悠久の Madrugada〈マドゥルガダ〉 -蒼い闇- 《本編完結》「後日譚」連載開始しました

桜楽-sakura-

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母 ーマリアーシェー

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 ※ 母の自死に繋がるお話ですが、直接的な表現は出ません。

 スキップしていただいても大丈夫ですよ。  


 §



母上マリアーシェ

「アレクセイっ!」

 数年振りでようやく会うことが叶ったマリアーシェは、変わらず少女のような容姿ようしで、少しも変わった様子ようすは見えなかった。
 いつも快活な少女のように笑い、しかし、常に物事の本質をよく見抜き、妻として、母として、王妃として。よく皆を支えていたーーマリアーシェ

「いたずらに時を費やしました。ーー赦してください。母上マリアーシェ

 アレクセイの言葉に、母は首を振った。

「こんなに早く、よ。あなたでなければ、こんなに早くここに辿たどり着けませんーー抱かせて? アレクセイ」

 そう言って、母はアレクセイを抱き締めた。

「あなた、母の大事な人とほんとそっくりよね。嬉しいわ」

 屈託くったくない表情かおで、母は続ける。

「ちゃんと寝ていますか? いくら忙しくても食事を抜いては駄目よ?」

 アレクセイは母の言葉に頷きーーそして硬い表情かおで、母の持ち物である小刀しょうとう差し出した。

「まぁ! 私の懐剣クレッセントじゃないの! あなた、さすがに気が利いているわ。これ、私の花嫁道具なのよ」
 繊細できらびやかな装飾が施された小刀しょうとうで、三日月型の細いそれは、母が嫁入りの際、母国からたずさえられてきた品だった。

 母は、受け取った懐剣クレッセントに口づけすると、表情かおを変えず、恐らく自分が泣いていることを知らないだろう、アレクセイの涙をそっとぬぐって言った。

「泣かないのよ、アレクセイ。まだ少し時間があるでしょう? 母とお茶をしましょう」

 そう言って、母は手ずから二人分のお茶を入れた。楽しそうに、歌うように言う。

「母はスパイスティー、あなたの好みはスパイスを入れない、少しだけ甘くしたミルクティー」

「ミルクティーは……特に好んでいるわけでは……。母上マリアーシェが入れてくれるお茶ミルクティーだけです」

「知っているわ」

 そう言って母がお茶に口をつけると、アレクセイもまた、お茶を口にする。

「まぁダメよ、アレクセイ。少しは疑ってかからないと。母がっていたらどうしますか」

 アレクセイは、苦笑しながらミルクティーを飲む。
「そうなさって頂いても、構いませんでしたが」

 マリアーシェは、一度視線を落として嘆息たんそくした後、ゆっくり顔を上げた。
 視線は真っ直ぐに、アレクセイをとらえた。そして言った。

「ダメよ。あなたは、リシェールを取り戻すの」

 息を飲み、眼を閉じる。ーーややあってからアレクセイは返した。
「ーー取り戻しても……助けられません。母上マリアーシェ
 旗印はたじるしとしてかかげられてしまった以上、王として、アレクセイはおとうとに死をたまわらねばならなかった。

「“王の刃”を抜くのです。今のあなたならできる。ーーアレクセイ、あなたも本当はそう考えているでしょう?」

母上マリアーシェ、ですが」

「“王の刃”を抜きなさい。……その後のことはね、アレクセイ、あなたの好きにしていいの。リシェールはあなたに従うわ。あの子、あなたが大好きだったもの」

 そこまで言うと、マリアーシェは眼を伏せて頬に手を当て、大袈裟おおげさに“ほう”っとため息をついてみせ、そして続けた。

「母は本当に心配しました……次期王と王弟が乳繰ちちくり……もとい、ねんごろーー……いえ、情を交わす? そう、情を交わすのを暖かく見守って、お世継よつぎをさずけてくれる奇特きとくなお嫁さんをどうやって探せばいいのかと」

