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フレンチでリッチな夜でした

その2

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 こいつはまたぞろ面倒な事になったもんだ、とウジェーヌ・ルソーは幾度いくど目かの欠伸あくびを噛み殺しながら愚痴めいた感慨を抱いた。
 背にした窓からは昼時の日差しが差し込み、レースのカーテンを通して床に淡い日溜りを作っていた。夏もそろそろ終わりに差し掛かろうかと言う八月の末、太陽の遣す光は未だ強いものであるようだった。
 テーブルの上に置いた紙にこれまで書き込んで来た事柄をざっと見返す内、ウジェーヌはふと、俺はどうしてこんな所でこんな事をしているのだろうとの思いに駆られたのだった。
 世の中はまだまだバカンスのシーズン中である。それを如何に公務員であるからとは言え、こんな辺鄙へんぴな場所まで来て昼日中に取り調べなぞを行なっている。
 再び込み上げた欠伸あくびを抑えるついでに、ウジェーヌは自分が身を置いた一室を見回した。
 クリーム色のはなはだ陽気な色調が壁と天井を覆っている。
 まず、これが良くない。
 ウジェーヌは眉根をわずかに寄せた。
 ここがきちんとした警察署の取り調べ室であるならばこちらも襟元を正して毅然と職務に当たれるだろうに、自分が現在身を置いているのは何処にでもありそうな地域のコミュニティセンターの一室なのである。派手な装飾こそ為されていないが、建物それ自体がたたえる空気が及ぼす影響は大きいのだ。せめてオフィスビルの一室でも借りられればもう少し身の引き締まる要素も増すであろうが、郊外も郊外、こんな田園地帯の真っ只中にそんな大層な代物はそもそも存在しないのである。
 こんな、子供や老人が談笑を日々繰り返しているような、地域住民の憩いの場として設けられた緊張感に欠ける建物の中では、尋問する側もされる側も何処か白けた様子を自然と覗かせてしまうものであった。
 諦め半分にそこまで考えてから、ウジェーヌは自分が今相対している者達を見つめ直したのだった。
 普段はティータイムに用いられていると言う一室にはウジェーヌの他に二つの人影があった。
 正方形に並べられたテーブルの向こう、部屋の出入口を背にして、二人の男がウジェーヌの真向かいの席に着いている。
 一人は見るからにアジア系と判る顔立ちの年配の男であった。
 年齢は五十の半ばを過ぎた辺りであろうか。灰色の頭髪を丁寧に撫で付け、口髭も良く整えられている。着込んだスーツも結構な価格帯の代物らしくつややかで、全体的に上品な印象を絶えず周囲ににじませていた。
 次いでその隣に腰を下ろしたもう一人の男を改めて視界に収めた時、ウジェーヌは眉根を軽く寄せたのだった。
 ろくに手入れの行き届いていない、ぼさぼさの金髪を晒した壮年の男である。
 こちらと同じヨーロッパ系ではあるようだが、細身の体型と言い肌の張り具合と言い、兎角不健康な印象を周囲に撒き散らす。服装も実に貧相で、隣のアジア人が清潔感あふれる装いに身を固めているのとは対照的に、しわだらけのスーツを借り物のようにまとっているだけであった。
 長い事眺めていると、こちらまで不景気になりそうな様相である。
 歓楽街ピガールを巡回してるとたまに見掛けるんだよなぁ、こういうの。
 欠伸あくびを今一度噛み殺しながら、ウジェーヌは億劫そうに回想した。
 れど相手がどんな手合いであれ、職務は一通り遂行しなければならないのが公務員のつらい所である。
 手にしたボールペンの尻軸で机を叩きつつ、ウジェーヌは日本人ジャポネと名乗った上品な身形みなりの男へと目を向けた。
「ああ、それでムッシュ・ドゥメティ……」
「ドメキですわ」
 気怠けだるげに口を開いたウジェーヌの真向かいから、百目鬼どめき誠二郎せいじろうは訂正した。その際にわずかに乱れた口髭を嫌味にならない自然な仕草で整えて、彼は面前の若手警官へと呼び掛ける。
「まあその、何ですな、先程から申し上げてる通り、あっしらはこの地域一帯の生態系の学術調査に訪れたって次第で。こういう農村部にゃ結構様々な動物やら植物やらが息いてるもんですからなぁ。あっしらみたいのにゃ正に宝の山って奴なんですわ」
 所々におかしななまりが混じったフランス語で、それでも流暢に説明する日本人をウジェーヌは面倒臭そうに見遣った。
「そう言われましてもねぇ、今この辺りは物騒になってますから現地の農家ですらあまり外を出歩かない有様なんですよ? そこをあんた、学者さんなんかが野外調査なんぞ始めた日にはどんな事態を招くか、こっちとしても責任持てませんよ、ほんとに」
「物騒ってのァ、またどういうお話なんです?」
 そこで大袈裟なまでに目を丸くして、百目鬼はウジェーヌへと訊ねた。
 こいつ、わざと言ってるんじゃないのか?
