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本編
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生まれつきの肉体というガジェットは、精神的な生活を送る上で効率が悪すぎる。だからここ二世紀くらいの人類は、生殖活動を終えると肉体を卒業して、バーチャル上でアバターを受肉して、第二の人生を送る。
そして当然、生殖を選ばなかった人間は、もう少し早めに「転生」することもできる。
僕はライフログのスタックを握りしめて、ここら辺ではいちばん大きい病院を訪れていた。最後の晩餐――ならぬ昼食は、栄養補助食品のクッキーだけ。
肉体分離施術の一番安いコースの料金を、分割十二回で払い終わったのが一昨年。その施術の順番が、やっと巡ってきたのだ。
ライフログを院内エンジニアに渡して、サーバーへ転送してもらう。ログの整形に二時間かかるらしい。僕の一年間の生活は、たった百二十分で、デジタル上へ完全に再構築される。僕はヘッドギアをつけて、施術用のベッドへ横たわった。
分離後の肉体は破棄、人格は完全にサーバーへ移管。最近流行りのバーチャル受肉は、言葉が発生した黎明期のそれとは違い、肉体からの完全な卒業を意味する。
僕もご多分に漏れず、肉体を卒業する側の人間だ。とはいえ僕がそうするのは、流行りに乗ったからとか、死の恐怖から逃れたいとかの理由じゃない。
僕の彼氏・ルカは三年前、突然姿を消した。
半同棲していた僕の家に全然帰ってこなくて、途方に暮れたあの夜から、もうずっと長い時が経った。
仕方ないとルカの実家を訪ねたけれど、もうあいつは現実を卒業したんだと、門前払いを喰らってしまった。
そして僕は、ルカのことが大好きだった。ルカもきっと、僕を愛してくれていたと思う。
これは、酷い裏切りだった。
もともと僕はルカの家族から「どうせ財産狙いだろう」と、よく思われていなかった。僕とルカは社内恋愛だったけど、安月給の契約社員と将来の幹部候補だ。口さがない連中は下卑た噂をするものだけど、ルカはいつも、彼の家族の言葉に苦しんでいた。僕はそれを支えきれなかった。それがきっと真実だ。
とはいえ、これはルカの説明責任を追求したっていいだろう。
こうして僕は、惚れた弱みが逆転したものすごい恨みの力で金を稼ぎ、バーチャル受肉の権利を手に入れたというわけだ。
サーバーの稼働音が響く。電子音とともに、視界が簡単にブラックアウトした。遠くから人の声がする。
ゼロから数字をカウントする医者。脈拍と同時に鳴っている電子音の間隔は、どんどん長くなっていく。バイタル低下。呼吸は浅く、ゆっくりになる。
神経細胞の興奮と鎮静は電気信号のバイナリの世界へ移り、僕の人格を再構築する。そのとき僕のライフログが器になって、僕の振る舞いや思考が、バーチャル上へ完全に再現されるらしい。本当はもっと時間をかけて、それこそ何年もライフログをとるコースもあったんだけど、僕の資金力では一番安いコースが限界だった。
つらつらと考えている間に、腹の底がじんわりと熱くなる。施術前の説明だと、精神と肉体が分離するとき、肉体から何らかのフィードバックがあるかもしれないと聞いていたから、それだろうか。
ずん、ずん、と腹の底から何かが込み上げてくる。いや、突き上げられている?
