝視している。
 そして夜の職員室の片隅で、リウドルフは乱れ放題の頭を乱暴にむしったのであった。
「……あーあ、ちょっと遅かったかぁ! 全く、ただの嫌われ損じゃないか、これじゃあ!」
 唐突に大声を上げてわめき散らしたリウドルフを、他の教師達が驚いた様子で見つめた。
 いささか気まずい沈黙が、職員室内に急速に広がって行く。
 他方、そんな空気も同僚の遣す視線も意に介する素振りものぞかせず、リウドルフは実に不満げな表情をたたえたまま席を離れると早足に職員室を後にしたのだった。
 投げ出すような雑な足音が、廊下の奥へと消えて行く。
 窓の外にのぞく校庭の向こうでは西の空の果てに残照も吸い込まれ、ただ黒々とした夜空が無表情に天上を覆い尽くしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

10秒で読めるちょっと怖い話。

絢郷水沙
ホラー
 ほんのりと不条理な『ギャグ』が香るホラーテイスト・ショートショートです。意味怖的要素も含んでおりますので、意味怖好きならぜひ読んでみてください。(毎日昼頃1話更新中!)

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

処理中です...