幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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またもリッチな夜でした

その21

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 周囲から伝わる空気清浄機の駆動音とは裏腹に、通路の一角を流れる空気は、にわかに凝固を始めたかのようであった。
 険しい面持ちを浮かべたリウドルフと冷ややかな表情をたたえるアレグラがすぐ隣に立っている事実を別とすれば、困惑の極みに置かれた美香の周囲で、場の雰囲気は今にも音を立てて凍り付きそうであった。
 少し前方で、何処かの病室を仕切る扉に手を差し出した姿勢で、叔子もまた驚愕の面持ちを以って、突如として現れた闖入者達を見つめていた。
 白いパジャマに、つややかな黒髪が良く映えている。
 これまで病室で談笑した時と何ら変わらぬ相貌を視界に収めて、美香は大きく戸惑った。
 その時、種々の疑念をわだかまらせていた美香の脇を、動く影が素早く通り過ぎた。
 はっとした美香が視線を移せば、彼女の後ろから駆け出した亮一が妹の方へと一路懸命に駆けて行く。
「兄さん……」
「叔子! めろ! 止めるんだ!」
 必死の形相で妹の下まで走り寄った亮一は、まくし立てるように呼び掛ける。
「今は待て! 今は! 何もそんなに慌てて精気を補給しなくてもいいだろう!? どうしても必要だと言うなら、俺の活力を吸い上げればいい! そうすれば……!」
「駄目ッ!!」
 亮一が嘆願を向けた先で、叔子は悲しげに叫んだ。兄へ真っ直ぐに向けた眼差しと同様の、突き刺すような貫くような悲痛な叫びであった。
「来ないで! あいつが目覚めてしまう! あいつがまた……!」
 訴えの終わらぬ内に、場に変化が起こった。
 リウドルフの足元、細い体躯の下方にかすかによどんだ影から黄色い光が突如して立ち昇り、それば彼の右手に携えられた黒衣へと即座に吸い込まれた。そしてほとんど間を空けず、骨化した右手に掴まれていた黒衣がもぞもぞとうごめき始め、それは仮面を被った黒衣の怪人の姿となって活動を再開したのであった。
「え……」
 『それ』を認めて、美香は表情を強張らせた。
 確然とした事実であるが故に余計に悪い冗談じみた事態であった。滑稽ですらある極端な短躯が、リウドルフの手元から実に軽やかに舞い上がったのである。先刻の戦闘で負った損傷によりその背丈は半分以下に縮まってはいたが、仮面の『怪人ファントム』は軽やかな動き自体に遜色は無い模様で病院の廊下で突如として復活を遂げたのだった。
「ちょっ……!?」
 驚いて飛び退いた美香の前を速やかに通り過ぎ、黒衣の怪人は一同の後方へ、ベージュの廊下の奥へと一目散に逃げて行く。床の少し上を滑空するようにして離れ行く黒衣の異形へ叔子と亮一、そして美香はそれぞれに怯えた眼差しを送っていた。
「駄目! 駄目よ! 『あいつ』を、『あいつ』を逃がさないで! 私はどうなってもいい! でも、『あいつ』は! 『あいつ』だけは!」
 亮一のかたわらから、叔子が遠ざかる怪人に手を差し伸ばして懸命に叫んだ。
 その前方で黒衣の怪人は、さえぎる者も無いベージュの通路を奥へと吸い込まれるように速やかに遠ざかって行く。
 しかし、
「……それだけか?」
 鼻息交じりの短い呟きが、一同の中程から上がった。
 背中越しに白けた口調で独白して、リウドルフは骨化した右手の指を打ち鳴らす。乾いたスナップが廊下の一角に響いたのと時をほぼ同じくして、別の乾いた音がベージュの壁にね返った。
 直後、宙を低く舞って逃げ延びようとしていた黒衣の怪人は、出し抜けにその場に崩れ落ちる。配線に異常を来したドローンのように仮面の怪人は空中で唐突に活動を停止し、床の上に呆気無い程容易たやすく落下したのであった。
 一行の最後尾で目を丸くした美香の見つめる先で、少しして、床に崩れ落ちた黒衣の隙間から何かきらめく物が床を転がり始めた。
 未だ驚きの解けない美香の方へ転がって来たのは、子供の拳程もある透き通った球体であった。複数の大きな亀裂が走ってはいるが、本来は無色透明であるはずのガラス玉のような物体である。
「思いの外頑丈な『心臓』だな。てっきり木端微塵になると思ったが。こうした小道具も質を求め始めればきりが無いんだが、最低限の品質でもそれなり以上の役割は果たせたと言う訳か」
 天井からの光を受けて輪郭を輝かせる水晶球を、リウドルフは肩越しに一瞥した。