馴染みのある感覚だ。それこそ三年前までは、よく味わっていた、快楽じみた何か。
「目、覚めた?」
ふっと持ち上げられる感覚がした。聞き覚えのある声がして、嗅いだことのある汗の匂いがする。視界がちかちかと明滅して、少しずつ世界が像を結んでいった。癖のある黒髪に浅黒い肌、すっと通った高い鼻に、ぽってりとした唇の大きな口。死ぬほどハンサムな男が、僕を抱いている。
違う。これ、ルカだ。
「……! ……っ!?」
「ああ、まだ声帯が生成されていないんだね」
脚も腕も動かない。目――カメラだけをなんとか動かすと、ルカが僕のなまっちろい脚を抱えて腰を振っていた。ご丁寧に、僕のお粗末なサイズのそこも再現されている。
「ニタのバイオログだと、アバター生成の深度が足りなかったから、俺のバイオログからニタのデータを抽出しているんだ」
じゃあなんでセックスなんかしているんだ。そんな必要ないだろ。
身体を好き勝手される恐ろしさとか怒りとかよりも、戸惑いが圧倒的に勝っている。アバターだからだろうか。
そして何より僕はまだゆめうつつで、ルカと再会できた喜びとかで、ぐちゃぐちゃだ。少なくとも、この状況はいやじゃない。こういうところがチョロいとか言われる理由だったんだろうけど、嬉しいものは仕方ないだろう。
ルカはうっとりと微笑みながら、僕の身体があるらしき場所に手を伸ばす。触覚はないけど、その手つきを感じたくて、必死で想像した。少しずつ、違和感が生まれる。それはやがて熱さに変わった。上から下へ、感覚の生じる場所が変わっていく。
僕はルカに、撫でられている。三年ぶりの感覚だ。
「あ、あ……」
はく、はく、と音が漏れる。声帯が受肉したらしい。ルカは嬉しそうに笑って、「ニタの声だ」と顔を近づけてきた。
「かわいい」
キスだ。キスされている。だというのに僕は、唇の感触も舌の味も分からない。悔しい。
ちゅうちゅうという水音が立っている。たかがセックスになんていう計算リソースを割いているんだ。いや、そもそもなぜ、僕たちはセックスをしているんだ?
ぐちゅぐちゅと身体の中をかき混ぜられるのから逆算して、身体の構造が出来上がっていく。四肢と精神が接続していって、だんだん感覚が生まれてきた。熱い。ルカの手が、痛いほどに膝裏を掴んでいる。というか、痛覚まで再現されているのか。そのオプションをつけたつもりはなかったんだけど。
「痛覚も追加でいれておいたよ」
なんて余計なことをしてくれたんだ。だというのに、僕の精神はそれを皮切りに、次々と身体を「思い出して」いく。
指が動いた。つま先がルカの腰の動きに合わせて揺れている。ぴたんと空間を叩かれて、そこが尻だと分かった。腰が跳ねて、ナカをきゅうと締め付けてしまう。
こんなにたくさんの感覚を買った覚えはない。ここまでナマの肉体の再現度を高めているのは、ほとんど間違いなく、ルカの仕業だろう。
それこそこうやって、セックスを楽しめるほどの精度で受肉しようなんて、思ってもいなかった。
「お、おーばーすぺっく、だ……!」
なんとか文句を吐き出すと、ルカは笑う。
「真っ先に文句が出てくるの、ニタらしいや」
ずん、と突き上げられて、息を吐き出す。身体は、現実世界と同じものを、完璧に再現されていた。汗ばむ感覚すらある。なんだこの、やたらとリッチなアバターは。ルカのアバターも汗ばんで、顔を赤らめている。
「こうして、ニタにどんどん、俺のライフログを注入して……」
「あっ、ああ、あ……!」
ぞわぞわと腰の裏が熱くなる。世界がぐんと解像度を上げた。
そうだ。ここは僕の部屋だ。ラップトップ前に転がったエナドリの空き缶とか、書き散らしたプリントとか適当に積んでる参考書とか、僕のだらしないところまでしっかりと再現されている。
それにしても、ライフログの注入って、こんなにいやらしい方法でする必要なんてあったんだろうか。僕が疑問に思っていると、ルカが熱心にキスをしてくる。
「セックスを通じたデータ転送が、結局いちばんアバターへの馴染みがいいらしいんだ。身体感覚が共起するから……ニタを、一個も損ないたくない……」
胸元へ手が伸びて、どこかをきゅうと摘まれる。途端にあられもない声をあげてしまった。こいつ、乳首まで再現している。いや、これまでの肉体よりも、ずっと感度がいい。
もしかしてルカのバイオログをもとにしているから、ルカの想像通りの感度になっているんじゃないだろうか?
