幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

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今宵もリッチな夜でした

その31

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                  *

 『そこ』は、実に薄暗い一室であった。
 光源と言えば、壁に点々と灯された蝋燭の発する仄かな明かりのみであり、等間隔に輝くそれらが広々とした部屋の輪郭を辛うじて照らし出している。
 光の充分に行き渡らない部屋の中心には八角形の大きなテーブルが置かれ、辺の部分を囲うようにして八つの人影が席に着いていた。薄暗い中、隣の者の顔形すら判別としない室内にあって、彼らはその眼差しをそろって一点へと据えていたのだった。
 即ち、部屋の下座に当たる席に腰を下ろした月影司へと。
「……報告は以上か、『シュオー』?」
「はい」
 自身の真向かいから寄せられた問いに、司は首肯しゅこうして見せる。彼は今、黒地に白い縁取りを施した八卦衣をまとっており、頭には黒い冠巾ときんを頂いていた。
 八卦を模したテーブルの上座より、低く重い声がまた遣される。
「なれば汝の所見を述べよ。此度こたびの一件、首尾は如何なものであったか?」
「は……」
 今は眼鏡を外している司は、両のまぶたを一度閉ざした。そして数秒の黙考を経てから目を開くと、彼は暗がりにもよく通る声で返答する。
「発端より問題にもなってはおりませんでした。一つの負荷試験として捉えても、はなはだ不十分なものであったと言わざるを得ません。控え目に申し上げて、話にもならぬという評価が妥当かと」
 暗闇に幾つもの嘆息が漏れ出た。
 八角形のテーブルの各所から嘆きの呟きや舌打ちの音が相次ぐ中、司の真向かいより今一度問いが重ねられる。
「……なれば、『あれ』の所在は未だ手掛かりさえ掴めぬという事か? 『彼奴きゃつ』の秘匿せし至宝中の至宝、我々が知り得る唯一の成功例……」
 そこで言葉を一度切り、上座に座る何者かは重々しくゆっくりと次の単語を吐き出す。
「……の『賢者の石』の在処は?」
 場に沈黙が流れる。
 その最中、司は首を左右に振るのだった。
「誠に以って遺憾ながら。こちらが如何に手を尽くして情報を漏洩させようとも、それに食らい付いたのが砂塵の一粒にも劣るはぐれ者の幽鬼一匹とあっては、『あの男』がわずかでも尻尾をのぞかせる間隙も土台生じ得ぬかと……」
「左様か……」
 沈んだ声が相槌を打った。
 壁際に掛けられた蝋燭の火が、ゆらゆらと揺れる。
 ややあって、上座に座る何者かは司へと再び呼び掛ける。
「なれば『シュオー』、引き続き監視の目を緩めるでないぞ。此度こたびの一件、国連を始めとする新参者共に気取られた様子はよもやあるまいな?」
 司は今度は首を縦に振った。
「無論、全ての痕跡は消去しておきました。我が『剋天會ケイティエンフイ』に繋がる足跡は皆無であります」
れば良い。二足の草鞋、今しばし履き続けよ」
「仰せのままに、『師父シーフー』……」
 司がこうべを垂れて答えた直後、壁際の蝋燭が一斉にき消えた。ただ一つ、司の席の横手に掛けられた燭台を除いて。
 他が完全な暗闇の覆うばかりとなった室内に他者の気配は最早無く、その中で一人残った司は少ししておもむろに姿勢を戻す。無音の闇が辺りを包む中、八卦の席の一つに着いた司は壁際のか細い火に半面を照らされて、何処までも冷たい眼光を双眸そうぼうに収めていた。
 厳冬の荒野にきらめく月のような、それは冷厳たる眼差しであった。

