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11. 生活能力皆無の漫画家、お世話係の担当編集に依存してしまう
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朝の八時。僕はご飯の写真を撮って、佐原さんに送った。佐原さんは、僕が朝食を食べているかも把握したいらしい。
作家の健康管理に熱心な、ありがたい編集者だ。永井さんにも元気でやっていることを知らせようと、朝ごはんの写真と、佐原さんへの感謝を綴る。
すぐ既読がつく。ご飯を食べ終わる頃になって、返信が来た。
ものすごく言葉を選んで書かれた、「この状況はおかしいんじゃないか?」という趣旨の文章だった。
はっと我に帰る。言われてみれば、たしかにそうだ。もしかして、この状況ってちょっとまずいんじゃないか?
僕は訝しんだ。
白飯は昨日の晩、佐原さんがお米を洗って炊飯器に予約をかけておいてくれた。その炊飯器は佐原さんのお古だ。もちろん夕飯も佐原さんに用意してもらったし、佐原さんに洗ってもらったお風呂に入った。
今着ているこの服だって、佐原さんが洗濯して、干して、畳んで用意してくれた。
どうして今の今まで気づかなかったんだろう。
僕は……いくらなんでも、佐原さんに甘えすぎだ!
いてもたってもいられなくなって、食器をシンクへ突っ込む。スポンジを濡らして食器用洗剤をたっぷり出して、お椀や箸を洗った。びちゃびちゃと水が跳ねて袖を濡らす。慌てすぎて、腕まくりも忘れてしまっていた。
このままではいけない。
佐原さんは仕事でやってくれているだけだ。
なんでもやってくれるからって、甘えていてはいけない。このままだと、愛想を尽かされて、担当を辞めてしまうかもしれない。
僕の頭の中で、佐原さんのぶっきらぼうな表情が浮かんでは消える。
それはやがて蔑んだようないびつな笑い顔になったり、呆れた顔になったり、ぐにゃぐにゃと歪んでいった。
佐原さんが内心どう思っているかは分からないけど、内心すごく呆れられていたらどうしよう。いや、呆れられているに決まってる。
もう僕はおしまいだ……。
半泣きでお皿を洗って、ずぶ濡れのまま水切りに置いた。佐原さんはいつも、布巾できちんと拭いていた。
だから僕も拭こうと思って、布巾を探した。新品のストックが台所の棚にあったから、それをおろして拭く。
「あっ」
濡れたお皿に手が滑って、床に落ちた。ぱりんと呆気ない音を立てて、お皿が割れる。
どうしよう。頭が真っ白になる。インターホンのぴんぽんという音が響いて、はっとした。
佐原さんだ。佐原さんに頼めば、なんとかしてくれる?
いや、それじゃダメだ。僕はひとまずドアへと飛んでいった。やっぱり佐原さんが立っていた。
「野木先生、おはようございます。それからドアを開ける前はカメラを確認してください」
「ごめんね、今さっきお皿割っちゃって、片付けてる最中だから」
もう少し待っていて、と言うつもりが、ものすごい勢いで手を引かれた。
たたらを踏むと、たくましい身体が僕を抱き止める。佐原さんの身体だ。急に全身が火照って、言葉が出なくなる。
「怪我はしてませんか!?」
必死な顔で佐原さんが言う。僕の手指を確認して、それから腕を伝って、脚にも視線を走らせて、最後には僕の顔をじっと見つめる。
僕はどぎまぎして、「えっと」とうつむいた。
「怪我は、してない……ごめんなさい……」
そこになって佐原さんは、やっと安心したように長く息を吐いた。
僕からゆっくり手を離して、「ならいいです」と呟く。
「片付けます。先生は仕事部屋にいてください」
そう言われても、僕が割った皿だ。僕がやる、と言うより先に、佐原さんが靴を脱いであがる。その背中を追っていくと、リビングで不意に立ち止まった。
「……皿洗い、したんですか」
後頭部しか見えないから、佐原さんがどんな表情をしているかは見えない。声は少し強張っている。
僕は「うん」と頷いた。佐原さんは長く息を吐いて、頭に手をやる。
「そういうのは全部、俺に任せてください」
低い声で呟いて、佐原さんはためらいなく床にしゃがんだ。割れた破片を拾って、大きな残骸の中に収めていく。
「僕も手伝う」