そんな馬鹿なことを考えている間に、腹に違和感があった。内側から何かが膨らんでくる。張っている、というんだろうか。
ごつごつとナカを突かれるけれど、違和感がある。硬い何かが、無数に、僕のお腹の中にある。
「ひっ、な、なに……!?」
腰が逃げる。ルカは腰をがっしりと掴んで、奥の奥を突き上げた。
「受肉が終わったんだ。これからニタは、現実の旧い肉体を卒業するんだよ」
それは知っている。じゃなくて、この腹の異物はなんだ。
僕は声にならない悲鳴をあげつつ、ルカにしがみついた。
「な、なにこれ、……お腹に、なんか、ある……」
「ニタの肉体と精神を繋いでいたものも受肉して、お腹の中で卵になったんだよ」
一体、何を言っているんだ?
だけど同時に、すとんと腹に落ちたものがあった。なるほど、僕の精神と肉体を繋いでいた非物質的なものまで受肉して、それは卵という形を与えられたらしい。
本能的に、それを産まなければならないと思った。
これは、僕とルカの、愛の結晶だ。
「うむ、うむ……」
「そうだね。がんばれ、がんばれ」
ずんずんと突き上げられて、僕は「ちがう」と悲鳴をあげた。
「うむ、から……パパが、産む、ばしょ、ふさいじゃダメ……」
「ははは、パパかぁ」
とろとろに甘ったるい声で、ルカが言った。僕は「やぁ」と必死で拒絶した。
「たまご、うまれる、……うまれる、から、ぬいて……!」
このままだと、卵が産まれてこられない。僕のログとルカのログが合わさった、愛の結晶がこの世へ出てこられない。
僕とルカが交わっているのは、アナルじゃない。卵を産むための、僕の産道だ。ルカが邪魔。
僕は必死で腰を振って、ルカを追い出そうとした。お腹はどんどん張ってくる。卵がどんどんさがってくる。
「あ、うまれ、うまれゆ、う……」
「かわいい……ぐずぐずだ」
すすり泣く僕の頬を、ルカの舌が舐める。僕のお腹が収縮して、卵が産道をくだっていくのが分かった。あ、あ、あ、とだらしない声が漏れるのを抑えられない。
「い、あ……、だめ、ぬいて、ぬいてぇ! たまご、たまご産む……!」
「うん、そっか。じゃあ、抜くから、がんばって」
ぢゅう、と音が立って、ルカのものが抜ける。途端に、僕の産道から、ぽんと何かが飛び出した。卵だ。鶏卵と同じくらいの大きさだ。それがぽんぽんと、次々産まれてくる。
「あ、あぇ……あ、あぅ……」
卵が止まらない。どんどんお腹が空っぽになっていく。身体が軽くなっていって、ばち、ばち、と身体の内側で接続が切れていく。これが肉体からの離脱だと、分かった。
分かった。これで僕の精神は完全に肉体から離れて、サーバー上の人格へと移行した。
「ふ……ぁ……」
僕は精神と、その安全毛布としての仮初の肉体――アバターだけの、バーチャルな存在になった。
改めて思うと、すごいことだな、と思う。
「ニタ」
ルカが僕の頬を撫でる。気づけば、僕は寝巻きを着ていた。高校時代のジャージだ。三年前、ルカが姿を消したとき、捨てたはずのものだ。
「久しぶり、ニタ」
懐かしい声だ。僕は反射的に拳を振り上げ、ベッドを叩いた。
言いたいことが、無限にある。
そして何よりもまず、罵りたかった。
「どうして、僕の前から消えたんだ!」
セックス後の浮かれた衝動はだんだん治まって、バイタルが安定していく。精神は少しずつ電子の世界へ順応して、肉体の感覚を思い出しつつあった。
涙の伝う感触があった。落涙オプションまで付けるだなんて、どうかしてる。
ルカは困ったように笑った。
「ごめんね。……まず、突然消えて、ごめん」
そして、ルカは全てを説明してくれた。
家族から突然、ライフログを手渡されたこと。これまでの一生分のライフログを全て与えるからと、バーチャル世界へ転生することを強いられたらしい。
よくある悲劇だ。人類は死を克服してもなお、生殖という呪いにかかっている。
生殖しない人間は、現実世界という巨大なパイの分前をもらうことを、ひどくしぶられることがある。
「……だから、急に消えたみたいになった。ごめんなさい」
そして次に、いきなりセックスしたことを謝られた。僕もそれはどうかと思ったので、謝罪を受け入れた。
いいよ、と首を横に振ると、ルカは苦い顔で笑う。
「ニタに俺の中のライフログを注いだのは、俺のエゴだ。ごめん」
「ううん、嬉しい。嬉しいよ、ルカ」
正直に言えば、嬉しいのだ。