 湿った吐息がウジェーヌの口元から漏れた。
「いやね、先月からこの辺り、主にアヴェロン県南部の農村地域で、いやもうはっきり言えば、このパードリーの周辺でいくつかの変死体が発見されてるんですよ」
「うへぇ、そりゃ確かに物騒でやんすなぁ」
 然程さほど驚いた様子も覗かせずに、百目鬼はおどけるように言った。
 ウジェーヌはパイプ椅子に寄り掛かりながら答えると、ボールペンの尻軸で耳の後ろをいた。
「どうせ熊か狼に襲われたんでしょうけどね。御覧の通り、この辺りは正に絵に描いたような田舎ですから。被害に遭った当人や遺族には悪いが、そういう不幸な事故が起こったってそこまで不思議じゃない。勿論もちろん地元の猟師達も躍起になって獲物を追ってるんですが、未だにそれらしいのに出くわした事が無いらしくって、挙句こうして警察まで駆り出される始末になってましてね……」
「ほうほう、そいつァまた……」
 百目鬼が興味深そうに言った時、彼の背後で扉がノックされた。
「はい、どうぞ」
 ウジェーヌがやや投げ遣りに応答してすぐ、会議室の扉は外から開かれたのだった。。
 次いでそこから室内に入って来たのは、一人の壮年の女性であった。
 ブラウンのスーツを着込み、やや白味掛かった金髪を短くまとめた四十代と思しき女である。頬骨の少し目立つ顔で目付きも鋭く、差し詰め辣腕らつわん弁護士のようにも見える風情であった。
 その女を認めた途端、ウジェーヌは表情を一変させる。
「これは主任官……」
 慌てて立ち上がり、敬礼の姿勢を急ぎ取った彼へ、室内へ入って来た壮年の女も同じ姿勢を返した。
 しかる後、女は窓辺に立つ部下を手招きする。
「ルソー、ちょっと……」
「はい。また何か……」
 相手の静かな気迫に押されながらも、ウジェーヌは早足に戸口へと近付いた。
 程無くして二人の警官は会議室の外へ出て、室内には聴取を受けていた二人の男だけが取り残された。
 窓から差し込む光は白々しいまでに明るかった。
 少しして百目鬼は欠伸あくびを漏らすと、かたわらに座る旅の伴侶を流し見る。
「なぁんだかなぁ、着いた早々警察の御厄介になるとは、面倒な事ンなったもんだ。なぁ、パラの字?」
 言われた一方は、少し苛立たしげに蓬髪をいた。
「だから、その呼び方はどうにかならんのか……」
 稀代の錬金術師にして魔術師にして医師にして、今は一介の旅行者である痩身の男は、腐れ縁の同行者を恨めしげに見遣った。
 そうしてリウドルフ・クリスタラーは面倒臭そうに口を開く。
「……変死事件が相次いでいる地域へ一目で余所者と判る二人組なんかが足を踏み入れれば、こういう流れにもなるだろ。ピリピリしてる所へ好き好んで飛び込んだんだ。警察の聴き取りぐらい受ける破目にもなるさ」
 さばさばと言い捨てたリウドルフの横で百目鬼は息をつく。
「つっても、私服警官までうろついてるような状況ンなってるたぁ思わなかったなぁ。いや俺ァ別にいいけどよ、そっちなんか身元をあれこれ調べられたら面倒なんじゃねえの?」
「確かに五百年前の戸籍を提示する訳にも行かん」
 百目鬼が訊ねた先で、だがリウドルフはテーブルの上に両手を組むと穏やかな口調で答える。
「なので事前に手は打っておいた。現地の職員を一人回すよう『IOSO』に連絡済みだ」
「ああ、飛行機ン中でしきりと電話してたのがそれか」
「そうだな。だからそろそろ案内人が到着する筈だ」
 リウドルフが百目鬼へ断言してすぐ会議室の扉が開かれた。
 そこから顔を覗かせたのは男の警官の方であった。
「ええと、ムッシュ・ドメキに、ムッシュ・クリスペプラー?」
「クリスタラーです」
 ウジェーヌの呼び掛けをリウドルフが訂正した。
 若手警官は言葉を一瞬だけ詰まらせたが、室内に取り残されている二人の余所者へとすぐにまた話し掛ける。
「ええっと、聴き取りの方はもう結構です。お疲れ様でした。今、玄関にそちらの身元引受人だと仰る方が来て色々と手続きをして貰ってます。あとはそちらの指示に従って下さい」
「はいはい」
「了解です」
 百目鬼もリウドルフもそれぞれに首肯しゅこうして席を立った。
「流石、天下の国連機関は仕事も速いな」
「どうだか……単に暇を持て余してるだけかも知れん」
 百目鬼の軽口に冷ややかに答えつつ、リウドルフは手荷物をまとめて歩き出した。会議室を後にし、コミュニティセンターの廊下へ出た所で、彼は先程室内に顔を覗かせた壮年の女と顔を合わせたのであった。
 目尻や頬などに小さなしわの現れ始めた女であった。取り調べに当たった男の警官の上司に当たるのだろうが、彼女もまた廊下へと現れた二人の異邦人を近くから見つめていた。
「御協力感謝します」
「では失礼」
 女もリウドルフも、互いに短く告げて一礼した。
 クリーム色の細長い廊下に乾いた足音が少しの間反響した。
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