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6. 遊び人編集者、叔父に呼び出される(佐原視点)
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金曜日、時刻が変わりかけのド深夜。母方の叔父に呼び出されたのは、自宅の最寄り駅からすぐのビルに入っているファミレスだった。
大学進学を機に上京してから、おじさん――俺を野木遥の担当編集にした張本人――は、たびたびこうして俺を呼び出す。
「いらっしゃいませー」
先に連れが来ている、と店員に言うと、案内されるより先に「けいくん」と名前を呼ばれた。顎肉をたぷたぷ揺らして笑いながら、おじさんが窓際のテーブル席に座っていた。
俺はため息をついて、つかつかとテーブルに歩み寄る。どっかりと向かい側のソファ席に座ると、「早かったね」とおじさんは顎をさすった。
「まあ……」
我ながらぶすくれた声が出た。
「いくら明日が休みって言っても、普通こんな夜中に呼び出す?」
「ごめんね。仕事が忙しいから、けいくんは今しか呼び出せないだろうなと思ったんだ」
このたぬきジジイ。俺が女の子と遊ぶのを邪魔するために呼んだだけだろうに。
俺は脚を組んで、つま先をぶらぶら揺らした。
「別に。野木先生が風邪引いたから、どっちにしろ今夜の予定は何もなかったよ」
案に「余計なお世話だ」という気持ちを込めてやると、おじさんはつぶらな目を丸くした。
「あらら。野木先生は大丈夫?」
「大丈夫じゃないから苦労した。なんで死にかけってくらい体調悪いのに仕事するの?」
「こういう業界だからね。ちょっと休んだら席がなくなる恐ろしさを、先生は重々分かっているんだろうさ」
おじさんはあっけらかんと言う。薄情だなと思うけど、少し引っかかるところがあった。
「そもそも、なんで俺をわざわざ『お世話係』につけるわけ。俺がもともと野木遥のアンチだって、おじさんが一番分かってるよね?」
「もちろん」
にこりと笑って、おじさんはメニュー表を手に取る。いそいそと広げて、「けいくんの好きなのを頼んでいいよ」と言った。
俺は掌で顔を覆って、「ドリンクバーつけて」とうめく。おじさんはスマホを取り出すとQRコードを読み込んで、注文をはじめた。
「ボクとしては、けいくんって野木遥作品は嫌いでも、野木遥という人のことは好きになれると思ったんだ」
「何を根拠に言ってるの」
「好きでしょ? かわいい人」
茶目っけを込めたつもりなんだろう、かろやかな口調だった。俺はおじさんをじっとり睨む。
「俺より年上の男にかわいいも何もないだろ」
げんなりして、唇を歪める。だけどおじさんは「そうかなぁ」とメガネの奥のつぶらな瞳を細めた。
「でも、ほっとけないんでしょう?」
「それが仕事だからね。金もらってなきゃやんないよ」
「おや。そんなに仕事熱心だったっけかな」
おじさんをにらむ。おじさんはおお怖い、とわざとらしく身体を震わせて、またメニュー表に視線を戻した。
注文を送信するのを確認して、ドリンクバーで炭酸水を取ろうと立ち上がる。おじさんを振り返ると、「ボクはオレンジジュース」と片目をつぶられた。
なんて図々しい叔父だ。俺は舌打ちをしつつ、ドリンクバーで注文通りオレンジジュースをいれてやった。ムカついたので氷は抜きだ。
テーブルに戻ると、おじさんは「ありがとう」と礼を言って、コップへ直接口をつけた。俺はストローの封を切って、コップへと差す。
「……というかそもそも、普通に考えてさ。作家のアンチを担当につけるって正気?」
じっとりと睨みあげると、俺の勤め先である出版社の、青年漫画雑誌の元編集長は、にこやかに笑った。ぶい、とピースサインをして、俺に見せつけてくる。
「ボクはきみのおじさんだからね、きみの職業適性はよく分かってるんだ」
「公私混同しないでくださーい」
ダルすぎる。俺はストローに口をつけた。しばらく炭酸水を舌の上で遊ばせていると、「真面目な話をするとね」とおじさんはメガネのずれを直す。
「ボクと同じかそれ以上に、野木遥作品を読み込んでいる人を、けいくんの他に知らないんだ」
「は? んなわけないじゃん。野木先生には熱心なファンがいっぱいいるでしょ」
野木遥。若干二十歳でうちの新人賞をとって以来、十年近くずっとうちで連載を持っている作家。
とにかく絵が上手い。描き込みがとかそういう話じゃなくて、空間の雰囲気を切り取るのが上手い。臨場感のある画面作りが得意で、コマ割りも見やすくて、台詞回しも洒落てる。
なによりもどんな舞台、どんな衣装でも、リアリティたっぷりに描き上げる画力がある。
その技術を惜しみなく使って描かれる、魅力的なキャラクターたち。明快で分かりやすいストーリーラインは、万人を惹きつける。
