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またもリッチな夜でした

その22

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 咄嗟とっさの出来事に、一同の中で表情を変えなかったのはリウドルフとアレグラのみであった。
 残る二人、美香と亮一は、それぞれに驚愕と苦悶とを表情に乗せて『それ』を凝視していた。今や生者の列からも外れ、それでいて死者の帳簿に名を加える事も拒否したまま、現世をうごめく異形と化した一人の少女を。
 『それ』は、宮沢叔子と言う名の少女であった『それ』は、向かい立つリウドルフへと敵意に満ち満ちた目を向けた。
『い、いいいつ』
『いつ、いつつ、いつ』
『いつ気付いた?』
 奇妙に重なり合った声が、叔子の身を覆う黄色い光の内側から漏れ出した。
 リウドルフは目をわずかに細め、眼前の亡者へと答える。
「最初から、と言いたい所だが実はそうでもない」
 その口調はくまでも平淡であり、取りも直さず冷徹であった。
「病院内で時折妙な気配を感じる事はあった。『死せる者』特有のにおいとでも言うべきか。だが『貴様ら』も相当に『擬態』のすべに長けていたようだな。自分達自身では決して獲物を漁ろうとはせず、活動用の『子機』に自らの一部を乗り移らせる事で『本体』の維持に必要な精気をあちこちから集め続けた。お陰で不特定多数が絶えず出入りする場所柄である事を差し引いても、『本体』をはっきり特定するには至らなかった。事実、日中も絶えず見張りを置いていたにも係わらず、ついさっきまで見分け自体は全く付かなかったからな」
「そこはまあ、遺憾ながら……」
 後ろで、アレグラが口先を尖らせながら目を逸らした。
 リウドルフの眼差しに、そこで鋭さが宿る。
「ただ、『貴様ら』のような死霊が生者を装って活動するならば、その消耗は自ずと激しいものとなるはずだと踏んでいた。いずれ遠からず、尻尾をのぞかせるに違いないと。何の事は無い。俺が出入りする場所で次の宿主しゅくしゅなぞ物色しようとした事が『貴様ら』の運の尽きだったと言う事だ」
 決然と言い放ったリウドルフを、叔子であったものはじっと見つめる。
『何故故故故だ?』
『おお、お前前前も、わわ我らと似似似似似た存在ででああるはず……』
『ななな何故、邪魔をするするする?』
「何故だと? 人を……」
 心底心外そうに眉をひそめたリウドルフが何かを答えようとするより早く、彼の前に、さえぎるように亮一が駆け寄った。
「待ってくれ!」
 喉元に剃刀を当てられているかのような切羽詰まった表情で、彼は相対するリウドルフへと訴える。
「これ以上、こいつを追い込まないでくれ! こいつは叔子の、妹の命を握ってるんだ! 今こいつに強引な真似をされたら、妹は……!」
「いいや、当の昔に死んでいる」
 少年の言葉をさえぎり、死から蘇った賢人は断言した。
 亮一が、そして美香が、不意の発言に対して驚きに目を見張った。
 リウドルフは骨化した右手で、亮一の後ろにうごめく黄色い光を指し示した。
「元より『そいつら』に人を癒す力など無い。有しているのは死体に乗り移り、思うさまもてあそすべと、生者の活力を奪い尽くして同種の死霊へと変質させる力のみだ。お前の妹は『奴ら』に取り憑かれた時点で死んだのだ」
「違う!! そんな事は無い!!」
 突き付けられた宣告に、だが亮一は首を激しく横に振った。
 それから、彼は悲痛ですらある眼差しを、背後でうごめくものへと肩越しに向ける。
「叔子は! 叔子は、確かに昔から病弱だった! 小さい頃からずっと! 危篤になった時だって何度かあった! でも、でも、こいつが来てくれたお陰で持ち直したんだ!」
