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再開前 ー降伏前夜ー
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「ここまでだ、候。使者を出せ」
凪いだ気配でリシェールは、ヴァール侯爵に告げた。
「お待ちください、殿下! 未だ反撃の手は残っているはずですぞ!!」
「否」
「何故ですか! やはりあなたは、今でもあなたを担ぎ出した我々をお厭いか!」
「ふふ……良く解っているではないか爺」
リシェールは薄く笑い、気安く爺と声かけた。
「笑い事では……笑い事ではございませぬ、殿下!!」
ヴァールは瘧のように身体を震わせながらリシェールに訴えた。
「そう、確かに笑い事ではない。私は本気だよ、爺。これ以上民も、兵も、損なうことは許さない」
戦場にあっても終始冷静で、場に沿わぬ穏やかさを崩したことのなかった王弟の、反論を封じる常にない気迫にヴァールは飲まれた。
「……思い返せば、殿下は最初から巧妙に……最小限の兵力で最大の成果を、という耳障りの良いお言葉で巧みに糊塗し、我らを謀かっておられましたな」
ヴァール候は喉の奥から声を絞り出し、言うまいと抱いていた懸念を、この期に及び遂に言葉にした。
“早熟の天才”と表された兄を凌ぐ“偉才"
幼子の時より発っせられた、稀有なる煌めきから目を反らすことは如何にも惜しく。それは、ヴァールには不可能なことであった。だからこそ幼い時より王弟の守役として付き従っていたヴァールは、門閥を揚げてリシェールを担ぎ上げ、王に反旗を翻した。
そこにリシェールの意志はなく、彼はただの一度さえ兄を退けたいと思ったことは無かったにもが関わらず。
「謀るとはまた穏やかでないな。私が何をその方らに謀ったのか?」
「兵を惜しみ、民を惜しみ…………だが我ら臣を……臣を使い捨てた!」
吠えるヴァールに、リシェールの眼が、唇が弧を描いた。
「使い捨てたとは違う。私が私の望みのために障りとなっていたものを、ひとつひとつ除いていったに過ぎぬ。……とは言え、知っての通り私に然したる力は無かったからね。ほとんどのことは天の配剤だよ」
それは半分本当のことで、半分嘘であった。だがリシェールは、その“本当のこと”をヴァールにも誰にも明かすつもりはなかった。
リシェールはくすくすと本当に楽しげに言葉を紡いだ。
「しかし耄碌したものだ、爺。いや、端から見えていなかったか。兄上も……王も同じことをしていたと、気づかなかったか?」
驚愕に、ヴァールは眼を見開き言葉を失った。
ーー兵を惜しみ、民を惜しみ、…………そして次々に障害となる“モノ”を平らげーー
「気づいていたら、それに乗じて何か仕掛けられたかもね?」
挑発単語するようにリシェールは薄く微笑んだ。
ヴァールとて何も気づかなかったわけではない。たが内乱による国力低下を厭い、諸外国からの干渉を斥けることは両陣営の総意であり、暗黙の了解であった。
ーー故に、戦が更に長引いたとも言える。
幾重にも、慎重に、巧妙に、時間をかけて張り巡らされた仕掛けが、動き出したのは果たして何時だったのか、ヴァールは知る術を持たなかった。
「……いつから王と通じておられたのか」
冷えた心地で、ヴァールはリシェールに問うた。
「それはない」
だがヴァールのそれに対しては、リシェールはひと言で断じた。そして己の手のひらを開き、視線を落としながら続けた。
「この手は小さく、誰にも、何処にも届かなかった。どんなに望んでも」
それはヴァールにも分かっていた。
が、ならば何故。一度浮かんだ疑心は晴れない。
「だがそれは兄上も同じ。私より7つお歳上とは言え、そなたらから見れば大した違いは無かろう? “早熟の天才”と讃えられた兄上をもってしても、我がものである筈の権を手中にするまでにはそれなりの時を要した。
私たちは幼く、弱く、頼りになる何者もなく四面楚歌……無力であった」
味方する者はいない。と言い切る。守り人は元より、護衛、侍従、従者や侍女に至るまで。心赦せる友もなく。
そしてリシェールは、未だかつてヴァールが見たことのなかった、ぞっとする様な壮絶な笑みを見せて言った。
