【本編完結】生活能力皆無の漫画家、お世話係の遊び人編集者をうっかり沼らせてしまう

鳥羽ミワ

文字の大きさ
4 / 26

4. 生活能力皆無の漫画家、風邪を引く

しおりを挟む
 意外なことに、佐原さんの仕事ぶりはちゃんとしていた。僕の食事を用意してくれるし、足りないものがあったら買ってきてくれる。
 結構な頻度で女の子と通話しているし、その相手の名前がほぼ毎回違うのは、気になりはするけど……。

 そんなこんなで、永井さんの退社の日がやってきた。こうして僕の担当編集は正式に佐原さんとなり、打ち合わせなんかも彼とするようになる。
 新人ということだけど、仕事はちゃんとできそうで、ほっとした。連絡は早いし、僕の返事がなかったらすぐ電話をかけて催促してくれる。声はちょっとぶっきらぼうだけど、きっと悪い人じゃない。

 なんだかんだと、仕事はしやすい。肌荒れも減ったし。
 そんなわけで、脱稿はいつにも増して余裕だった。佐原さんが少し驚くくらいに早かった。画面越しの打ち合わせで、佐原さんは「早かったですね」と呟く。

「先生、いつもこんなに原稿あげるの早いんですか?」
「まさか。佐原さんが手伝ってくれたおかげだよ」

 これは家事のことを別にしても、本当だ。永井さんは優しかったから新人時代の僕はついていけたけど、こうしてきっちり催促するタイプじゃなかった。
 結果として今の僕とは、永井さんより佐原さんの方が、相性がいいのかもしれない。
 そうそう、と佐原さんは気だるげに切り出した。

「次回の打ち合わせついでに、明日また先生のお家にうかがいますんで。買ってきたほうがいいものはありますか?」
「えっと……食料品……?」

 正直、何が必要なのかも把握できてない。そわそわしながら答えると、「はい」と気のない返事があった。

「それじゃあ、一旦食料を買っていきますね」
「よろしくお願いします……」

 佐原さんは渋々の様子だけど、僕の「お世話」はしっかりやってくれている。仕事はしっかりやる辺り、根は真面目なんだろう。
 
 とにかく僕がすべきは、掃除だ。
 脱稿前のあれこれでいつにも増して散らかった部屋を前に、ゴミ袋を開いた。床に散らばったよく分からないレシートやティッシュをどんどん放り込んでいく。

 ちょっと床が見えてきたところで、体力の限界がやってきた。時計を見れば、もう夜の十時だ。
 いつもだったらもう一踏ん張りする時間だけど、今日は原稿を完成させて、提出して、一仕事を終えた日だ。もう、お風呂に入って寝てしまおう。

 僕は部屋の隅に積み重なった洗濯物の山からタオルを引き出して、浴室へと向かった。ちゃっと頭からお湯をかぶって、頭と身体を洗う。
 冬場だから冷えるのが困りものだけど、お風呂を済ませたらあとは寝るだけだ。学生時代から使っているドライヤーをコンセントに差して、スイッチを入れる。ごうごうと音を立てて温風が吹き付ける。

 途端につん、と焦げ臭いにおいが鼻をついた。反射的にスイッチを切って、ドライヤーを見る。もう一度スイッチを入れる。ごうごうという風の音に混じって、金属が擦れるような異音があった。焦げ臭いにおいもする。

「……壊れちゃった」

 どうしてこんなタイミングで。
 愕然としながら、どうしようと右往左往する。ひとまず新しいものを買わなきゃいけない、と慌てて通販サイトを開いた。一番高評価のついている商品を選んで注文ボタンを押す。

 だけど今この瞬間、髪の毛を乾かすための道具はない。僕はタオルで髪の毛を執拗にゴシゴシ拭いて、水気を切ろうとした。だけど完全には乾かない。
 諦めて、そのままベッドへ横になる。せっかく原稿を提出していい気分だったのに……。
 ひんやりとする頭は気になったけど、僕はできるだけ気にしないようにした。少し寒いけど、布団をかぶってしまえば平気だろう。

