幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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渚のリッチな夜でした

その25

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 同時刻、佳奈恵は村外れに設けられた小さな墓地を訪れていた。
 岸の奥、建ち並ぶ家々に隠れるようにして、院須磨いんすま村の墓地はして広くもない敷地を白昼の光に晒していた。
 その一角に置かれた墓石の前で、佳奈恵は片膝を付いて線香を備え、持ち込んだ花を生けたのであった。
 林立する他の墓石にね返ってか、蝉の声は墓地の内部では取り分け強く鳴り響いた。
 両手を合わせて墓前で祈りを捧げた佳奈恵が、やがてゆっくりと身を起こす。その時になって彼女は、自分の後ろにたたずむもう一人の来訪者に気付いたのであった。
「お彼岸には早いですが、お墓参りですか?」
 訊ねて来たリウドルフへ、佳奈恵は体を向けるのと一緒に微笑んで見せる。
「ええ。こちらの葬儀は神道の形式なので時期外れと言う訳でもないでしょう。いずれにせよ私の場合は形だけのものですが」
 そう言って、佳奈恵は線香の煙が立ち昇る墓石を見遣った。
 被っていた麦藁帽子を脱ぎながら、リウドルフも面前の墓石を同じく凝視する。墓石の様式こそ一般的なありふれた物であったが、墓の周囲には卒塔婆を収めるスペースが無く、何処か簡素な印象を訪れた者へ与える。墓碑には太い字体で、『若狭家奥津城おくつき』との文字が彫り込まれていた。
 近くの竹林が風を受けてざわめいた。
「どなたのお弔いに来られたのです? 御両親ですか? 祖父母の方ですか?」
「近しかった人全てです」
 リウドルフの質問に佳奈恵は短く答えた。
「年老いて亡くなった人も幼くして逝った人も、皆等しく私の家族でしたから……」
「そうですか……」
 墓碑にじっと眼差しを注いで呟くように答えた佳奈恵の横顔を、リウドルフは少しの間見つめていた。
 ややあって、墓前にたたずむ痩身の男は刻まれた墓碑銘へと目を移した。
「……あなたのひい祖母ばあさんに当たる方でしたか、あの民宿を開いたのは」
「ええ」
 うなずきながら、今度は佳奈恵がリウドルフの横顔を見遣った。
 リウドルフは依然として墓石へ視線を据えつつ、すらすらと言葉を並べる。
若狭瑞希わかさみずきさんと仰ったようですね、あなたのそう祖母そぼは。戦後間も無くこの院須磨いんすま村に越して来られて地元の男性と結婚し、そしてあの民宿を開かれた。市役所に残る村の古い記録にはそう記されていました」
「そのようですね。昔の事ですから私も詳しくは知りませんが」
「ではひい祖父じいさんについては如何です? 何か聞かされてはいないでしょうか?」
「それは……」
 リウドルフの質問に、佳奈恵は困惑したように苦笑を返した。
「どうして、どうしてまたそんな事を……?」
 そのリウドルフは目前の墓石から眼差しを少し持ち上げ、宙を見つめた。
「いえいえ、極々つまらないこだわりのようなものでして。要するに自分が宿を借りた先の大まかな成り立ちぐらい押さえておいた方が、後々人に紹介する際にも自然と熱が入るだろうと思ったのです。七十年近い歴史を誇る老舗の旅館なら尚更に」
「別にそんな熱烈に宣伝して頂かなくても結構ですが……」
「そうそう『彼』も、大久保君も興味があったみたいですよ」
 しれっと付け加えたリウドルフの一言に、だが佳奈恵はにわかに面持ちを変化させた。
 さながら、深まる秋の中を吹き抜けた木枯らしを浴びたように一瞬厳しげに、しかし次の一瞬には寂しげに、うら若い女将は表情をわずかに曇らせたのだった。
 竹林がまた風に煽られて乾いた音を立てた。
 相手の様子には気付かぬ素振りで、リウドルフは宙を見上げたまま平然と言う。
「まさか、飲む打つ買うを地で行くどうしようもないやくざ者だった、と言う訳でもないのでしょう?」