僕のお金で移せるライフログには限りがあったし、そうしたら、今ここにいるのは、僕ではない僕だったかもしれない。
だけどルカがログを補ってくれたから、僕は現実とバーチャルの連続性を保てた。
いいや。僕は僕でいいんだと、思えた。
「僕が君を好きだったこと、ちゃんと覚えていたんだね」
ルカは複雑そうに顔をしかめて、「まあね」と認めた。
「ログと相違があったらごめん」
少し不貞腐れたような顔に愛しくなって、僕は真新しい身体で、ルカに抱きついた。
「全然違わない。完璧に一致だよ」
たしかに、僕は純正の「僕」じゃなくなった。他者の記憶で整形されたこのアバターは、どこまで僕で、どこからがルカの記憶なのか分からない。実際、乳首の感度は違った。
だけど僕はそれを、悲観する気にならないのだ。
今目の前にいるのは、僕の恋人。そして主観人物は、僕。
ルカとニタという自意識を持った、バーチャル世界に生きる人間だ。
現実世界のルカとニタはもういない。その記憶を引き継ぐ僕らが何者であろうと、僕はどうでもいい。
現実で「ニタ」が目論んだ再会は、こうしてちゃんと果たされた。
今ここにいる僕たちは自由だ。記憶がどうであろうとも、自我の連続性が不確かでも、確かなことはひとつだけでいい。
「ルカ、愛してる。ルカも、そうでしょ?」
僕の言葉に、僕の恋人は照れくさそうに頷いた。
バーチャル受肉した僕らが何者であろうと、僕たちの愛が本物であることは、誰にも否定させるものかと思う。
そして当然、生殖を選ばなかった人間は、もう少し早めに「転生」することもできる。
僕はライフログのスタックを握りしめて、ここら辺ではいちばん大きい病院を訪れていた。最後の晩餐――ならぬ昼食は、栄養補助食品のクッキーだけ。
肉体分離施術の一番安いコースの料金を、分割十二回で払い終わったのが一昨年。その施術の順番が、やっと巡ってきたのだ。
ライフログを院内エンジニアに渡して、サーバーへ転送してもらう。ログの整形に二時間かかるらしい。僕の一年間の生活は、たった百二十分で、デジタル上へ完全に再構築される。僕はヘッドギアをつけて、施術用のベッドへ横たわった。
分離後の肉体は破棄、人格は完全にサーバーへ移管。最近流行りのバーチャル受肉は、言葉が発生した黎明期のそれとは違い、肉体からの完全な卒業を意味する。
僕もご多分に漏れず、肉体を卒業する側の人間だ。とはいえ僕がそうするのは、流行りに乗ったからとか、死の恐怖から逃れたいとかの理由じゃない。
僕の彼氏・ルカは三年前、突然姿を消した。
半同棲していた僕の家に全然帰ってこなくて、途方に暮れたあの夜から、もうずっと長い時が経った。
仕方ないとルカの実家を訪ねたけれど、もうあいつは現実を卒業したんだと、門前払いを喰らってしまった。
そして僕は、ルカのことが大好きだった。ルカもきっと、僕を愛してくれていたと思う。
これは、酷い裏切りだった。
もともと僕はルカの家族から「どうせ財産狙いだろう」と、よく思われていなかった。僕とルカは社内恋愛だったけど、安月給の契約社員と将来の幹部候補だ。口さがない連中は下卑た噂をするものだけど、ルカはいつも、彼の家族の言葉に苦しんでいた。僕はそれを支えきれなかった。それがきっと真実だ。
とはいえ、これはルカの説明責任を追求したっていいだろう。
こうして僕は、惚れた弱みが逆転したものすごい恨みの力で金を稼ぎ、バーチャル受肉の権利を手に入れたというわけだ。
サーバーの稼働音が響く。電子音とともに、視界が簡単にブラックアウトした。遠くから人の声がする。
ゼロから数字をカウントする医者。脈拍と同時に鳴っている電子音の間隔は、どんどん長くなっていく。バイタル低下。呼吸は浅く、ゆっくりになる。
神経細胞の興奮と鎮静は電気信号のバイナリの世界へ移り、僕の人格を再構築する。そのとき僕のライフログが器になって、僕の振る舞いや思考が、バーチャル上へ完全に再現されるらしい。本当はもっと時間をかけて、それこそ何年もライフログをとるコースもあったんだけど、僕の資金力では一番安いコースが限界だった。
つらつらと考えている間に、腹の底がじんわりと熱くなる。施術前の説明だと、精神と肉体が分離するとき、肉体から何らかのフィードバックがあるかもしれないと聞いていたから、それだろうか。
ずん、ずん、と腹の底から何かが込み上げてくる。いや、突き上げられている?
