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3. 生活能力皆無の漫画家、セーターを縮ませてしまう
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その日はいちにち、部屋の片づけで終わった。
永井さんと佐原さんが帰っていったあと、僕は仕事場のある程度は片付いた床へくったりと寝そべった。まだ段ボールや資料本をすべて片付けられたわけではないから大の字にはなれないけれど、横になることはできる。
今の気持ちを率直に言語化するなら、「不安」の一言に尽きる。
佐原さんとは初対面だし、十年近く付き合いのある永井さんと比べたら、やっぱり全幅の信頼を置くのは難しい。
だけどこれはきっと、僕にも自立の時が来たということなんだろう。僕は胸に闘志を燃やしながら、みぞおちの上で手を組んだ。
とにかく、少しだけでも……生活を、上手く回そう。
善は急げ。まずは洗濯だ。僕は脱衣所へ向かった。
積み重ねたままの衣服を抱えて、えいっと洗濯機へ放り込む。冬場だからセーターとか、もこもこした衣服が多くて、かさばる。いつもだったらこういうのは、まとめてクリーニングに出してしまうところだけど、今日は自分でやってみよう。
洗剤は永井さんがジェルボールタイプのを用意しておいてくれているから、これで洗えばいい。僕は四方が四センチほどの小さなジェルボールを、しげしげと眺めた。
それから洗濯機の中身を見て、果たしてこんなに小さなものでこれだけ洗えるだろうか……と疑問に思う。もう一個くらい入れてもいいだろう。ジェルボールを二個、洗濯機の中に放り込んだ。
とにかくこれでいいはずだ。僕は洗濯機の電源を入れて、「おまかせ」を選んだ。ごうんごうんと音を立てて回り出した洗濯機に、達成感を覚える。
ここで、ふあ、とあくびが出る。時刻は午後九時。今日はちょっと早起きだったから、一旦仮眠を取ってもいいだろう。
僕は完全栄養食のパンを一個口へ押し込んで、ベッドに入った。
そして気づくと、外はすっかり明るくなっていた。時計を見れば、午前七時だ。
そうだ、洗濯機。僕は慌てて洗濯機へかけこんで、蓋を開けた。そして愕然とする。
「せ、セーターが、縮んでる……!」
しおしおになったセーターは、気のせいでは済まないレベルで縮んでいる。どうすればいいのか分からなくて、持ったまま右往左往してしまう。
ここでインターホンが鳴った。こんな朝早くに誰だろうと驚いて、びしょ濡れのセーターを持ったままドアを開けてしまう。そこに立っていたのは佐原さんだった。唇は不満げに尖っているけれど、手元には中身がたっぷり入ったエコバッグが提げられている。
「お、おはようございます」
おそるおそる朝の挨拶をすると、「はよございます」とどこかぞんざいな返事がある。
「朝ごはん、買ってきました。お昼分も入ってます」
「えーっ」
僕は驚いて声を上げてしまった。永井さんでも、ここまで至れり尽くせりじゃなかった。佐原さんは取り繕ったような笑みを浮かべて、エコバッグを見せてくる。
「おにぎりとかです。とにかく、食べてください。冬場だし、体調を崩しやすいでしょう? 栄養はとってください」
「でも完全栄養食を食べてるよ」
「あれか……まあ、悪くはないでしょうね」
佐原さんはもごもご言いながら、僕にエコバッグを押し付けてくる。そしてふと、顔をしかめた。
「先生、それなんですか」
「えっと……縮んじゃったセーター……」
なんとなく、佐原さんにそれを広げてみせる。びろんとだらしなくひろがった袖に、佐原さんは頭を抱えた。
「……あの、洗剤は何を使いました?」
「ジェルボール? だと思う」
「だと思うって……」
佐原さんは絶句している。僕はどうすればいいのか分からなくて、おろおろとセーターをあげさげした。
「いつもはクリーニングに一括で出すんだけど、たまには自分でやってみようと思って」
まだ絶句している。僕はいたたまれなくなって、セーターを自分の後ろへ隠した。
「ごめんね、引き留めて。朝ごはんありがとう……」
佐原さんは「いえ」とぎこちなく首を横に振った後、エコバッグの中身だけ僕に渡してドアを締める。僕は恥ずかしくてたまらなくて、半泣きでセーターをハンガーにかけた。
その日の夕方、佐原さんはまた部屋にやってきた。僕は原稿を切り上げて、ドアを開ける。佐原さんは朝と同じように、中身がいっぱいになったエコバッグを持っている。
「洗剤とか、買ってきました」
淡々とした口調からは、あまり感情を感じられない。だけど僕のことを、あんまりよく思ってなさそうだということは、分かった。それでもこうして手伝ってくれるということは、責任感が強いんだろうか。
ふと通話アプリの着信音が鳴り響く。佐原さんのだろう。佐原さんはスマホを取り出して、ためらわずに画面をタップした。
「あ、ユアちゃん? うん、今大丈夫だよ」
僕は度肝を抜かれてしまって、黙り込んでしまった。
この人、曲がりなりにも僕の……仕事相手の前なのに、女の子と通話している。
彼は「おしゃれ着用洗剤」と書かれたビタミンカラーのパッケージを床へ置いて、甘い声で相槌を打っている。
「うん、そ。じゃあ今日の八時に……」
そう言って、電話は切れる。僕はぽかんとして、佐原さんを見た。
彼はああ、とこともなげに笑って、「すみません」と形だけの謝罪をした。
「仕事はちゃんとするんで。見逃してくださいよ」
あまりにも堂々としたその振る舞いに、僕は圧倒されてしまった。
