運命の選択

B.H アキ

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運命の選択

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俺は飛行機の窓際に座り、故郷の山々が近づくのをぼんやりと眺めていた。人生、いつも間違った選択ばかりだった。大学受験では勉強もせず、親の金で裏口入学。会社では顧客の金を着服し、発覚してクビになり、刑務所暮らし。妻の泣き顔と子どもの怯えた目が、今でも頭から離れない。家族はバラバラになり、俺は全てを失った。この故郷への帰郷は、死に場所を探すための最後の旅だ。
「おじさん、こんにちは!」
隣に座った若い女が、ニコニコと話しかけてきた。30代くらい、化粧っ気のない顔に、どこか無邪気な笑み。こういう明るい奴は、昔から苦手だ。俺の冷たい視線を無視して、女は自分の人生を話し始めた。母子家庭で大学を中退、就職した会社は倒産、婚約者に500万貸して裏切られた――それでも彼女の瞳は「私は負けない」とでも言うように、生き生きと輝いていた。俺には理解できない。そんな前向きさが、なぜか腹立たしかった。
「バーン!」
突然、機体後部から爆発音が響き、俺の体がシートに叩きつけられた。窓の外では、翼からオレンジ色の炎が噴き出し、黒い煙が渦を巻いていた。機内は一瞬で地獄に変わった。乗客の叫び声、子供の泣き声、CAの絶叫が重なり、耳が割れそうだった。酸素マスクが目の前にぶら下がり、俺は震える手でそれを掴んだ。
「頭を下げて! シートベルトを!」CAが叫びながら通路を走るが、すぐに別の爆音――「ババーン!」――で彼女は倒れ込んだ。機体が急に左に傾き、窓の外の山々がぐるぐると回転し始めた。燃料の焦げる刺激臭が鼻をつき、口の中が血と恐怖で乾いた。
「死ぬならこれでいい」と一瞬思ったが、なぜか隣の女の「でも私は負けない」という瞳が頭をよぎった。次の瞬間、機体はまるで石のように真っ逆さまに落ち始めた。俺の体は浮き上がり、シートベルトが腹に食い込む。視界が暗くなり、意識が遠のいた。

目を開けると、鼻をつく焦げたオイルと肉の臭いで吐き気がした。辺りは静かだった。さっきまでの爆音が嘘のように、遠くで鳥のさえずりだけが聞こえた。俺は山の斜面に投げ出され、折れた木の枝に背中が刺さっていた。動こうとしたが、足は動かず、右腕からは血が流れ、シャツを赤黒く染めていた。
視界の端に、機体の残骸が散らばっていた。ねじれた金属、燃え尽きた座席、誰かの靴や破れたカバン。そして、人の体――いや、人の形をしたものが、あちこちに転がっていた。隣の女の笑顔が脳裏をよぎったが、彼女の姿はどこにもなかった。
「おーい! 生存者がいるぞ!」
遠くから男の声が響き、ヘリコプターのローター音が近づいてきた。俺は助かったのか? 死に場所を求めた俺が、なぜ生きている? アドレナリンが切れ、痛みが一気に襲ってきた。俺はまた意識を失った。

次に目が覚めたのは病院のベッドの上だった。
看護師に聞いた話だと今回の事故で生き残ったのは俺1人との事だった。胸の奥で何か熱いものが蠢いていた。生き残ったこの命、まだ何かできるんじゃないか?

夜の病室は静まり返り、点滴の滴る音だけが響いていた。窓の外では月が青白く輝き、病室の蛍光灯が一瞬ちらついた。背筋に冷たいものが走り、俺は思わず毛布を握りしめた。ふと足元を見ると、黒いコートに身を包んだ男が立っていた。山高帽の影で顔は半分隠れていたが、青白い顎と、底なしの闇のような目が俺を捉えた。
「誰だ!」
俺の声は掠れ、喉が締め付けられるようだった。男は音もなく一歩近づき、ベッドの脇に腰かけた。まるで古い友人に話すような軽い口調で、しかしどこか冷たく、言った。
「へえ、こいつは驚きだ。強い自殺願望の匂いに釣られて来たが、お前、なかなかしぶとい命を持ってるな。」
「お前は……何だ!」
心臓が跳ね上がり、汗が背中を伝った。男はクスクスと笑い、帽子のつばを指で軽く上げた。
「死神だよ。まあ、気軽に呼んでくれ。人間の最後の瞬間を見るのが、俺のささやかな楽しみでね。」
突拍子もない言葉だったが、そいつの目は冗談を言っているようには見えなかった。
俺は掠れた声で吐き捨てた。
「死神? ならさっさと俺を連れてけ。こんな命、なんの価値もない。」
死神は首を振って笑った。まるで子供の駄々をあやすような仕草だった。
「価値がない? ふん、墜落した飛行機で唯一生き残った男が、そんなことを言うか。面白い」
俺は何故かあの女の「私は負けない」という瞳がまだ脳裏に焼き付いていた。
「もし……もしお前が本物の死神なら、願いを一つ叶えてくれ。」
俺は半信半疑だったが、言葉が勝手に口をついて出た。死神は目を細め、興味深そうに俺を見た。
「ほう、願いか。面白い。言ってみな。」
「俺の魂でいいなら持っていけ!その代わり時間をあの事故の直前に戻してくれ。最後に一つ、まともな選択をしてみたい。」
死神は一瞬黙り、まるで俺の魂を値踏みするようにじっと見つめた。そして、ゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
「いいだろう。契約成立だ。お前の選択、俺も楽しませてもらうよ。」
次の瞬間、病室に冷たい風が吹き、死神の姿は消えていた。点滴の音だけが、再び静かに響き始めた。

ニュース番組が、飛行機墜落事故の続報を流していた。
「皆さん、只今、あの惨事で唯一の生存者である方が退院されました。一言、お話を伺いましょう!」
レポーターの興奮した声が響き、画面に病院の玄関が映った。周囲は報道陣で溢れ、フラッシュが光る中、その人はゆっくりと歩み出てきた。松葉杖をつき、包帯が巻かれた腕を少し庇うようにしながら、マイクに向かって話した。顔にはモザイクがかかっていたが、声の明るさと柔らかさから女性だとわかった。
「あの時、隣の席の男性が、私と席を代わってくれたんです。窓の外の山々が見たいと言ったら、黙って立ち上がって……。彼がいなければ、私はここにいなかったと思います。あの人の分まで、しっかりと前を向いて生きていきたいです。どんなに辛いことがあっても、私は負けないんです。」
レポーターがさらに質問を重ねるが、彼女は静かに頭を下げ、車に乗り込んだ。画面が切り替わり、事故の残骸の映像が流れた。
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