「そしてその方らは、ひとつだけ結託して事を運んだなーーマリアーシェ姫を……我らが母を質に取った」
彼ら兄弟の母は隣国から嫁いできた王女で、今日の父王が身罷り、叔父が即位した後は、ハルキの慣例《かんれい》として “姫”と呼ばれた。
「なん……、そ、それは、国王派が、国王派がなしたことですぞ!」
「母を王宮から攫い、どこぞの離宮へ幽閉した。互いが質となっていて身動きが取れぬ。良くしたものだ」
「国王派のしたことです」
息を調えたヴァールが弁じても、リシェールは忖度しなかった。
「そうかだったか? 今に至るまで、私は爺だけではなく、皆に脅されていた記憶しかないがな」
リシェールは薄く笑み続けた。
「実際、どちらがどうという問題ではない。双方共に、母を、兄弟を使われ、雁字搦めとされ……唯々諾々とそなたらに従わざるを得ない様、私達に強いた」
「馬鹿なことを。あの冷徹な王が、お母上を持ち出して殿下に揺さぶりをかけることはあっても、動じられる様なお方ではない」
「それは、兄上に対する褒め言葉か?だが残念ながら枷になり得た。当時、一切の情報を遮断された中で母まで質に獲られたのではな。兄も、私も。…………母が私達を解き放つために、自害を選ぶまで。いや、その機会を得るまで」
「……知っておられたのか」
言葉少なにヴァールは応えたが、続くリシェールの言葉に、今度こそ芯から震えあがった。
「今、正に。そなたの言でな」
唇を噛み締めリシェールは言葉を繋ぐ。
「……いつだったかな? “始まった” と私には直ぐに分かった。兄上が動いたと……だがそれを確かめられたことはない。確信はしていたが」
そう言うと、リシェールは噛み締めた唇を解くと、自慢気な、晴れやかな表情見せた。
弟だから分かるーー自慢気に聞こえるそれが発されることはなかったが、ヴァールには分かった。
「心配するな、爺。兄上は無慈悲なお方ではない。私の首と引き換えに領は守られる。領主の首はすげ変わるが、民も、兵もな。そして王国も。
これ以上は損なわず、兄上に御返しする。承服せよ」
敗軍の将として、リシェールは最後の命令をヴァールに下した。
「……使者を送り、投降の準備をいたします」
仰せのとおりに。
最後には全てを飲み込み、ヴァールはそう応えて頭を下げた。
凪いだ気配でリシェールは、ヴァール侯爵に告げた。
「お待ちください、殿下! 未だ反撃の手は残っているはずですぞ!!」
「否」
「何故ですか! やはりあなたは、今でもあなたを担ぎ出した我々をお厭いか!」
「ふふ……良く解っているではないか爺」
リシェールは薄く笑い、気安く爺と声かけた。
「笑い事では……笑い事ではございませぬ、殿下!!」
ヴァールは瘧のように身体を震わせながらリシェールに訴えた。
「そう、確かに笑い事ではない。私は本気だよ、爺。これ以上民も、兵も、損なうことは許さない」
戦場にあっても終始冷静で、場に沿わぬ穏やかさを崩したことのなかった王弟の、反論を封じる常にない気迫にヴァールは飲まれた。
「……思い返せば、殿下は最初から巧妙に……最小限の兵力で最大の成果を、という耳障りの良いお言葉で巧みに糊塗し、我らを謀かっておられましたな」
ヴァール候は喉の奥から声を絞り出し、言うまいと抱いていた懸念を、この期に及び遂に言葉にした。
“早熟の天才”と表された兄を凌ぐ“偉才"
幼子の時より発っせられた、稀有なる煌めきから目を反らすことは如何にも惜しく。それは、ヴァールには不可能なことであった。だからこそ幼い時より王弟の守役として付き従っていたヴァールは、門閥を揚げてリシェールを担ぎ上げ、王に反旗を翻した。
そこにリシェールの意志はなく、彼はただの一度さえ兄を退けたいと思ったことは無かったにもが関わらず。
「謀るとはまた穏やかでないな。私が何をその方らに謀ったのか?」
「兵を惜しみ、民を惜しみ…………だが我ら臣を……臣を使い捨てた!」
吠えるヴァールに、リシェールの眼が、唇が弧を描いた。
「使い捨てたとは違う。私が私の望みのために障りとなっていたものを、ひとつひとつ除いていったに過ぎぬ。……とは言え、知っての通り私に然したる力は無かったからね。ほとんどのことは天の配剤だよ」
