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2. 生活能力皆無の漫画家、新担当と顔合わせする
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僕が自宅兼仕事場にしているマンションには、洋室が三つある。そのうちの一番大きいところをリビングにしているので、そこに二人を通した。大きなテーブルがでんと一つ置いてあって、椅子を二つずつ向かい合って置いている。
通販の段ボールとかを置きっぱなしにしてしまっているけど、まだ足の踏み場がある。僕はペットボトルの詰まった段ボールからいそいそとお茶を取り出して、二人の前に置いた。気のせいだと思うけど、佐原さんの眉がぴくりと動く。
「野木先生って……」
何かを言いかける。僕も永井さんも彼を見たけれど、「いえ、別に」と笑顔でかわされた。
永井さんは慣れた調子でノートパソコンを取り出した。置きっぱなしのペットボトルの空のボトルをどかして、机の上に置く。
「佐原くん。オフィスで説明した通り、君の仕事は野木先生の担当編集だ」
「それから家事も含まれるって、こういうことか……」
佐原さんは唇を噛んで、どこか苦々しい顔をしている。大丈夫だろうかと永井さんをちらりと見ると、彼は「そうだよ」となんでもないように頷く。
「原稿については、編集部としては心配していないよ。君は優秀な新人だし、野木先生も実力のある作家だからね」
「はい」
佐原さんはにこにこと笑いながら聞いているけれど、目が笑っていない気がする。永井さんは「ただね……」と少しだけ表情を暗くした。
「この通り、先生は……その……生活が、ちょっと、乱れがちだ。そこをフォローしてほしい。ね、先生」
「は、はいっ」
大変情けない話、これでも今日はかなりマシな方なんだ。ひどいと、このリビングですら足の踏み場がない。部屋の中で歩けないという意味不明な状況が発生してしまう。
佐原さんは変わらずにこにこしているけれど、だんだん表情が引きつってきた。
「永井さんはこれまでずっと……お世話を?」
「うん。先生がデビューしてからだから、十年くらいね」
僕はすっかり恥ずかしくなって、椅子の上で縮こまった。この無駄に広い部屋を、永井さんが来てくれるたびに、一緒に掃除したものだ。佐原さんは「そっかぁ」とどこか他人事みたいに呟いている。
「それをこれから、俺が……」
「うん。ほら、報酬分は働くんでしょ?」
にこにこしている永井さんをよそに、佐原さんはもう苦々しさを隠そうともしない。僕は申し訳なくなって、「あの」と声をあげた。
「だ、だけどやっぱり、家事は編集さんの仕事じゃないです。僕、がんばります。原稿もこれまで通り、何があっても落としません。だから佐原さんは、編集の仕事だけで……いいんじゃないですか?」
永井さんは、ちらりと佐原さんを見やる。佐原さんは深々とため息をついて、髪の毛をがしがしとかき混ぜた。
「……いえ。これも仕事なんで、やりますよ」
「え、でも」
「やります。仕事なんで」
佐原さんは急に強情になって、やると言い出した。僕がついていけずに目を白黒させていると、「よし」と永井さんが手を叩く。
「それでは早速、この部屋を一緒に片付けていきましょう。先生、見られたくないものは今のうちに隠してください」
「えええ……」
僕は慌てて立ち上がって、寝室兼仕事場にしている部屋へ飛び込んでいった。後ろでは、編集二人がひそひそと話しているのが聞こえる。
「永井さん、状況がちょっと聞いてた以上なんですけど。本当に俺が一人でやるんですか? ハウスキーパーは頼めないんですか?」
「言っただろう、合わなかったんだって」
「やりがい搾取だ」
かろやかな会話をよそに、僕は仕事場のドアをそっと閉めた。足元に散らばるものをよけながら部屋の中に入って、出しっぱなしだった下着類をタンスに押し込めていく。見られたら恥ずかしいものは全部、ベッドの下やタンスに入れておけばいいだろう。
ベッドの下から、ひとり遊び用の大人のおもちゃが顔を覗かせていたので、奥へと押し込む。まかり間違ってもディルドとか乳首を吸うやつとか、仕事相手には見られたくない。
なんとか体裁を整えると、ドアがノックされた。
「野木先生、入っても大丈夫ですか?」
佐原さんの声だ。「はい」と返事をすると、ドアノブがゆっくりと開く。彼は部屋を見て、そっと目を伏せた。
なんだろう。部屋が汚すぎて絶句しているんだろうか。僕は脱ぎっぱなしの靴下をそっとベッドの下に隠した。
後ろから永井さんもやってきて、「先生ご自身で、ちょっと片付けたみたいですね」とほっと息をついた。僕は出しっぱなしにしていたゴミ袋を見て、えへへと笑う。
「それじゃあ、私はリビングをやりますから。先生と佐原くんは、この部屋をお願いします」
そう言って、永井さんは立ち去ってしまった。部屋に二人きりで残されて、ちょっと気まずい。