「『奴ら』がそのように見せ掛けていたと言うだけの話だ」
 くまで冷然と、リウドルフは亮一の言い分を突っねた。
「それが『そいつら』の常套手段なのだろう。重症に喘ぐ者の精気を吸い尽くして憑り殺した後、その体を奪い、偽りの生気をみなぎらせる事で周囲の目をあざむく。宿主しゅくしゅとなる者が重病から回復したかのように装っては周りの同情を誘い、近しい人間を食い物にして行く寄生虫共だ。そうして『そいつら』は、恐らくはいく世紀もの間、数多くの宿主しゅくしゅしもべを取り換えながら現世に留まり続けて来たのだ」
「違うッ!!」
 くまで頑なに、亮一はリウドルフの言葉を拒絶した。
 しかる後、少年はすがるような眼差しを後ろへと向ける。
「なあ……なあ、叔子……そうだろう? お前は、まだそこにいるんだろう? どんな形になっても……」
 眼前で展開される光景を、美香は痛ましい表情で眺めていた。
 あれが、あれこそがあの少年の素顔なのだろうか。
 だとしたら彼は今まで、胸の奥にどんな思いを抱えて学校で明るく振る舞い続けて来たのだろうか。
 誰かに打ち明ける事も、助けを求める事も叶わぬままに。
 美香が唇を噛んだ時、その後ろから不意に声が上がる。
「……誰だぁ? 廊下におかしな物を落として行ったのは?」
 背後から届いた愚痴のような言葉に美香が振り返ってみれば、一同の後方に一人の男が立ち止まって、床に残された怪人の残骸を拾い上げている最中であった。
 リウドルフらと同じ緑色の術衣スクラブを来て、アンダーリムの眼鏡を掛けた男の医師である。
 その男、巽泰彦は、道化師の仮面を摘み上げた所で前方の人集ひとだかりに目を留めた。
「……おや、クリスタラー先生じゃないですか? また見回りですか? そう頻繁に見に来なくても昨日の今日で……あれ? どうしたんです、その右腕は?」
 緊張感にいちじるしく欠ける実に場違いな声で質問を遣された先で、リウドルフは渋い面持ちを作った。
「また面倒なのが紛れ込んで……」
 彼がそこまで呟いた時であった。
 場に生じた寸毫すんごうの隙を見逃さず、叔子の内に潜むものは双眸そうぼうをぎらりと輝かせた。
『ば』
『ばばばばばばば』
『馬鹿め!!』
 瞬間、『叔子』の小さな体から暗灰色の霧のようなものが猛然と吹き出し、ベージュの廊下共々、居合わせた者達を一斉に呑み込んだのであった。
「何!? 何これ!?」
 狼狽うろたえる美香の視界は、一瞬後には一面が暗闇に包まれていた。直前までの景色も、周囲のかすかな光すらも塗り潰して、どす黒い色をまるで出鱈目に混ぜ合わせたようなもやが辺りを完全に覆い尽くした。
 それと同時に、美香の耳の奥底に怖気の走る呻き声が渦を巻き始めた。まるで日の光も届かぬ地下深くの拷問部屋から湧き立つ怨嗟の声のような呻きが、無防備な耳の奥に出し抜けに轟き出したのである。
 咄嗟とっさに耳を塞いでも、おぞましい声は尚も鳴り響く。辺りを囲うどす黒いもやもまた、まぶたを下ろしても肌へと焼け付くような感触を絶えず与えて来るのだった。激しい慟哭や意識を引き裂かんばかりの絶叫もじきに入り混じるようになり、さながら伝え聞く大叫喚地獄にでも足を踏み入れてしまったかのような状況であった。
「やだ! 何なの、これ!?」
 震える声を漏らしながら、美香はよろよろと数歩を後退した。知らぬ間に平衡感覚も侵されていたのか、体をわずかにかしけただけでも容易たやすく転びそうになる。
 いや、本当はすでに転倒しているのかも知れない。自分が、まだ病院の内部にいるのならばの話ではあるが。
 抑えようの無い吐き気が喉元にまで込み上げて来た。
 しかるに、そんな感覚も伝わって来るだけましかも知れない。