そして俺は野木遥の絵は好きだけど、お話は大嫌いだ。
「あの人の描くキャラクターとかストーリーって、気持ち悪いから嫌いなんだよ。不気味の谷ってやつ? 妙に人間味とかリアリティがあってキショい」
ほどよく記号化された咀嚼しやすいキャラクター。次々と刺激的なイベントが仕組まれる、魅力的なストーリー。
確実に売れる素材を、確かな技術力で、極上のエンタメに仕立て上げる。
だから野木遥が嫌いだ。俺の動物的な本能を的確に刺激して、もっと読みたいと思わせてくるのに、あちらはずっと正気なのが気持ち悪い。
野木遥自身の計算をそこに感じて、嫌悪感を覚える。
「テンプレ描くんだったら小賢しさを脱臭してほしい。頭空っぽで読ませてくれん?」
「本当にきみは、野木先生のことをよく分かってる!」
そのヒットの片棒を担いだ敏腕編集は、ぱちぱちと手を叩いた。
「ちなみに小賢しさはね、あえて出してもらってる」
「余計なことしやがって」
腕組みをすると、おじさんは「でもね~」と呑気にオレンジジュースを手首で回した。
「そこの小賢しさは、脱臭するならよく考えてね。そこが今の野木先生の味だからね」
「分かってる……」
おじさんは俺のぶっきらぼうな返事に、ニコリと微笑んだ。
「というかきみ、本当に好きなんだねぇ」
「何が?」
低い声で尋ねると、「みなまで言わせないでよ」とおじさんはおちゃらけた口調で言った。
「きみは文芸誌に行きたがってたけど、やっぱり漫画の方が向いてる。それもエンタメ!」
それについては黙秘を貫く。昔からおじさんの英才教育を受けていたおかげで、俺は確かに漫画を読む目がある程度はある……と思う。
というかそもそも、編集長が血縁者を採用して人事もするって、職権濫用だし公私混同じゃないか? だんまりの俺に何を思ったのか、おじさんは「まあまあ」ととりなすように声を出した。
「ほら、けいくんの好きなオムライスが来たよ」
失礼します、と声がして、店員がオムライスを机に置く。おじさんの前にはナポリタンが置かれた。
「……とにかく、俺は納得してないから」
言い切ったところで、スマホの通知音が鳴る。女の子からかと思ったら、野木先生だった。
食料品へのお礼とか、謝罪とかの後に、「ありがとう」という一言で締められた長文のメッセージ。
みっちりと詰まった文章には、独特の圧がある。
「おっも」
だけど仕事だから仕方ない。明日は休日だけど、様子を見にいこう。そうでもしないと、この人はもっと無茶をして、ますます身体をぶっ壊しそうだ。
顔をしかめる俺を前にして、おじさんはニコニコ笑っていた。
大学進学を機に上京してから、おじさん――俺を野木遥の担当編集にした張本人――は、たびたびこうして俺を呼び出す。
「いらっしゃいませー」
先に連れが来ている、と店員に言うと、案内されるより先に「けいくん」と名前を呼ばれた。顎肉をたぷたぷ揺らして笑いながら、おじさんが窓際のテーブル席に座っていた。
俺はため息をついて、つかつかとテーブルに歩み寄る。どっかりと向かい側のソファ席に座ると、「早かったね」とおじさんは顎をさすった。
「まあ……」
我ながらぶすくれた声が出た。
「いくら明日が休みって言っても、普通こんな夜中に呼び出す?」
「ごめんね。仕事が忙しいから、けいくんは今しか呼び出せないだろうなと思ったんだ」
このたぬきジジイ。俺が女の子と遊ぶのを邪魔するために呼んだだけだろうに。
俺は脚を組んで、つま先をぶらぶら揺らした。
「別に。野木先生が風邪引いたから、どっちにしろ今夜の予定は何もなかったよ」
案に「余計なお世話だ」という気持ちを込めてやると、おじさんはつぶらな目を丸くした。
「あらら。野木先生は大丈夫?」
「大丈夫じゃないから苦労した。なんで死にかけってくらい体調悪いのに仕事するの?」
「こういう業界だからね。ちょっと休んだら席がなくなる恐ろしさを、先生は重々分かっているんだろうさ」
おじさんはあっけらかんと言う。薄情だなと思うけど、少し引っかかるところがあった。
「そもそも、なんで俺をわざわざ『お世話係』につけるわけ。俺がもともと野木遥のアンチだって、おじさんが一番分かってるよね?」
「もちろん」
にこりと笑って、おじさんはメニュー表を手に取る。いそいそと広げて、「けいくんの好きなのを頼んでいいよ」と言った。
俺は掌で顔を覆って、「ドリンクバーつけて」とうめく。おじさんはスマホを取り出すとQRコードを読み込んで、注文をはじめた。
「ボクとしては、けいくんって野木遥作品は嫌いでも、野木遥という人のことは好きになれると思ったんだ」
「何を根拠に言ってるの」
「好きでしょ? かわいい人」
