幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

文字の大きさ
82 / 183
渚のリッチな夜でした

その24

しおりを挟む
 そして夜も更け行く中、美香は布団の中でまんじりともせず、常夜灯に浮かぶ暗い天井を見上げていた。
 畳に敷かれた布団の寝心地は悪くはない。
 しかるに、美香は中々寝付く事が出来なかったのであった。
 大して盛り上がりもしなかった夕食の時の事を彼女はぼんやりと思い返していたが、それもじきに頭の中で有耶無耶になった。
 壁に掛けられた時計が秒針を震わせる音が、己の脈拍のようにはっきりと耳に届く。
 窓の向こうから、遠い潮騒の音が穏やかに伝わって来た。
 床に就いてから、すでにどれだけの時間が過ぎたのだろうか。
 その時、美香はふと、枕の上で怪訝けげんな面持ちを浮かべた。
 風の音、だろうか。
 いや、違う。
 外から聞こえる音の中に、絶えず繰り返される潮騒の間に何か別の音が差し挟まれている。何か異質な音が、外に満ちる闇の中から伝わって来る。
 犬の遠吠えとも鳥の囀りとも異なる、それでいて無機質な雑音とも違う生々しい音。
 それがまるで水をき分けて猛然と迫り来る肉食魚の躍動音のように、美香の耳に伝わったのだった。
 仰向けの姿勢のまま美香は唾を一度呑み込んだ。
 しかる後、少女は隣へと呼び掛ける。
「……アレねえ、起きてる?」
「ん~……?」
 返事は割とすぐに戻って来た。
 割り当てられた六畳の一室で、隣に敷かれた布団で寝ているはずのアレグラへと美香は訊ねる。
「……何か、変な物音がしない?」
「変て?」
 アレグラが聞き返した直後、窓ガラスを透かして何か甲高い鳴き声のような音が外から伝わる。
「ほら……」
「やァ、あれは夜風で建物がきしんでる音だよ、多分」
「そうかなぁ……」
 胸中から不安が消えた訳ではなかったが、暗闇の中でも馴染みのある声が届いた事に、美香は一応の安堵を覚えたのであった。
 その事も手伝ってか、美香は仰向けに天井を見上げたまま、隣に寝ているアレグラへと訊ねる。
「アレねえ、あたし、追っ掛けて来なかった方が良かったのかな……?」
 二呼吸程の沈黙が常夜灯の淡い光の中を漂った。
 遠くから届くかすかな潮騒の中に、ややあって、暖かみを帯びた声が差し挟まれる。
「そんな事無いよ。あたしはむしろ感心したぐらいだし」
「けど、その所為せいでアレねえにもセンセにも何か無理させちゃってるような気がして……」
 美香がしんみりした口調で述懐すると、一瞬だけアレグラは返答に詰まったようであった。
 それでも程無くして、常夜灯のぼかす闇の中に柔らかな声が流れる。
「まあ、あいつが難しい顔してるのは美香ッチとは別の問題でだけどね。そりゃ何百年もあんな調子で勝手気儘きままに過ごしてりゃ、見えない所で色々とツケが溜まってく訳よ」
「ふーん……」
 やはり天井を見上げたまま相槌を打った美香は、そこで顔を隣に向ける。
「んじゃ、アレねえも?」
 美香の見つめた先、暗闇にぼんやりと浮かぶアレグラは天井をじっと見ていた。
「あたしはね~……どっちかってぇと、あの女将さんが気になってね~……」
 少々意外な回答に、美香は枕に載せた頭を少し動かしていた。
 アレグラは仰向けに頭上を見上げて言葉を続ける。
「何か、ああいう人って、はたから見てると結構来るものがあるんだよねぇ~。今までにも何人か、ああいう感じの人と出会った事はあったんだけど……」
 そこまで言うと、アレグラはおもむろに溜息をついた。
「あたしも独りぼっちだったら、ああいう風になってたのかなぁ、って……」
「え……」
 普段あまりのぞかせない、しんみりとした口調で言った相手の横顔を美香は思わず見定めていた。
 遠い潮騒が、夜の懐の奥深くから伝わって来る。無数のささやきのようでもあり、折り重なった足音のようでもある響きが、常夜灯の淡い光の中を漂った。
 少ししてからアレグラは緩やかに促す。
「……御免。もう寝よ?」
「うん……」
 言われて、美香もまた枕に後ろ頭を預け、静かに目を閉じたのであった。
 先程耳に入った奇妙な鳴き声は今はもう伝わって来ない。アレグラが、あるいは、リウドルフか司が何事かを施したのやも知れぬが、とまれ、美香は暗がりの中で落ち着いて瞳を閉ざす事が出来た。
 潮騒のリズムに意識を乗せる内、少女はいつしか眠りに落ちていたのであった。

 明くる朝、美香は砂浜を一人そぞろ歩いていた。
 今日も空は快晴の模様で、昼前の日差しを浴びた砂浜は白く輝く。宿の玄関口に掛けられていた白い帽子を拝借し、美香は村の前に広がる人気ひとけの無い浜辺を歩き続けたのであった。
 入り江の角度の問題なのだろうか。
 隣町の海水浴場はこちら側からはほとんど望めず、波間の向こうに色鮮やかなパラソルがちらほらとのぞくのみである。えて遠泳に挑む者もいない今、この院須磨いんすま村の前に広がる海岸は全くの無人であり、岸へと打ち寄せる波の音だけが一人たたずむ少女の足元に伝わって来た。
 美香は帽子の鍔を押さえ、辺りを見回した。
 しかれども周囲に人の気配は無い。
 潮騒と蝉の声ばかりが空気を揺らす中、眩い日差しを受けて尚周りの景色は不動を保ち続ける。
 つい一週間程前、同じ砂浜は友人達の賑やかな歓声にあふれ、波の奏でる音もまたそれを後押しするかのように絶えず陽気に鳴り響いていた。
 しかし今耳に届く潮騒は、果てる事の無い時の流れをひたぶるに淡々と伝えるだけであり、それに流されるしかすべを持たぬこちらを穏やかに諭すかのように包むばかりであった。
 幾日か前には友人達共々好奇心を無限にくすぐられた青い水平線も、一人になって訪れた浜辺から望めば、現実と言う器のあまりの大きさと己の如何ともし難い小ささを無言で強調するのみであり、ついには己の存在そのものが希薄になって行くような錯覚すら呼び起こす。
 『彼方かなた』と『此方こなた』。
 『彼岸ひがん』と『此岸しがん』。
 『常世とこよ』と『現世うつしよ』。
 相対するそれらの間に、果たしてどれ程の違いがあるのだろうか。『此処ここ』に立つ己の存在すらもしかとは定められぬ身にとって、天地の狭間は無情なまでに広大過ぎる。
 波打ち際に一人たたずむ少女は幾重にも連なる波頭の向こうへと、ただはかなげな間差しを寄せていた。
 打ち寄せる波は何ものにも媚びる事無く、この星の脈動を伝え続けた。
 しばらくして美香は渚を歩き出した。
 砂に点々と刻まれた小さな足跡が、中天へ昇ろうとする日輪に照らし出された。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...