 手足の先端から自分の体温が落ち込んで行くのが判る。
 己の体が次第に冷たくなって行く。
 叔子に取り憑いた『もの』が何をしたのかは判らないが、あるいは憑り殺される時とはこういう感覚に陥るのであろうか。
 膝から力の抜け落ちた美香が、その場にうずくまり掛けた時であった。
「しっかりしろ!!」
 暗灰色のもやの向こうから、怨嗟の呻きを割いて強い『声』が伝わって来た。
 はっとして美香は目を見開いた。
 文字通り何処からともなく流れて来る声は、絶え間無く轟く叫喚の中で尚も訴える。
「これは錯覚だ! 奴らがこれまで溜め込んで来た断末魔の苦悶や恐怖を吐き出して浴びせ掛けているだけだ! たったそれだけの事だ! 吐瀉物にまみれたからと言ってそう容易たやすく死ぬものでもない! 気を強く持て!!」
 馴染みのある声で励まされて、美香は口元にふと笑みを浮かべたのだった。
「軽く言ってくれちゃって……」
 呟きながら、美香は顔を上げると、今も自分の前で渦を巻く、果てしの無い苦悶の覆いに目を据えたのだった。
「幻……幻なら……押し退ければいい……」
 荒い吐息の中でも根底は揺るがない堅い口調で、美香は独り言つ。それを追うようにして、彼女の瞳はにわかに色合いを変えて行ったのだった。
「あたしが、あたしが見たいのは……」
 焦げ茶色の双眸そうぼうが、次第に赤味を帯びて行く。
 血のように赤く、しかるに、それよりも更に鮮やかにきらめく深紅へと。
「……こんなものじゃない!!」
 刹那、少女の瞳は磨き上げられた紅玉のように、鮮烈にまばゆく輝いた。
 直後、美香の周囲から、暗灰色の靄は暁に溶け消えるように速やかに消失したのだった。
 そして、美香は立ち上がった。
 ベージュの廊下が前方を長く伸びて行く。
 空気清浄機の単調な音が、付近の空気を相変わらず震わせていた。
 元通りの場所に美香は立っていたのであった。
 安堵の表情を浮かべた少女の横から、その時、先と同じ声が掛けられる。
「ほう……思ったより早かったな」
 感心しているようにも、からかっているようにも取れる声は美香の脳裏に直接響いた。
 闇色の衣が風も無い中を絶えず翻っている。
 そちらへと首を巡らせた美香の斜交いに、『それ』は立っていた。
 黒曜石よりも黒い骨格を露わにし、本来の姿を晒したリウドルフが美香のすぐ前に立っていたのだった。
 肉も皮も削げ落ちた、骨のみによって成る体。
 恐ろしくも物悲しく、虚無的ながらも主知的で無機的ながらも主情的なその『不死なる者共の王』は、右手に赤と白の細剣を握り締めている。頭蓋骨の剥き出しになった顔を一切変化させず、彼は後ろで身を起こした少女を肩越しにかえりみた。
「これもまた怪我の功名と言う奴か」
 表情の消えた髑髏どくろの中で、眼窩がんかに灯った蒼白い光が小刻みに揺らめいた。
 素っ気無い相手へと、美香は笑い掛けて見せる。
「……誰の所為せいだと思ってんのよ?」
 多少意地悪く言い放った美香の前で、リウドルフは再び前を向いた。
 その大きくて小さい、近くて遠い後姿を見ながら、美香はここが自分にとっての現実である事を再確認したのであった。

 リウドルフは、骨のみとなった右手に掲げた細剣を、おもむろに高く掲げた。
あまねき邪気よ、万象量る天秤に則して我此処ここに命ず!! 我が元よりみそがれるし!!」
 凛とした声が病院の無菌病棟の通路に響くや、細剣の赤い刃から輝きが発せられる。少し前までかたわらに立っていた赤毛の女の姿に代わり主の手に収まった優美な剣は何処か照れ臭そうにきらめき、星の瞬きにも似たその光がベージュの通路にね返ると、周囲にわだかまっていた不穏な気配は薄く濡れた路面が昼の日差しに乾くように蒸散して行ったのであった。