 と、思っていた。

 目を覚ますと、喉に違和感があった。いがいがを通り越してヒリヒリする。頭には霞がかかったみたいで、身体がだるい。
 風邪を引いてしまった。この季節だからしょうがない……。風邪薬を探そうと部屋をさまよっていると、インターホンが鳴る。そういえば、佐原さんが来る日なんだった。

 僕は慌てて玄関に飛んでいって、ドアを開ける。案の定、佐原さんが立っていた。おはようございますと言おうとしたけど、口から出たのは咳だった。激しく咳き込む僕を見て、佐原さんがぎょっとした顔をする。

「先生、風邪ですか?」
「うん……」

 ごめんね、と言いながら、玄関先に置いている箱からマスクをとる。佐原さんはしばらく迷ったように「あー」と呟いて、頭をかいた。

「念のために聞きますけど、お粥の備蓄とかはないですよね」
「はい……」

 しょぼくれると、佐原さんは唇を噛む。きっと飽きれ切っているんだろうと分かって、僕はうつむいた。

「ごめんね……」

 佐原さんは「別に」と言って、手に持ったエコバッグを見せる。

「とりあえず、おにぎりは食べられそうですか?」
「うーん」

 お腹に手を当てて考える。厳しそうだ。

「無理かも……」

 たったこの一言を言うだけで、またゴホゴホと咳が出る。冬場に髪の毛を乾かさないで寝ると、風邪を引くらしい。学びだ。
 佐原さんは深いため息をついて、腰に手を当てた。

「……分かりました。じゃあ、ちょっと待っててください」

 そう言って、彼はあっさり立ち去った。マンションの廊下を走る足音が、どんどん遠ざかっていく。
 僕は呆気に取られて、その背中を見送った。どうすればいいんだろう。分からなくて、玄関先にうずくまる。そういえば、頭が痛い。がんがんする。何も考えられない。

 僕は何をすればいいんだろう。佐原さんはどこへ行ったんだろう。とりあえず立つのもしんどいから、一旦目を瞑る。少しだるさがマシになる。寒い。
 寒い……。

 インターホンが鳴る。立ち上がれない。どうしよう。
 ぐるぐる考えているうちに、ドアが開いた。佐原さんだ。

「野木先生!?」

 佐原さんは目を丸くして、しゃがみ込んで視線を合わせる。僕は咳き込みながら「ごめん」と謝った。

「買ってきたやつ、そこに、置いといてくれれば……」

 いいから、と言えずに咳が出た。風邪を引くって、こんなに何もできなくなるんだ。

 佐原さんは軽く舌打ちをして、僕の脇の下に手を入れる。そのままずるりと身体が持ち上がった。佐原さんはなんと僕を軽々と抱き上げて、部屋の中に入る。
 僕はふっふっと浅い呼吸を繰り返しながら、ぼんやりと謝り続けた。情けない。申し訳ない。じんわりと身体が重たくて、胸がきゅうきゅう狭くなる。

「ごめんなさい……」
「いえ。大丈夫です」

 佐原さんは僕を仕事場のベッドに寝かせて、布団をかけた。すぐに部屋を出ていく。

 急に心細くなって、ベッドの中で膝を抱えてうずくまった。ごろんと横向きになって、痛む頭で考える。
 佐原さんに迷惑をかけてしまった。いや、迷惑をかけているのは最初からだけど、こんなに負担をかけることになるなんて。

 どうして僕はこんなんなんだろう。
 何をやっても上手くいかない。一人前に当たり前のことができない。人に迷惑をかけてばかり。漫画を描くしか能のない役立たず……。社会のゴミ……。こんなんだから家族も僕を見捨てたんだ……。

 ぐるぐる考えているうちに、またドアが開く。

「野木先生」

 佐原さんの、遠慮がちな声が聞こえる。のろのろと身体を起こすと、少し途方に暮れたような顔をした佐原さんが、こちらを見ていた。手元には、封を切ったお粥のパウチがある。スプーンが刺さったそれを、佐原さんはおずおずと差し出してきた。