「わかった……」
そして頷く以外のことが、できなかった。
永井さんと佐原さんが帰っていったあと、僕は仕事場のある程度は片付いた床へくったりと寝そべった。まだ段ボールや資料本をすべて片付けられたわけではないから大の字にはなれないけれど、横になることはできる。
今の気持ちを率直に言語化するなら、「不安」の一言に尽きる。
佐原さんとは初対面だし、十年近く付き合いのある永井さんと比べたら、やっぱり全幅の信頼を置くのは難しい。
だけどこれはきっと、僕にも自立の時が来たということなんだろう。僕は胸に闘志を燃やしながら、みぞおちの上で手を組んだ。
とにかく、少しだけでも……生活を、上手く回そう。
善は急げ。まずは洗濯だ。僕は脱衣所へ向かった。
積み重ねたままの衣服を抱えて、えいっと洗濯機へ放り込む。冬場だからセーターとか、もこもこした衣服が多くて、かさばる。いつもだったらこういうのは、まとめてクリーニングに出してしまうところだけど、今日は自分でやってみよう。
洗剤は永井さんがジェルボールタイプのを用意しておいてくれているから、これで洗えばいい。僕は四方が四センチほどの小さなジェルボールを、しげしげと眺めた。
それから洗濯機の中身を見て、果たしてこんなに小さなものでこれだけ洗えるだろうか……と疑問に思う。もう一個くらい入れてもいいだろう。ジェルボールを二個、洗濯機の中に放り込んだ。
とにかくこれでいいはずだ。僕は洗濯機の電源を入れて、「おまかせ」を選んだ。ごうんごうんと音を立てて回り出した洗濯機に、達成感を覚える。
ここで、ふあ、とあくびが出る。時刻は午後九時。今日はちょっと早起きだったから、一旦仮眠を取ってもいいだろう。
僕は完全栄養食のパンを一個口へ押し込んで、ベッドに入った。
そして気づくと、外はすっかり明るくなっていた。時計を見れば、午前七時だ。
そうだ、洗濯機。僕は慌てて洗濯機へかけこんで、蓋を開けた。そして愕然とする。
「せ、セーターが、縮んでる……!」
しおしおになったセーターは、気のせいでは済まないレベルで縮んでいる。どうすればいいのか分からなくて、持ったまま右往左往してしまう。
ここでインターホンが鳴った。こんな朝早くに誰だろうと驚いて、びしょ濡れのセーターを持ったままドアを開けてしまう。そこに立っていたのは佐原さんだった。唇は不満げに尖っているけれど、手元には中身がたっぷり入ったエコバッグが提げられている。
「お、おはようございます」
おそるおそる朝の挨拶をすると、「はよございます」とどこかぞんざいな返事がある。
「朝ごはん、買ってきました。お昼分も入ってます」
「えーっ」
僕は驚いて声を上げてしまった。永井さんでも、ここまで至れり尽くせりじゃなかった。佐原さんは取り繕ったような笑みを浮かべて、エコバッグを見せてくる。
「おにぎりとかです。とにかく、食べてください。冬場だし、体調を崩しやすいでしょう? 栄養はとってください」
「でも完全栄養食を食べてるよ」
「あれか……まあ、悪くはないでしょうね」
佐原さんはもごもご言いながら、僕にエコバッグを押し付けてくる。そしてふと、顔をしかめた。
「先生、それなんですか」
「えっと……縮んじゃったセーター……」
なんとなく、佐原さんにそれを広げてみせる。びろんとだらしなくひろがった袖に、佐原さんは頭を抱えた。
「……あの、洗剤は何を使いました?」
「ジェルボール? だと思う」
「だと思うって……」
佐原さんは絶句している。僕はどうすればいいのか分からなくて、おろおろとセーターをあげさげした。
「いつもはクリーニングに一括で出すんだけど、たまには自分でやってみようと思って」
まだ絶句している。僕はいたたまれなくなって、セーターを自分の後ろへ隠した。
「ごめんね、引き留めて。朝ごはんありがとう……」
佐原さんは「いえ」とぎこちなく首を横に振った後、エコバッグの中身だけ僕に渡してドアを締める。僕は恥ずかしくてたまらなくて、半泣きでセーターをハンガーにかけた。
その日の夕方、佐原さんはまた部屋にやってきた。僕は原稿を切り上げて、ドアを開ける。佐原さんは朝と同じように、中身がいっぱいになったエコバッグを持っている。
「洗剤とか、買ってきました」
淡々とした口調からは、あまり感情を感じられない。だけど僕のことを、あんまりよく思ってなさそうだということは、分かった。それでもこうして手伝ってくれるということは、責任感が強いんだろうか。
ふと通話アプリの着信音が鳴り響く。佐原さんのだろう。佐原さんはスマホを取り出して、ためらわずに画面をタップした。
「あ、ユアちゃん? うん、今大丈夫だよ」
僕は度肝を抜かれてしまって、黙り込んでしまった。
この人、曲がりなりにも僕の……仕事相手の前なのに、女の子と通話している。
彼は「おしゃれ着用洗剤」と書かれたビタミンカラーのパッケージを床へ置いて、甘い声で相槌を打っている。
「うん、そ。じゃあ今日の八時に……」
そう言って、電話は切れる。僕はぽかんとして、佐原さんを見た。
彼はああ、とこともなげに笑って、「すみません」と形だけの謝罪をした。
「仕事はちゃんとするんで。見逃してくださいよ」
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「わかった……」
そして頷く以外のことが、できなかった。
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