「あ、あれ……?」
 美香の後ろで、床に転倒していた巽が、二三度頭を振りながら立ち上がろうとする。
 同じくリウドルフの前に伏していた亮一が、わずかに遅れて身を起こした。
「い、今のは……?」
 喉元を押さえた亮一は、気分の未だ晴れない苦しげな表情でそれでも辺りを見回した。
 しかしその時には最早、彼の後ろにいたはずの少女の姿は消えていたのだった。
「叔子……?」
 呆然と呟いた亮一のかたわらを、剣を下ろしたリウドルフが床の上を滑って通り抜けた。そのまま闇色の衣を翻した彼は廊下を直角に曲がり、すでに開け放たれていた無菌室クリーンルームへと急ぎ踏み込んだのであった。
 室外と同じく空気清浄機の稼働音が、明るい室内に反響している。
 やや狭い室内の奥に、死したる者の放つ黄色い光はわだかまっていた。
 窓辺に置かれたベッド、そのすぐ横合いにまで、『叔子』は近付いていたのであった。
 ベッドには、この部屋を宛がわれた患者が、今もとこに就いている最中であった。
 即ち、白血病を患い入院している少女、露崎美里が。
 その下へ、室内へ踏み込んだもう一人の少女は、飢えた野犬が鼻先を近付けるようにして身を乗り出していたのだった。
 先程、廊下で亡霊が放った精神攻撃マインドブラストの影響か、美里はベッドに寝たまま苦しげな表情を浮かべるのみで目を覚ます事は無かった。
 元より、化学療法による様々な負担の掛かっている最中での事である。頭髪のほとんども失った療養中の少女は、自身の間近にまでにじり寄った脅威に気付く余裕も無く、ベッドに身を埋めるようにして苦しげな寝息を漏らすのみであった。
「そこまでだ!」
 細剣の切っ先を突き付け、リウドルフは厳しい口調で宣告する。
この剣アゾットがある限り、俺はこの距離からでも『貴様ら』だけを消し飛ばせる。取り憑く隙なぞ与えんし、まして人質を取らせる事もせん。投了の時間だ!」
『そそそそれそれ』
『それはどどどうかな?』
 叔子の体を覆う黄色い光は、挑発的にうごめいた。
 直後、無菌室クリーンルームに亮一が駆け込んで来る。
「叔子!」
 その刹那、それまで宿主しゅくしゅの体を覆い尽くしていた黄色い光は一斉に体表の奥深くへと潜り込み、元通りの生者の姿を、宮沢叔子の姿を前面に押し出したのであった。
「兄さん……」
 声音と同様の悲しげな眼差しを、『叔子』は駆け付けた兄へと肩越しに送る。
「……助けて」
 末期の吐息のような、それははかなげな呟きであった。
 構わず、リウドルフは細剣を掲げようとする。
 その腕に、厳格な死の化身にも見える漆黒のむくろに、亮一は咄嗟とっさに飛び付いた。
めろ! めろよ! やっぱりあいつは生きているんだ、まだ!」
「全てが偽りだ」
 眼窩がんかに灯った蒼い光を輝かせ、リウドルフは厳しく言い捨てた。
「同じ症例の患者を俺は過去に幾度いくどか診た事がある。邪魂に憑り殺された時点で、彼女の魂もまた無明の闇に呑まれたのだ。記憶も人格も、最早欠片も残されてはいない。あれは『奴ら』が宿主しゅくしゅの記憶の断片を再構築して、そのように振る舞っているに過ぎない。巧妙な擬態だ」
 見かねて、美香も脇から亮一へと駆け寄った。
「ちょっと! あんたこそめなって! こんな事してたって……!」
「でも叔子は、叔子なら……!」
 剣を握るリウドルフの腕を押さえ込んだまま亮一が尚も何かを訴えようとした時、『叔子』は店先に並べられた青果を掠め取るように素早く美里の体を抱え上げると、そのまま窓へと駆け出したのであった。
 窓ガラスの割れるけたたましい音が、室内を渡って廊下にまで伝わった。
 最後に病室に入った巽は、室内の様子を認めるなり目を見張った。
