冴えない俺が片思い相手にチョコを渡した結果……

鳥羽ミワ

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 バレンタインが一体なんだっていうんだ。
 二月十三日、金曜日。仕事は週末と年度末へ向けて忙しさが加速していくのに、浮かれている暇なんかないだろう。

 デジタル化しているからこそ、パソコンを使って事務処理をしなきゃいけないものはなくならない。情シスだって忙しいんだ。
 不備がないかチェック、決済、上長へ回す。不備があるものは否認してフローの下へ返す。

 しがない平社員の俺の仕事はここ数日、これだけだ。よく八時間もやっていられるものだと思う。

「坂部、おつかれさま」

 不意に後ろから声をかけられて、どきりとする。振り向くと、同期で技術部の斎藤が立っていた。
 五十音順で前後に並んでいるという理由で、研修の間なにかと絡んだ仲だ。奴は大きな身体を座った俺に合わせてかがませて、「今ちょっといい?」と尋ねてくる。
 俺はさっと視線をそらして、「おつかれ」と返事をする。我ながら、なんて不愛想なんだろう。
 自己嫌悪に浸りながら、「なんかあった?」と身体だけ斎藤へ向けた。

「先輩が新しい機材申請フォームの使い方が分かんないんだって。俺じゃ上手く説明できないから、坂部に頼みたくて」
「そんなことくらい、斎藤でもできるだろ……」

 とかなんとかぶつくさ言いながら、俺は椅子から立ち上がった。
 俺は斎藤の頼み事に弱い。わざわざ俺の目線に合わせて頼み事をしてくる律義さだとか、人懐っこく細められる瞳の渋さだとか……。
 斎藤は男前の表情を少し緩ませて、「頼むよ」と軽やかに、甘い声で言う。
 つまり俺は、惚れた男の頼みに弱かった。
 曖昧に頷いて、技術部のフロアへ向かう。

 斎藤の先輩だという五十代の社員は、書類が山ほど積み重なったデスクを前にうんうん唸っていた。
 俺は淡々と申請フォームの使い方を教えて、それから「こういうことはメールで直接聞いてください」とやんわり釘を刺した。

「ええ~? でも坂部くんと斎藤、仲良しだろ。社内の円滑なコミュニケーションだ」

 斎藤の先輩のおじさんは朗らかに笑っている。俺はやってらんなくて首を横に振った。

「……とにかく。情シス宛のアドレスがあるんで、質問があればそっちに投げてください。誰かが対応しますんで、よろしくお願いします」

 はいはい、とおじさんはひらひらと手を振る。悪気は決してなさそうで、俺は口をつぐんでぺこりと会釈した。
 また不愛想な対応をしてしまった。ここは笑顔で「また何かあったら呼んでください」とか、そうじゃなくてもさっきの内容をもっと愛嬌を込めて言うとか、いろいろあっただろう。
 俺はいつもこうだ。

 ひんやり自己嫌悪に浸りながら技術部のフロアを出ると、「坂部」と斎藤が追いかけてきた。その手には缶コーヒーを握っている。

「ありがとうな」

 そう言って、俺にそれを押し付けた。反射的に受け取ると、斎藤はじっと俺の顔を見つめてくる。

「……なにか?」

 そんなにまじまじと見つめられると、気まずい。どぎまぎしながら尋ねると、「いや」と斎藤は口ごもった。

「二月十三日だよな、今日」
「あ? ああ、うん」

 いきなり何を言い出すんだろう。俺が首をかしげると、昼休憩のチャイムが鳴った。
 途端にフロアの電気が消されて、人がわらわらと立ち上がる。女性社員が何人か連れだって、斎藤の方へとやってきた。

 なるほど、とうなずく。俺はそっと斎藤へ目くばせをする。斎藤は口を開きかけたけど、それより先に女性たちが黄色い声で「斎藤さん」と呼ぶ方が早かった。手元にはしゃれた小さな紙袋を抱えている。中身は言うまでもなく、チョコだろう。

「お時間、いいですか?」

 女性たちが斎藤へ群がって、俺は一歩引いて斎藤から離れる。
 いいな、とうらやむ気持ちと、見捨ててすまんという申し訳ない気持ち。
 女の子たちはいいな。斎藤へ何の臆面もなくチョコを渡せて。

 斎藤が女性たちの対応でてんてこまいになっている。何人かがこちらを邪魔だと言わんばかりににらんできたから、俺はこの隙にとっとと退散することにした。

「お、おい。坂部!」

 引き留めるように斎藤が俺を呼ぶけど、知らん。
 とっととオフィスから出て、外にある蕎麦屋で昼飯を済ませた。
 まあ、なんということもない。今日は特別に許してやろうと追加した海老天をそばつゆにつけながら、俺はひたひたにふやけていく衣を見つめた。

 まさか俺が斎藤へ片思いしているだなんて、誰も思っちゃいないだろう。そして恋愛という土俵にも上がれないことは、自分でちゃんと分かっている。
 いや、逃げているだけかもしれないというか、実際逃げているんだろう。斎藤は、男に告白されたからって、相手を気持ち悪がる奴じゃない。
 ただ告白をすることで、斎藤と今までみたいに話せなくなるのが嫌なんだ。彼は俺の、数少ない友達でもあるんだから。

 オフィスに戻ると、ホワイトボードに斎藤の名前があった。午後からは工場へ行って、そのまま直帰らしい。助かった。
 何が助かったのかは分からないけれど、今日はもう顔を合わせずに済んでほっとした。

 それから俺は残業をして、いつもより少し遅い時間に退勤した。最寄り駅へ向かいながらふと乗換駅のデパートの催事場で、バレンタイン特集をやっていると思い出す。
 渡す相手はいないけど、俺がひとりで食べる分には何の問題もない。そう思いなおして、俺は乗換駅で降りた。改札を出て、いつもだったら乗り換えに向かうところをデパートへ足を向ける。
 エスカレーターを何回も昇って、閉店間際でにぎわう催事場へとたどり着く。ものすごい人込みをかきわけながら、チョコを物色して回った。
 結果として、俺は高いチョコレートを三箱ほど購入した。どれもおいしそうで、これでも厳選した方だ。だけど、それにしたって買いすぎたかもしれない。一人で食べきるには少し量が多すぎる。
 とはいえ、自分のためにチョコを買った。それだけで俺の気持ちは少しだけ明るくなる。
 乗り換えのホームへ向かおうとすると、「坂部」と呼び止められた。振り向くと、スーツ姿の斎藤が立っている。顔は真っ赤で、一目で酔っぱらっていると分かるくらいだった。

「斎藤」

 目を丸くして名前を呼ぶと、斎藤はふらふらとした足取りでこちらへやってくる。この様子だと、相当飲んだようだ。

「お前、酔いすぎだぞ。何かあったのか」
「ん、へーき……のみかいが、あっただけだから」

 斎藤はビジネスバッグから天然水のペットボトルを取り出してがぶ飲みした。俺は呆れる振りをしているけれど、内心はどきどきしている。
 ふと、頭の中でひらめきが走った。

「おい、斎藤」

 俺はべろべろの斎藤の前で、さっき買ったチョコの入っている紙袋を漁った。一番値段が高かったやつを選んで、斎藤へ差し出す。

「さっき催事場で買ったんだが、買いすぎた。一個もらってくれ」
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