茶目っけを込めたつもりなんだろう、かろやかな口調だった。俺はおじさんをじっとり睨む。
「俺より年上の男にかわいいも何もないだろ」
げんなりして、唇を歪める。だけどおじさんは「そうかなぁ」とメガネの奥のつぶらな瞳を細めた。
「でも、ほっとけないんでしょう?」
「それが仕事だからね。金もらってなきゃやんないよ」
「おや。そんなに仕事熱心だったっけかな」
おじさんをにらむ。おじさんはおお怖い、とわざとらしく身体を震わせて、またメニュー表に視線を戻した。
注文を送信するのを確認して、ドリンクバーで炭酸水を取ろうと立ち上がる。おじさんを振り返ると、「ボクはオレンジジュース」と片目をつぶられた。
なんて図々しい叔父だ。俺は舌打ちをしつつ、ドリンクバーで注文通りオレンジジュースをいれてやった。ムカついたので氷は抜きだ。
テーブルに戻ると、おじさんは「ありがとう」と礼を言って、コップへ直接口をつけた。俺はストローの封を切って、コップへと差す。
「……というかそもそも、普通に考えてさ。作家のアンチを担当につけるって正気?」
じっとりと睨みあげると、俺の勤め先である出版社の、青年漫画雑誌の元編集長は、にこやかに笑った。ぶい、とピースサインをして、俺に見せつけてくる。
「ボクはきみのおじさんだからね、きみの職業適性はよく分かってるんだ」
「公私混同しないでくださーい」
ダルすぎる。俺はストローに口をつけた。しばらく炭酸水を舌の上で遊ばせていると、「真面目な話をするとね」とおじさんはメガネのずれを直す。
「ボクと同じかそれ以上に、野木遥作品を読み込んでいる人を、けいくんの他に知らないんだ」
「は? んなわけないじゃん。野木先生には熱心なファンがいっぱいいるでしょ」
野木遥。若干二十歳でうちの新人賞をとって以来、十年近くずっとうちで連載を持っている作家。
とにかく絵が上手い。描き込みがとかそういう話じゃなくて、空間の雰囲気を切り取るのが上手い。臨場感のある画面作りが得意で、コマ割りも見やすくて、台詞回しも洒落てる。
なによりもどんな舞台、どんな衣装でも、リアリティたっぷりに描き上げる画力がある。
その技術を惜しみなく使って描かれる、魅力的なキャラクターたち。明快で分かりやすいストーリーラインは、万人を惹きつける。
そして俺は野木遥の絵は好きだけど、お話は大嫌いだ。
「あの人の描くキャラクターとかストーリーって、気持ち悪いから嫌いなんだよ。不気味の谷ってやつ? 妙に人間味とかリアリティがあってキショい」
ほどよく記号化された咀嚼しやすいキャラクター。次々と刺激的なイベントが仕組まれる、魅力的なストーリー。
確実に売れる素材を、確かな技術力で、極上のエンタメに仕立て上げる。
だから野木遥が嫌いだ。俺の動物的な本能を的確に刺激して、もっと読みたいと思わせてくるのに、あちらはずっと正気なのが気持ち悪い。
野木遥自身の計算をそこに感じて、嫌悪感を覚える。
「テンプレ描くんだったら小賢しさを脱臭してほしい。頭空っぽで読ませてくれん?」
「本当にきみは、野木先生のことをよく分かってる!」
そのヒットの片棒を担いだ敏腕編集は、ぱちぱちと手を叩いた。
「ちなみに小賢しさはね、あえて出してもらってる」
「余計なことしやがって」
腕組みをすると、おじさんは「でもね~」と呑気にオレンジジュースを手首で回した。
「そこの小賢しさは、脱臭するならよく考えてね。そこが今の野木先生の味だからね」
「分かってる……」
おじさんは俺のぶっきらぼうな返事に、ニコリと微笑んだ。
「というかきみ、本当に好きなんだねぇ」
「何が?」
低い声で尋ねると、「みなまで言わせないでよ」とおじさんはおちゃらけた口調で言った。
「きみは文芸誌に行きたがってたけど、やっぱり漫画の方が向いてる。それもエンタメ!」
それについては黙秘を貫く。昔からおじさんの英才教育を受けていたおかげで、俺は確かに漫画を読む目がある程度はある……と思う。
というかそもそも、編集長が血縁者を採用して人事もするって、職権濫用だし公私混同じゃないか? だんまりの俺に何を思ったのか、おじさんは「まあまあ」ととりなすように声を出した。
「ほら、けいくんの好きなオムライスが来たよ」
失礼します、と声がして、店員がオムライスを机に置く。おじさんの前にはナポリタンが置かれた。
「……とにかく、俺は納得してないから」
言い切ったところで、スマホの通知音が鳴る。女の子からかと思ったら、野木先生だった。
食料品へのお礼とか、謝罪とかの後に、「ありがとう」という一言で締められた長文のメッセージ。
みっちりと詰まった文章には、独特の圧がある。
「おっも」
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