「……どうぞ」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

片想いの相手が「そろそろ恋愛したい」と言ったので、用済みの俺はニートになることにしました。

はぴねこ
BL
 高校生の頃、片想いの親友に告白した。  彼はノンケだったから玉砕して友人関係も終わるものだと思っていた。  もしかすると気持ち悪いと軽蔑される覚悟までしていたのに、彼は「今は恋愛をしている時間がないんだ」と自分の夢を語ってくれた。  彼は会社を興した祖父のことをとても尊敬していて、自分も起業したいと熱く語ってくれた。  そして、俺の手を握って「できれば親友のお前には俺の右腕になってほしい」と言われた。  同性愛者の俺のことを気持ち悪いと遠ざけることもせずに、親友のままでいてくれた彼に俺は感謝して、同じ大学に進学して、大学の頃に彼と一緒にゲームを作成する会社を起業した。  あれから二十年間、本当に二人三脚で駆け抜けてきた。  そして、昨年売り出したVRMMOが世界的に大ヒットし、ゲーム大賞を取ったことを祝うパーティーで親友が語った言葉に俺の覚悟も決まった。 「俺もそろそろ恋愛したい」  親友のその言葉に、俺は、長年の片想いを終わらせる覚悟をした。  不憫な拗らせアラフォーが”愛”へと踏み出すお話です。

「大人扱いしていい?」〜純情当主、執務室で策士な従兄の『相性確認』にハメられる〜

中山(ほ)
BL
「ルイン、少し口開けてみて」 仕事終わりの静かな執務室。 差し入れの食事と、ポーションの瓶。 信頼していた従兄のトロンに誘われるまま、 ルインは「大人の相性確認」を始めることになる。

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

30歳の誕生日、親友にプロポーズされました。

BL
 同性婚が認められて10年。世間では同性愛に対する偏見は少なくなってきた。でも結婚自体、俺には関係ないけど…  缶ビール片手に心を許せる親友と一緒に過ごせればそれだけで俺は満たされる。こんな日々がずっと続いてほしい、そう思っていた。  30歳の誕生日、俺は親友のガンちゃんにプロポーズをされた。  「樹、俺と結婚してほしい」  「樹のことがずっと好きだった」  俺たちは親友だったはずだろ。結婚に興味のない俺は最初は断るがお試しで結婚生活をしてみないかと提案されて…!?  立花樹 (30) 受け 会社員  岩井充 (ガンちゃん)(30) 攻め   小説家

お荷物な俺、独り立ちしようとしたら押し倒されていた

やまくる実
BL
異世界ファンタジー、ゲーム内の様な世界観。 俺は幼なじみのロイの事が好きだった。だけど俺は能力が低く、アイツのお荷物にしかなっていない。 独り立ちしようとして執着激しい攻めにガッツリ押し倒されてしまう話。 好きな相手に冷たくしてしまう拗らせ執着攻め✖️自己肯定感の低い鈍感受け ムーンライトノベルズにも掲載しています。 挿絵をchat gptに作成してもらいました(*'▽'*)

『定時後の偶然が多すぎる』

こさ
BL
定時後に残業をするたび、 なぜか必ず同じ上司が、同じフロアに残っている。 仕事ができて、無口で、社内でも一目置かれている存在。 必要以上に踏み込まず、距離を保つ人―― それが、彼の上司だった。 ただの偶然。 そう思っていたはずなのに、 声をかけられる回数が増え、 視線が重なる時間が長くなっていく。 「無理はするな」 それだけの言葉に、胸がざわつく理由を、 彼自身はまだ知らない。 これは、 気づかないふりをする上司と、 勘違いだと思い込もうとする部下が、 少しずつ“偶然”を積み重ねていく話。 静かで、逃げ場のない溺愛が、 定時後から始まる。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

処理中です...