それは半分本当のことで、半分嘘であった。だがリシェールは、その“本当のこと”をヴァールにも誰にも明かすつもりはなかった。
リシェールはくすくすと本当に楽しげに言葉を紡いだ。
「しかし耄碌したものだ、爺。いや、端から見えていなかったか。兄上も……王も同じことをしていたと、気づかなかったか?」
驚愕に、ヴァールは眼を見開き言葉を失った。
ーー兵を惜しみ、民を惜しみ、…………そして次々に障害となる“モノ”を平らげーー
「気づいていたら、それに乗じて何か仕掛けられたかもね?」
挑発単語するようにリシェールは薄く微笑んだ。
ヴァールとて何も気づかなかったわけではない。たが内乱による国力低下を厭い、諸外国からの干渉を斥けることは両陣営の総意であり、暗黙の了解であった。
ーー故に、戦が更に長引いたとも言える。
幾重にも、慎重に、巧妙に、時間をかけて張り巡らされた仕掛けが、動き出したのは果たして何時だったのか、ヴァールは知る術を持たなかった。
「……いつから王と通じておられたのか」
冷えた心地で、ヴァールはリシェールに問うた。
「それはない」
だがヴァールのそれに対しては、リシェールはひと言で断じた。そして己の手のひらを開き、視線を落としながら続けた。
「この手は小さく、誰にも、何処にも届かなかった。どんなに望んでも」
それはヴァールにも分かっていた。
が、ならば何故。一度浮かんだ疑心は晴れない。
「だがそれは兄上も同じ。私より7つお歳上とは言え、そなたらから見れば大した違いは無かろう? “早熟の天才”と讃えられた兄上をもってしても、我がものである筈の権を手中にするまでにはそれなりの時を要した。
私たちは幼く、弱く、頼りになる何者もなく四面楚歌……無力であった」
味方する者はいない。と言い切る。守り人は元より、護衛、侍従、従者や侍女に至るまで。心赦せる友もなく。
そしてリシェールは、未だかつてヴァールが見たことのなかった、ぞっとする様な壮絶な笑みを見せて言った。
「そしてその方らは、ひとつだけ結託して事を運んだなーーマリアーシェ姫を……我らが母を質に取った」
彼ら兄弟の母は隣国から嫁いできた王女で、今日の父王が身罷り、叔父が即位した後は、ハルキの慣例《かんれい》として “姫”と呼ばれた。
「なん……、そ、それは、国王派が、国王派がなしたことですぞ!」
「母を王宮から攫い、どこぞの離宮へ幽閉した。互いが質となっていて身動きが取れぬ。良くしたものだ」
「国王派のしたことです」
息を調えたヴァールが弁じても、リシェールは忖度しなかった。
「そうかだったか? 今に至るまで、私は爺だけではなく、皆に脅されていた記憶しかないがな」
リシェールは薄く笑み続けた。
「実際、どちらがどうという問題ではない。双方共に、母を、兄弟を使われ、雁字搦めとされ……唯々諾々とそなたらに従わざるを得ない様、私達に強いた」
「馬鹿なことを。あの冷徹な王が、お母上を持ち出して殿下に揺さぶりをかけることはあっても、動じられる様なお方ではない」
「それは、兄上に対する褒め言葉か?だが残念ながら枷になり得た。当時、一切の情報を遮断された中で母まで質に獲られたのではな。兄も、私も。…………母が私達を解き放つために、自害を選ぶまで。いや、その機会を得るまで」
「……知っておられたのか」
言葉少なにヴァールは応えたが、続くリシェールの言葉に、今度こそ芯から震えあがった。
「今、正に。そなたの言でな」
唇を噛み締めリシェールは言葉を繋ぐ。
「……いつだったかな? “始まった” と私には直ぐに分かった。兄上が動いたと……だがそれを確かめられたことはない。確信はしていたが」
そう言うと、リシェールは噛み締めた唇を解くと、自慢気な、晴れやかな表情見せた。
弟だから分かるーー自慢気に聞こえるそれが発されることはなかったが、ヴァールには分かった。
「心配するな、爺。兄上は無慈悲なお方ではない。私の首と引き換えに領は守られる。領主の首はすげ変わるが、民も、兵もな。そして王国も。
これ以上は損なわず、兄上に御返しする。承服せよ」
敗軍の将として、リシェールは最後の命令をヴァールに下した。
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