馴染みのある感覚だ。それこそ三年前までは、よく味わっていた、快楽じみた何か。
「目、覚めた?」
ふっと持ち上げられる感覚がした。聞き覚えのある声がして、嗅いだことのある汗の匂いがする。視界がちかちかと明滅して、少しずつ世界が像を結んでいった。癖のある黒髪に浅黒い肌、すっと通った高い鼻に、ぽってりとした唇の大きな口。死ぬほどハンサムな男が、僕を抱いている。
違う。これ、ルカだ。
「……! ……っ!?」
「ああ、まだ声帯が生成されていないんだね」
脚も腕も動かない。目――カメラだけをなんとか動かすと、ルカが僕のなまっちろい脚を抱えて腰を振っていた。ご丁寧に、僕のお粗末なサイズのそこも再現されている。
「ニタのバイオログだと、アバター生成の深度が足りなかったから、俺のバイオログからニタのデータを抽出しているんだ」
じゃあなんでセックスなんかしているんだ。そんな必要ないだろ。
身体を好き勝手される恐ろしさとか怒りとかよりも、戸惑いが圧倒的に勝っている。アバターだからだろうか。
そして何より僕はまだゆめうつつで、ルカと再会できた喜びとかで、ぐちゃぐちゃだ。少なくとも、この状況はいやじゃない。こういうところがチョロいとか言われる理由だったんだろうけど、嬉しいものは仕方ないだろう。
ルカはうっとりと微笑みながら、僕の身体があるらしき場所に手を伸ばす。触覚はないけど、その手つきを感じたくて、必死で想像した。少しずつ、違和感が生まれる。それはやがて熱さに変わった。上から下へ、感覚の生じる場所が変わっていく。
僕はルカに、撫でられている。三年ぶりの感覚だ。
「あ、あ……」
はく、はく、と音が漏れる。声帯が受肉したらしい。ルカは嬉しそうに笑って、「ニタの声だ」と顔を近づけてきた。
「かわいい」
キスだ。キスされている。だというのに僕は、唇の感触も舌の味も分からない。悔しい。
ちゅうちゅうという水音が立っている。たかがセックスになんていう計算リソースを割いているんだ。いや、そもそもなぜ、僕たちはセックスをしているんだ?