 そしてその日も日が昇り、いつもと変わらぬ朝が訪れたのであった。
 マンションの自室にて、リウドルフはいつもと変わらぬ苦言を呈する。
「だから、いつまでやってんだ、お前は! もう朝だぞ朝! 三日目の朝だ!」
 顔にメイクを施したリウドルフは、ワイシャツとスラックスを着た所でリビングに憤然と立っていた。
 他方、窓辺の一角を占拠し、マルチディスプレイの前でマウスとキーボードを動かすアレグラは、非難を浴びて実に億劫そうに首を巡らせる。
「だあって、明日の明け方に臨時メンテが入る事になったんだも~ん。それまでに少しでもスコアを伸ばしておかなきゃ、メンテ中にぐっすり眠れないでしょ~? 九十六時間戦えますかー!」
「戦わんでいいわ! 虚構も現実も平和が一番だ!」
 非難を他所よそに相変わらずの下着姿でゲームに熱中するアレグラの横で、リウドルフは額を押さえて溜息をついた。
「……全く、この二百年ばかりの間に人間のだらしない側面をどうしようもないまでに身に着けて……」
 制作者の嘆きをして気に留めた様子も無く、床に置いた袋から摘み上げた芋けんぴを口に咥えて、アレグラは大袈裟に目を逸らしてうそぶく。
「そりゃま、あたくしも今に至るまでにはそれなりに色々とあった訳ですし~? つか、貴方の『切り札』である以前に一人の『人間』でもある訳だしィ~?……となれば、ま、多少は羽目を外してもねぇ?」
やかましい!! これが『多少』で収まるか!! このハイスペック駄目人間!!」
 リウドルフがそう喚いた所で、玄関で呼び鈴が鳴った。
 ベランダから朝の日差しが差し込む中に、矢庭に舞い込んだ電子音は実に軽妙に鳴り響いたのであった。リビングの二人も咄嗟とっさいぶかる面持ちを浮かべたが、ややあってからもう一度呼び鈴の音が届くに至り、リウドルフがそそくさと玄関へと向かう。
「おはようございまーす!」
 そして、リウドルフが自室の扉を開けた先、快活な挨拶を遣したのは通学かばんを抱えた美香であった。
「な、何だ? 一体どうしたんだ?」
 生徒の通学時間帯に差し掛かるには少し早い時刻に、現に目の前に立っている少女を認めて、リウドルフがにわかに面食らった表情を浮かべた。
 首筋に未だ包帯を巻いた美香は、それでもかげりの無い笑顔をたたえて、敷居を挟んで立つリウドルフへと説明する。
「やァ、ほら、こないだのお礼もまだちゃんと言ってなかったし、通学がてらお話でもしようかなと」
「いや、お話って……」
 戸惑い気味に言葉を濁すリウドルフの後ろから、その時、明るい声が差し挟まれる。
「そりゃ良かった。じゃあ、ちょっと上がってってよ。お茶飲む程の時間は無いけど、一息つくぐらいなら問題無いっしょ」
「はーい。サンキュー、アレねぇ
 リウドルフの体越しに提案を遣したアレグラへ、美香は快活に礼を述べたのだった。
「いや、お前、上がれって、どうしてそういう流れに……」
 尚もぶつぶつと呟く部屋の主人を同居人が脇に寄せ、通学途中の女子生徒は教師の住まいに意気揚々と上がり込んだのであった。
 美香が足を踏み入れたリビングは前と変わらぬ様相であったが、差し込む陽光によって照らし出される室内には透き通った空気が満ち満ちているようであった。
 キッチンの手前に置かれたテーブルの席の一つに腰を下ろした美香へと、アレグラが紙パックからグレープフルーツジュースをグラスに注いで差し出す。先程、茶を飲む程の時間は無いと言いつつしっかりと歓待するアレグラの様子を、リウドルフが一人、取り残された体で眺めていた。
 ベランダの手すりに留まった雀が、小首を傾げて部屋の内部をのぞき込む。
「……で、何なんだ、さっき言ってた話ってのは?」
「え? ああ……」
 それまでアレグラとすっかり打ち解けた様子で談笑していた美香は、そこで顔を訊ねたリウドルフの方へ向けたのだった。
「まずは、この傷の手当のお礼を言いたくて。病院ではあんまり顔を合わせられなかったから」
「ああ、まあ、そうだな……」
「どうも有難う御座いました」
「いや……そもそも俺のとばっちりだった訳だし、別にかしこまって礼を述べられる義理は無いが……」
 顔を逸らしてぶつぶつと言葉を濁すリウドルフを、美香は椅子から見上げていたが、少しの間を置いて今一度相手を顔をしっかりと見つめた。
「んでね、あれから色々考えたんだけど……」
 そして、少女は告げる。
「……センセ、あたしが友達になってあげよっか?」
「は……?」
 正に豹変と呼ぶに相応しく、驚愕の面持ちをリウドルフは瞬間的に貼り付けていたのだった。
 美香の隣に立ったアレグラが意地の悪い、しかし、心底楽しそうな笑みをぱっと浮かべたのとは対照的に、言われた当のリウドルフはひたぶるに周章狼狽する。
「な、な、一体何を言い出すんだ、お前は!? そんな事言いにわざわざ来たのか!?」
「えっ……そんな事って、結構酷くない、今の!?」
「大人をからかうなって意味だ!」