「いいえ」
 佳奈恵は即座に首を横に振った。
「根の優しい人だった……と聞いています」
 佳奈恵は足元に目を伏せながら、ぽつぽつと言葉を歯垣の外へと漏らして行く。
「別に取り立てて変わった所も優れた所も無く、だから人の恨みも買わずにずっとこの村で育って、そういう意味では何不自由無い暮らしを送っていたそうです。大人になってからは家の仕事を手伝いながら……」
「しかし、やはりと言うか、時代の波には抗えなかった、と」
 リウドルフの遣した迂遠うえんな言い回しに、佳奈恵はうつむき加減のままうなずいた。
「そうですね。二十代の頃、戦争の末期に徴兵されたそうです」
 午前の眩い日差しが、つやの無い墓碑を照らす。一組の人影が並び立つ前で、墓石は沈黙を守っていた。
「何とか言う南の方の戦線に配属されたそうで、それこそ本人はあまり語りたがらなかったので詳細は闇の中ですが、死ぬにも生き続けるにもうんざりするような目に遭ったとだけ……」
「当時、南方と言うとインパール作戦ですかね。それともフィリピンの方か」
 佳奈恵の隣で、リウドルフは小首を傾げた。
「資料でしか知りませんが、どちらも凄惨を極めた戦場だったそうです。補給は途絶え、戦線も崩壊し、砲火を逃れて異国の密林を彷徨さまよい歩く中で、兵士達は極度の緊張と恐慌がもたらす狂気に次々と蝕まれて行ったと聞き及びます。時に、現地の住民や同じ部隊の仲間を殺して食ったなどと言われるまでに」
 佳奈恵は目を伏せたまま、そこで酷く悲しげな表情を浮かべた。
 リウドルフは、そんな彼女のかたわらで鼻息をついた。
「だからこそ終戦後に平穏な故郷へ再び戻れた事は、彼にとっても大きな救いであったのでしょうが……」
「そうでしょうね。ええ、そうであってくれれば……」
「そして偶然とは言え、この地で『貴女あなた』に出会えた事も、『彼』の人生には決して無駄とはならなかったでしょう」
 蝉の声が無数の墓碑の間にね返った。
 遠くから届く波の音もまた墓石の間に浸透する。
「何故……」
 不意にぽつりと呟いた佳奈恵は、リウドルフへと顔を向ける。
「……何故あなたは、私にここまで係わろうとなさるのですか?」
 責めるものとは異なる、しかし切なくも険しい眼差しを、彼女は隣に立つ瘦身の男へと注いでいた。
 リウドルフはそんな相手を横目で認めて、穏やかに答える。
貴女あなたが、私と同じ『目』をしているからですよ」
 彼もまたさいなむでもなく、しかるに物悲しくも厳しい視線を、かたわらの女へと送った。
貴女あなたたたえる眼光には、多くの人間を見送って来た者特有の色合いが含まれている。自分のそばを通り過ぎて行った者達を、ただ見送るしかすべを持たない者の目だ」
 墓地の片隅にたたずむ一組の人影は、互いに小動こゆるぎもせず見つめ合った。
「私の『本当の姿』も貴女あなたには見えているのでしょう? 恐らく、最初に顔を合わせた時からすでに」
 その問いに対する答えを佳奈恵は発しなかった。
 彼女はただ、かたわらにたたずむ『もの・・』を静かに見据えただけである。
 日差し照り付ける墓地の只中に立つ、闇色の衣をまとった漆黒の『むくろ』の姿を。
 肉も皮も削げ落ちた、怖ろしくも物悲しげな髑髏どくろの顔を彼女はじっと見つめ返していたのであった。
 蝉の声が辺りから響く中、佳奈恵はおもむろに口を開く。
「……どのような方であれ、敷居をくぐって頂けたのならそれはもうお客様ですから」
「そうですか……」
 答えつつ、リウドルフは麦藁帽子を被った。
「……ですが、それも明日の朝までです。翌日の日が昇る頃には、私ももう『此処ここ』にはいない」
 そう告げて、リウドルフは佳奈恵と墓碑とに背を向けたのだった。
 去り行く細い背中を佳奈恵はしばし見送る。
 その双眸の表に、枯れ果てた庭園を見るような悲しげな光を乗せて。
 墓碑の前に一人残された彼女の周囲で、竹林がまた葉をざわめかせた。
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