ぐちゅぐちゅと身体の中をかき混ぜられるのから逆算して、身体の構造が出来上がっていく。四肢と精神が接続していって、だんだん感覚が生まれてきた。熱い。ルカの手が、痛いほどに膝裏を掴んでいる。というか、痛覚まで再現されているのか。そのオプションをつけたつもりはなかったんだけど。
「痛覚も追加でいれておいたよ」
なんて余計なことをしてくれたんだ。だというのに、僕の精神はそれを皮切りに、次々と身体を「思い出して」いく。
指が動いた。つま先がルカの腰の動きに合わせて揺れている。ぴたんと空間を叩かれて、そこが尻だと分かった。腰が跳ねて、ナカをきゅうと締め付けてしまう。
こんなにたくさんの感覚を買った覚えはない。ここまでナマの肉体の再現度を高めているのは、ほとんど間違いなく、ルカの仕業だろう。
それこそこうやって、セックスを楽しめるほどの精度で受肉しようなんて、思ってもいなかった。
「お、おーばーすぺっく、だ……!」
なんとか文句を吐き出すと、ルカは笑う。
「真っ先に文句が出てくるの、ニタらしいや」
ずん、と突き上げられて、息を吐き出す。身体は、現実世界と同じものを、完璧に再現されていた。汗ばむ感覚すらある。なんだこの、やたらとリッチなアバターは。ルカのアバターも汗ばんで、顔を赤らめている。
「こうして、ニタにどんどん、俺のライフログを注入して……」
「あっ、ああ、あ……!」
ぞわぞわと腰の裏が熱くなる。世界がぐんと解像度を上げた。
そうだ。ここは僕の部屋だ。ラップトップ前に転がったエナドリの空き缶とか、書き散らしたプリントとか適当に積んでる参考書とか、僕のだらしないところまでしっかりと再現されている。
それにしても、ライフログの注入って、こんなにいやらしい方法でする必要なんてあったんだろうか。僕が疑問に思っていると、ルカが熱心にキスをしてくる。
「セックスを通じたデータ転送が、結局いちばんアバターへの馴染みがいいらしいんだ。身体感覚が共起するから……ニタを、一個も損ないたくない……」
胸元へ手が伸びて、どこかをきゅうと摘まれる。途端にあられもない声をあげてしまった。こいつ、乳首まで再現している。いや、これまでの肉体よりも、ずっと感度がいい。
もしかしてルカのバイオログをもとにしているから、ルカの想像通りの感度になっているんじゃないだろうか?
そんな馬鹿なことを考えている間に、腹に違和感があった。内側から何かが膨らんでくる。張っている、というんだろうか。
ごつごつとナカを突かれるけれど、違和感がある。硬い何かが、無数に、僕のお腹の中にある。
「ひっ、な、なに……!?」
腰が逃げる。ルカは腰をがっしりと掴んで、奥の奥を突き上げた。
「受肉が終わったんだ。これからニタは、現実の旧い肉体を卒業するんだよ」
それは知っている。じゃなくて、この腹の異物はなんだ。
僕は声にならない悲鳴をあげつつ、ルカにしがみついた。
「な、なにこれ、……お腹に、なんか、ある……」
「ニタの肉体と精神を繋いでいたものも受肉して、お腹の中で卵になったんだよ」
一体、何を言っているんだ?
だけど同時に、すとんと腹に落ちたものがあった。なるほど、僕の精神と肉体を繋いでいた非物質的なものまで受肉して、それは卵という形を与えられたらしい。
本能的に、それを産まなければならないと思った。
これは、僕とルカの、愛の結晶だ。
「うむ、うむ……」
「そうだね。がんばれ、がんばれ」
ずんずんと突き上げられて、僕は「ちがう」と悲鳴をあげた。
「うむ、から……パパが、産む、ばしょ、ふさいじゃダメ……」
「ははは、パパかぁ」
とろとろに甘ったるい声で、ルカが言った。僕は「やぁ」と必死で拒絶した。
「たまご、うまれる、……うまれる、から、ぬいて……!」
このままだと、卵が産まれてこられない。僕のログとルカのログが合わさった、愛の結晶がこの世へ出てこられない。
僕とルカが交わっているのは、アナルじゃない。卵を産むための、僕の産道だ。ルカが邪魔。
僕は必死で腰を振って、ルカを追い出そうとした。お腹はどんどん張ってくる。卵がどんどんさがってくる。
「あ、うまれ、うまれゆ、う……」
「かわいい……ぐずぐずだ」