 破れた窓ガラスから雨が吹き込み、そして患者の横たわっていたベッドがもぬけの殻となっている現状を。
「な、何だ、これは!? 何が起きたんだ!? 患者は何処だ!? それに……」
 巽は、自分の前に立つ得体の知れない黒い骸骨を驚愕の面持ちで眺め遣る。
 その巽へと、リウドルフは肩越しに眼窩がんかに灯った蒼い光を向けた。
「話は後だ! これから患者を助けに行く! お前も主治医なら力を貸せ!!」
「は、はい……」
 聞き覚えのある声で一喝され、巽は反射的に背筋を伸ばしてうなずいた。
 直後、無菌室クリーンルームの敷居近く、一同の足元からまばゆい光が円形に光が立ち昇った。
 そして三度みたび美香の前から光が消え去った時には、一同は別の場所に移動していたのであった。
 にわかに頬へと貼り付いた冷たい感触に、美香は頭上を見上げた。
 墨を吸ったような黒雲が頭上一面の空を覆い尽くしていた。
「しかし、転移術ばかり立て続けに使うと肩が凝るんだよな……」
 前方でリウドルフが背中越しに愚痴をこぼすと、彼の右手に握られた細剣がかすかに振動し、囁きのような声を刀身から発散させる。
『歳だねぇ』
 美香の右隣には亮一が、左隣には巽が、それぞれに状況を把握し切れぬ様子で辺りを見回していた。
 一同は今も雨の降りしきる屋外へと出ていたのだった。
 四方をぐるりと囲う柵の向こうに、曇天と触れ合うようにして遥か遠くの街の灯が望める。実に遠くまでを見渡せるこの場所が屋上である事に、少しして美香は気が付いた。
 元々が高所に建てられた病院の、更に頂上に広がる隔絶された空間は小奇麗な庭園となっていたのであった。
 昨今の流行であろうか。屋上の空間は緑化が施され、輪郭に沿うようにして配された花壇には種々の灌木が生けられている。屋上の小さな花壇とは言え、折からの梅雨で連日潤いを得て来た草木はいずれも梢を大きく膨らませて、今も降り続く雨を全身で浴びていた。
 そんな人目も届かぬ高所に設けられた瀟洒しょうしゃな庭園にて、リウドルフを先頭に彼らは一組の少女と相対していたのであった。
 同じ白いパジャマに身を包んだ背格好もおおむね似通った二人の少女は、だが、それぞれに対照的な気配を雨の中ににじみ出させていた。
 それは端的に言えば、『生』と『死』そのものの対照であったやも知れぬ。
 夜の雨にも寄せられる複数の眼差しにも頓着せず、『叔子』は自分の腕の中にあるもう一つの肉体へじっと眼差しを据えていた。
 渇望。
 歓喜。
 嘲笑。
 傲慢。
 諸々の妄執に満ち満ちた視線の先で、もう一人の少女、美里は未だ眠り続けている。忍び寄る死の影を察しているのか、まぶたを時折引きらせながら。
 屋上の中程に留まる二つの影へと、リウドルフは静かに歩を踏み出した。
「随分と手間を取らせてくれるな、『死霊ガイスト』」
 その後ろから、巽が困惑した表情で同じ対象へ目を凝らす。
「……一体何なんですか、あの女の子は?」
「形象は最早意味を成さない。あれはもう人ではなくなっている。いにしえより幾度いくどとなく発生して来た悪霊に憑り付かれた人形だ」
 リウドルフが冷ややかに答えた。
「元は死に怯える人間の集合意識であり、古来より、打ち捨てられた死体に宿ってはそれを自在に操り生者へと牙を剥いて来た存在……俗に『ワイト』の名で呼ばれる死霊共があの肉体に巣食っている。そして更に古い時代にいては別の名を名乗っていた時期もあった」
 眼窩がんかに灯った蒼白い光が、にわかに強さを増した。
「……『数多なるものリギオーン』と」
 暗灰色の空より降り続く雨が次第に音を強め始めた。
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