僕はひとまずへらりと笑って、「よろしくね」と声をかけた。
「が、がんばろうね……!」
佐原さんは、じっと僕の顔を見つめた。美形の真顔は迫力がある。
しばらく経ってから、彼は「そうですね」と俯いた。
「やりましょう」
ため息をついて、彼はゴミ袋を開いた。
通販の段ボールとかを置きっぱなしにしてしまっているけど、まだ足の踏み場がある。僕はペットボトルの詰まった段ボールからいそいそとお茶を取り出して、二人の前に置いた。気のせいだと思うけど、佐原さんの眉がぴくりと動く。
「野木先生って……」
何かを言いかける。僕も永井さんも彼を見たけれど、「いえ、別に」と笑顔でかわされた。
永井さんは慣れた調子でノートパソコンを取り出した。置きっぱなしのペットボトルの空のボトルをどかして、机の上に置く。
「佐原くん。オフィスで説明した通り、君の仕事は野木先生の担当編集だ」
「それから家事も含まれるって、こういうことか……」
佐原さんは唇を噛んで、どこか苦々しい顔をしている。大丈夫だろうかと永井さんをちらりと見ると、彼は「そうだよ」となんでもないように頷く。
「原稿については、編集部としては心配していないよ。君は優秀な新人だし、野木先生も実力のある作家だからね」
「はい」
佐原さんはにこにこと笑いながら聞いているけれど、目が笑っていない気がする。永井さんは「ただね……」と少しだけ表情を暗くした。
「この通り、先生は……その……生活が、ちょっと、乱れがちだ。そこをフォローしてほしい。ね、先生」
「は、はいっ」
大変情けない話、これでも今日はかなりマシな方なんだ。ひどいと、このリビングですら足の踏み場がない。部屋の中で歩けないという意味不明な状況が発生してしまう。
佐原さんは変わらずにこにこしているけれど、だんだん表情が引きつってきた。
「永井さんはこれまでずっと……お世話を?」
「うん。先生がデビューしてからだから、十年くらいね」
僕はすっかり恥ずかしくなって、椅子の上で縮こまった。この無駄に広い部屋を、永井さんが来てくれるたびに、一緒に掃除したものだ。佐原さんは「そっかぁ」とどこか他人事みたいに呟いている。
「それをこれから、俺が……」
「うん。ほら、報酬分は働くんでしょ?」
にこにこしている永井さんをよそに、佐原さんはもう苦々しさを隠そうともしない。僕は申し訳なくなって、「あの」と声をあげた。
「だ、だけどやっぱり、家事は編集さんの仕事じゃないです。僕、がんばります。原稿もこれまで通り、何があっても落としません。だから佐原さんは、編集の仕事だけで……いいんじゃないですか?」
永井さんは、ちらりと佐原さんを見やる。佐原さんは深々とため息をついて、髪の毛をがしがしとかき混ぜた。
「……いえ。これも仕事なんで、やりますよ」
「え、でも」
「やります。仕事なんで」
佐原さんは急に強情になって、やると言い出した。僕がついていけずに目を白黒させていると、「よし」と永井さんが手を叩く。
「それでは早速、この部屋を一緒に片付けていきましょう。先生、見られたくないものは今のうちに隠してください」
「えええ……」
僕は慌てて立ち上がって、寝室兼仕事場にしている部屋へ飛び込んでいった。後ろでは、編集二人がひそひそと話しているのが聞こえる。
「永井さん、状況がちょっと聞いてた以上なんですけど。本当に俺が一人でやるんですか? ハウスキーパーは頼めないんですか?」
「言っただろう、合わなかったんだって」
「やりがい搾取だ」
かろやかな会話をよそに、僕は仕事場のドアをそっと閉めた。足元に散らばるものをよけながら部屋の中に入って、出しっぱなしだった下着類をタンスに押し込めていく。見られたら恥ずかしいものは全部、ベッドの下やタンスに入れておけばいいだろう。
ベッドの下から、ひとり遊び用の大人のおもちゃが顔を覗かせていたので、奥へと押し込む。まかり間違ってもディルドとか乳首を吸うやつとか、仕事相手には見られたくない。
なんとか体裁を整えると、ドアがノックされた。
「野木先生、入っても大丈夫ですか?」
佐原さんの声だ。「はい」と返事をすると、ドアノブがゆっくりと開く。彼は部屋を見て、そっと目を伏せた。
なんだろう。部屋が汚すぎて絶句しているんだろうか。僕は脱ぎっぱなしの靴下をそっとベッドの下に隠した。
後ろから永井さんもやってきて、「先生ご自身で、ちょっと片付けたみたいですね」とほっと息をついた。僕は出しっぱなしにしていたゴミ袋を見て、えへへと笑う。
「それじゃあ、私はリビングをやりますから。先生と佐原くんは、この部屋をお願いします」
そう言って、永井さんは立ち去ってしまった。部屋に二人きりで残されて、ちょっと気まずい。
僕はひとまずへらりと笑って、「よろしくね」と声をかけた。
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