すすり泣く僕の頬を、ルカの舌が舐める。僕のお腹が収縮して、卵が産道をくだっていくのが分かった。あ、あ、あ、とだらしない声が漏れるのを抑えられない。
「い、あ……、だめ、ぬいて、ぬいてぇ! たまご、たまご産む……!」
「うん、そっか。じゃあ、抜くから、がんばって」
ぢゅう、と音が立って、ルカのものが抜ける。途端に、僕の産道から、ぽんと何かが飛び出した。卵だ。鶏卵と同じくらいの大きさだ。それがぽんぽんと、次々産まれてくる。
「あ、あぇ……あ、あぅ……」
卵が止まらない。どんどんお腹が空っぽになっていく。身体が軽くなっていって、ばち、ばち、と身体の内側で接続が切れていく。これが肉体からの離脱だと、分かった。
分かった。これで僕の精神は完全に肉体から離れて、サーバー上の人格へと移行した。
「ふ……ぁ……」
僕は精神と、その安全毛布としての仮初の肉体――アバターだけの、バーチャルな存在になった。
改めて思うと、すごいことだな、と思う。
「ニタ」
ルカが僕の頬を撫でる。気づけば、僕は寝巻きを着ていた。高校時代のジャージだ。三年前、ルカが姿を消したとき、捨てたはずのものだ。
「久しぶり、ニタ」
懐かしい声だ。僕は反射的に拳を振り上げ、ベッドを叩いた。
言いたいことが、無限にある。
そして何よりもまず、罵りたかった。
「どうして、僕の前から消えたんだ!」
セックス後の浮かれた衝動はだんだん治まって、バイタルが安定していく。精神は少しずつ電子の世界へ順応して、肉体の感覚を思い出しつつあった。
涙の伝う感触があった。落涙オプションまで付けるだなんて、どうかしてる。
ルカは困ったように笑った。
「ごめんね。……まず、突然消えて、ごめん」
そして、ルカは全てを説明してくれた。
家族から突然、ライフログを手渡されたこと。これまでの一生分のライフログを全て与えるからと、バーチャル世界へ転生することを強いられたらしい。
よくある悲劇だ。人類は死を克服してもなお、生殖という呪いにかかっている。
生殖しない人間は、現実世界という巨大なパイの分前をもらうことを、ひどくしぶられることがある。
「……だから、急に消えたみたいになった。ごめんなさい」
そして次に、いきなりセックスしたことを謝られた。僕もそれはどうかと思ったので、謝罪を受け入れた。
いいよ、と首を横に振ると、ルカは苦い顔で笑う。
「ニタに俺の中のライフログを注いだのは、俺のエゴだ。ごめん」
「ううん、嬉しい。嬉しいよ、ルカ」
正直に言えば、嬉しいのだ。
僕のお金で移せるライフログには限りがあったし、そうしたら、今ここにいるのは、僕ではない僕だったかもしれない。
だけどルカがログを補ってくれたから、僕は現実とバーチャルの連続性を保てた。
いいや。僕は僕でいいんだと、思えた。
「僕が君を好きだったこと、ちゃんと覚えていたんだね」
ルカは複雑そうに顔をしかめて、「まあね」と認めた。
「ログと相違があったらごめん」
少し不貞腐れたような顔に愛しくなって、僕は真新しい身体で、ルカに抱きついた。
「全然違わない。完璧に一致だよ」
たしかに、僕は純正の「僕」じゃなくなった。他者の記憶で整形されたこのアバターは、どこまで僕で、どこからがルカの記憶なのか分からない。実際、乳首の感度は違った。
だけど僕はそれを、悲観する気にならないのだ。
今目の前にいるのは、僕の恋人。そして主観人物は、僕。
ルカとニタという自意識を持った、バーチャル世界に生きる人間だ。
現実世界のルカとニタはもういない。その記憶を引き継ぐ僕らが何者であろうと、僕はどうでもいい。
現実で「ニタ」が目論んだ再会は、こうしてちゃんと果たされた。
今ここにいる僕たちは自由だ。記憶がどうであろうとも、自我の連続性が不確かでも、確かなことはひとつだけでいい。
「ルカ、愛してる。ルカも、そうでしょ?」
僕の言葉に、僕の恋人は照れくさそうに頷いた。
バーチャル受肉した僕らが何者であろうと、僕たちの愛が本物であることは、誰にも否定させるものかと思う。
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