 美香は自分の少し手前で動きを止めたひび割れた水晶玉を見下ろして、おずおずと口を開く。
「な、何なの、これ……?」
「『それ』がる意味では『怪人ガイスト』の『正体』だな。仮初かりそめの体の『核』を成す物だ。魔力や霊魂を封じ込めるには、古来よりこの様な宝珠が用いられて来た。それを『心臓部』とした活動用の義体にして仮の『棲処すみか』、至極単純な作りの『魔傀儡ゴーレン』……市内で跳梁を繰り返していたものの実体が、これだ」
 リウドルフは背中越しに答えると、前方で狼狽うろたえる亮一へと問い質す。
「こんな粗末な水晶でも取りえずの憑代よりしろとしては機能するらしい。これに宿る事で短時間ならば『本体』の下を離れても活動出来たようだ。こうした小道具の準備や製法も『そいつら』から教わったのか?」
 そう訊ねた後、答えを待たずにリウドルフは視線を少しずらした。
 即ち、すがるべき兄の隣で怯えた表情を今も浮かべる少女へと。
 リウドルフの目付きが一転して鋭いものと化す。
「猿芝居もいい加減にしろ。今更こんな小細工で疑いを逸らせると思うか? まして敵の手に一度渡った物に何の細工も施されていないとでも思ったのか? 『貴様ら』の中でどんな序列や役割分担が成り立っているのか知らんが、今となっては蜥蜴トカゲの尻尾切りにすらならん。『自分』の無駄遣いだ」
「何? 一体何を言っているの? 私は……!」
 眼光共々威圧的な言葉を向けるリウドルフの前で、叔子は兄の袖を掴んだ。
「兄さん、何なの、あの人は!? 私、怖い! 追い返してよ! ねぇ!?」
「叔子……」
 すがられて困惑する亮一の向かいで、リウドルフは顎先をわずかに持ち上げる。
「いよいよなり振り構っていられなくなったか。だが、それは『こいつら』にしても同様であるらしいぞ」
 リウドルフが挑発気味に言い放った直後、彼の後ろで床に転がっていた水晶玉が二つに割れた。
 その刹那、砕けた水晶球から不気味な黄色の光が噴出し、空中へと躍り出たのであった。
「やだっ!?」
 反射的に身を縮こまらせた美香を、アレグラが素早くかばう。宙に浮かんだ黄色い光の塊は、そんな両者の横を通り過ぎて廊下を飛翔した。
 その一瞬の事であった。
『き、きき、消え消え……!』
『消えてしまう……!』
『ここのままではは、消えててしまう!!』
『わたわた私が、私達がああああ!!』
 不気味にこもった声が廊下の只中に出し抜けに生じた。
『消消消消、消え消え……!』
『いいい嫌、嫌だ、だだ!! 消えたくななない!!』
『消えたくないいいいいいーッ!!』
 折り重なった悲鳴が、黄色いよどみから周囲へと撒き散らされた。
 聞いた憶えのある響きに、美香も思わずそちらへと目を向ける。そして小さなもやのような黄色い光が眼前を通り過ぎる瞬間、美香は初めて『それ』の詳細を目の当たりにしたのだった。
 禍々まがまがしい輝きの中に、微妙な陰影とは異なる紋様のようなものが見て取れる。
 黄色く濁った光を形作っていたもの。
 それは無数の人面であった。
 不気味に輝き、絶えず揺らめく光の中に、大小様々の苦悶の形相が浮かび上がっていた。
 『男』とも『女』とも、『子供』とも『老人』とも付かぬ、しかるに『人』の相貌と明らかに判る異様な形が、発光する物体の表をびっしりと覆っていた。木目が人の顔に見えて来るような錯覚とは異なる、はっきりとした実態と詳細を美香は至近距離で確かに目視したのであった。
 戦慄する少女の前を通過して、黄色く発光するもやのような『それ』は、空間のある一点へと向けて速やかに移動する。さながら日陰を求めてい進む毒虫のように、不純にして不浄なる『もの』は一心不乱に飛翔した。
 そして空中を逃げた黄色い光は、程無くして元来た場所へと吸い込まれたのだった。あたかも濁った油同士が触れて溶け合うように自然と、妄執の塊たるよどんだ魂の群は彼らの『巣』の中へ戻ったのであった。
 アレグラの脇からその様子をのぞいた美香は一瞬驚き、次いで苦しげに眉間を歪めた。
 彼女の見つめる先で魔性は遂にその実体を現した。
 不気味な黄色い光が、死肉をい回るうじのように絶えずうごめきながら小さな体躯の隅々からあふれ出している。これまで幾度いくどか目にして来た不浄な輝きよりも、更におぞましく強烈な妄執のうねりがそこから発散されていたのだった。
 幼気いたいけな面差しなど最早見る影も無い。
 一同の前で、『叔子』は底光りする双眸そうぼうを目の前に居並ぶ敵へと据えていた。
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