 不満げな表情を浮かべた少女へリウドルフは叱り付けるように言ったが、それでも美香は食い下がる。
「や、あたし結構真面目なんだけど……だって、センセ、ずっと一人ぼっちなんでしょ? やっぱ良くないって、そういうの。一人切りで悩みを抱え込んでウジウジしてるばかりじゃ、何も変わらないよ? 誰かと一緒に笑い合ったり、たまには愚痴ったり、そういう前向きな生活の積み重ねが解決に繋がってくと思うんだけど」
「一人で何とでもなる、それぐらい!」
「だから、ほら、そういうのが良くないんだって」
 徹底して突っねる相手へ苦言を呈した後、美香は顎先を引き、上目遣いに年上の男を見つめる。
「……それとも、あたしみたいなのは虫が好かない訳? 根本的に反りが合わない感じ?」
 食い下がるような、あるいは食い入るような真っ直ぐな眼差しを浴びて、リウドルフは天井を一度見上げると、眼前の少女へと目を据えて過分に説教じみた口調で言葉を並べ始める。
「……ちょっと待て。俺は五百年前の亡霊で、お前は今を生きる前途ある若者なんだからな? くれぐれもおかしな考えを起こすなよ?」
「え? 別におかしくないでしょ? センセだって一人の人間である事に変わりは無いんだから……見た目は確かにアレだけど……」
「……そうじゃなくて、曲がりなりにも俺は学校の教師で、お前はそこの生徒なんだぞ? 判るか、言ってる意味が?」
「だから、身近な相手でいいじゃない。顔を合わせる機会も多いんだし」
 あっさりと言ってのけた美香に、リウドルフは呆れた顔を浮かべる。
 と、その時、それまでの遣り取りを含み笑いを漏らしながら聞いていたアレグラが、実に愉快そうに美香の肩を幾度か叩いたのであった。
「いやいやいやいや、何事も障害があった方が面白いよねぇ~? よく言ったよ、君は。あたしも陰ながら応援しちゃ~う」
「ほんと!?」
「横から適当な事を抜かすな!!」
 二種の異なる叫びがリビングに木霊する中、赤毛の女は椅子に座る少女の両肩に手を置き、その耳元へとささやき掛ける。
「……ま、相手があれじゃあ色々苦労するとは思うけどさ、どうか滅気めげずに付き合ってやってみてよ。あいつもほとほと独りでいる事に慣れちゃってるから」
「……うん」
 優しげな声援を受けて、美香は一瞬遅れて満足げな微笑をたたえた。
 他方リウドルフは憤懣遣る方無い様子で、目の前で何やら密談を交わす女二人に食って掛かる。
「おいこら、お前らで何を盛り上がってるのか知らんが、俺にはこれでも大人としての体裁や世間体ってものがあってだな……」
「も~、さっきからうっさいなぁ~……人の決意に水注すもんじゃないっての。体裁や世間体なんか気にするような人生送って来たの、そもそも? いいじゃん、別に。折角のセカンドライフなんだから、前の人生とはちょっと違った生き方をしてみても」
「随分と気軽に言ってくれるな、お前……」
「大体、そんな騒いでるとまた仮装が剥がれるよ? 前も野戦病院で化粧が剥げて大騒ぎンなって、ほとぼり冷ましにこの国に来たってのに」
 リウドルフへと面倒臭そうに言い捨てた後、アレグラは再び美香へとささやく。
「……あたしはずっとそばで見てる事しか出来なかったからね。結局さ、あの人も上手く回ってないってのは判ってるんだよ。だからこそ、身内にはどうにも出来ない事もある訳。あたしみたいに、初めからはっきりした目的を与えられて生み出されたようなのには、ああいう生き甲斐を見失って彷徨さまよってる人の力には、どうしてもなってあげられないから……」
 共に歩んだ数百年の寂寞せきばくからか、それは少し寂しげな物言いではあったが、それでもアレグラは瞳に幾つもの光をたたえて柔らかに告げたのだった。
 背を押された少女は、ゆっくりとうなずく。
「……判った。任せて、アレねえ
「ああ、もう知らん! 兎に角俺は出勤するぞ!」
 呆れてか慌ててか、リウドルフが背中を向けて玄関の方へ向かおうとする。
 それを美香も席から腰を上げて追い掛けた。
「あ、じゃ、あたしも行く。そこまでなんだし、一緒に行こうよ」
「馬鹿、よせ! 普通の接し方で充分だ!」
「だから、これが普通の接し方だってば」
 口先を尖らせて指摘しつつ、美香はその痩せた背を追い掛ける。
 漠然とし過ぎた、あまりにも朧げなものであったが、一つの予感のようなものを彼女は抱いていたのだった。
 この人と一緒に歩いて行けば、この先はきっと上手く進んで行けそうな気がする、と。
 ベランダの手すりに留まっていた雀が、また空へと羽ばたいた。
 春の日差しが眩しさと温かさを次第に増して地上へと降り注ぐ。
 マンションの玄関先の花壇に生けられたペチュニアが、気持ち良さそうにその光を浴びていた。

                 〈今宵もリッチな夜でした 了〉
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