母上マリアーシェ! いったい何を言っているのですか!!」

 パン! と、アレクセイは、テーブルたたき母をさえぎったが、マリアーシェは一向に動じなかった。

「あらぁ? だってあなた、7懸想-けそう-してた本気だったじゃない。リシェールは、リシェールで、アレクセイ兄さましか眼に入ってなかったし。遅かれ早かれ、そうなっていたわよ。良いこと? この母が言うのだから、間違いありません」

「…………」

「美しければ問題ありません。お父様とシャドウもそうだったのだから」

「いったい、それのどこが“問題ない”のですか?! !」
 とんでもないことを、さも当たり前のことのように断言するマリアーシェに、アレクセイは目眩めまいを覚える。そう、母はこういう人だった。

「アレクセイ、

「……母上マリアーシェ。そもそも父上とシャドウは、そのような関係ではありません」

 マリアーシェは、人差し指を振って『違う』、と示す。
「アレクセイ、“情を交わす”っていうのはね、肉体的なことだけではありません。精神的な繋がりだってなの。ーーでも、シテたと思うわよ?」

母上マリアーシェ……」
 アレクセイは重いため息をつき、頭を抱えた。

「本当にけたわぁ~~知っているでしょ? シャドウ献身けんしん的な愛の深さってはかり知れないじゃない? あの人も捧げられる愛には、愛で返していたわよ。シャドウを愛していた」

 マリアーシェはうっとりとして言う。

「二人の愛を守ったのは、母のほこりです。ーーそれに……シャドウの愛って、本当に深いの。母も丸ごと、シャドウの愛の対象だったのよね……暖かいの」

「アレクセイ、シャドウがあなたを助ける。リシェールを奪い返しなさい」

「ーーーーはい。母上マリアーシェ

 ーー必ず。と、誓約やくするアレクセイに、マリアーシェは、懐剣クレッセントを握らせた。

「持ってお行きなさい。母にあなたを守らせてね」

母上マリアーシェ……ーー!」
 アレクセイが気づいたことを知ると、マリアーシェは、ふふっと笑って言った。

「この国は、ハーブを使うに長けている。ーー母の国はね、スパイスに長けているのよ」
 ぱちり、マリアーシェはウインクしてみせる。

「アレクセイ、あなたとリシェールを、母がかせから解き放ちます。行きなさい」

母上マリアーシェ……」

「ほらほら、もう泣かないのよ。お兄さまでしょう? 母は眠るだけよ。……本当にもう! 王宮の馬鹿どもときたら、こんなに分かりやーー……ええと、見れば分か……んんっと、母の良いコに向かって、何を考えているか分からないとか、言いたい放題! ああ、馬鹿だから、馬鹿なことしか仕出かさないのよね~~腹の立つったら! リシェールを助け出したら、さっさと粛清しゅくせいなさい」

 さらっと臣下達の粛清しゅくせいを命じる母に、アレクセイはうなずいた。

「アレクセイ、本当にもう、あなたの好きになさい。なるべく民には負担をかけないように、考えなきゃならないのはそれだけよ。ああ、もうひとつ。シャドウの幸せは、あなたの責任よ。お世継ぎはいいわ。何なら、母の父、あなた方のお祖父様が健在です。それとお兄様……あなた方の伯父上を頼って、誰かもらい受けなさい。この国の王族が絶えることなんて知ったことじゃないわ。王宮の馬鹿どもを退しりぞけて、ーーあなたはリシェールと幸せになればいい」

 そう言い終えると、母上マリアーシェは、アレクセイを抱き締め、それから口づけをした。
 額にひとつ。そして両方の眼のはたに。それから左右の頬に。次に、ちゅ、と鼻の頭に。最後にそっと唇に。それは別離わかれの口づけだった。

「もうひとつ。リシェールへ」
 マリアーシェは、もう一度唇に口づけた。

「リシェールは、母を忘れる」

「……そんなことは」

「忘れていいの。子供ってそういうものよ? だからね、アレクセイ、あなたもそれでいいの」
 ね? と、うながすマリアーシェに、想いを込めて、アレクセイは告げた。

「はい……母上マリアーシェ。愛しています……」

「私も。アレクセイ、あなたとリシェールを、母は愛しているわ。あなた達の幸せを母は祈っているわね」
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