駆け寄ろうとすると、「来ないでください」と彼は振り返った。
「俺がやります」
僕はそんなに、役立たずだと思われているんだろうか。
立ちすくんでいる間に、佐原さんは紙袋へ皿の残骸を突っ込む。
さらに淀みのない仕草で掃除機を引っ張り出す。電源を入れて、破片を吸い取っていく。
僕がおろおろしている間に、佐原さんは掃除機の電源を切って雑巾を持ち出した。テキパキとした仕草で床を拭いて、片付けて、ふと僕を振り向く。
「先生、まだそこにいたんですか?」
うっすらとした微笑み。僕は「えっと」と口ごもって、謝ろうとした。
だけど佐原さんは「いいんですよ、気にしなくて」と首を横に振る。
「これも仕事ですから」
そっか、と思った。
仕事だから、ここまでしてくれるんだ。
でも最初の方は、女の子からの電話に出て話していた。最近はなんでかしていないけど、佐原さんはそれくらい嫌々やっているはずだ。
うん、と頷く。
「分かった。ありがとう……」
本音を言えば、僕はほっとした。この仕事がある限り、佐原さんは僕のお世話をしてくれる。
今更、佐原さん以外の人にお世話されたって、僕はきっと安心できない。ここまで快適な環境を整えてくれた佐原さんに、僕は――依存してしまっているのだ。
僕は佐原さんに嫌われたくない。
だけど、どうしたら、僕を嫌わずにいてくれるだろう。他人の心はコントロールできない。
佐原さんの顔が見られなくてうつむく。佐原さんが息を呑む気配がした後、「せんせい」と優しく呼ばれる。
「打ち合わせ、しましょうか」
おずおずと顔をあげて、うん、と頷く。
佐原さんの表情は穏やかで、優しかった。
作家の健康管理に熱心な、ありがたい編集者だ。永井さんにも元気でやっていることを知らせようと、朝ごはんの写真と、佐原さんへの感謝を綴る。
すぐ既読がつく。ご飯を食べ終わる頃になって、返信が来た。
ものすごく言葉を選んで書かれた、「この状況はおかしいんじゃないか?」という趣旨の文章だった。
はっと我に帰る。言われてみれば、たしかにそうだ。もしかして、この状況ってちょっとまずいんじゃないか?
僕は訝しんだ。
白飯は昨日の晩、佐原さんがお米を洗って炊飯器に予約をかけておいてくれた。その炊飯器は佐原さんのお古だ。もちろん夕飯も佐原さんに用意してもらったし、佐原さんに洗ってもらったお風呂に入った。
今着ているこの服だって、佐原さんが洗濯して、干して、畳んで用意してくれた。
どうして今の今まで気づかなかったんだろう。
僕は……いくらなんでも、佐原さんに甘えすぎだ!
いてもたってもいられなくなって、食器をシンクへ突っ込む。スポンジを濡らして食器用洗剤をたっぷり出して、お椀や箸を洗った。びちゃびちゃと水が跳ねて袖を濡らす。慌てすぎて、腕まくりも忘れてしまっていた。
このままではいけない。
佐原さんは仕事でやってくれているだけだ。
なんでもやってくれるからって、甘えていてはいけない。このままだと、愛想を尽かされて、担当を辞めてしまうかもしれない。
僕の頭の中で、佐原さんのぶっきらぼうな表情が浮かんでは消える。
それはやがて蔑んだようないびつな笑い顔になったり、呆れた顔になったり、ぐにゃぐにゃと歪んでいった。
佐原さんが内心どう思っているかは分からないけど、内心すごく呆れられていたらどうしよう。いや、呆れられているに決まってる。
もう僕はおしまいだ……。
半泣きでお皿を洗って、ずぶ濡れのまま水切りに置いた。佐原さんはいつも、布巾できちんと拭いていた。
だから僕も拭こうと思って、布巾を探した。新品のストックが台所の棚にあったから、それをおろして拭く。
「あっ」
濡れたお皿に手が滑って、床に落ちた。ぱりんと呆気ない音を立てて、お皿が割れる。
どうしよう。頭が真っ白になる。インターホンのぴんぽんという音が響いて、はっとした。
佐原さんだ。佐原さんに頼めば、なんとかしてくれる?
いや、それじゃダメだ。僕はひとまずドアへと飛んでいった。やっぱり佐原さんが立っていた。
「野木先生、おはようございます。それからドアを開ける前はカメラを確認してください」
「ごめんね、今さっきお皿割っちゃって、片付けてる最中だから」
もう少し待っていて、と言うつもりが、ものすごい勢いで手を引かれた。
たたらを踏むと、たくましい身体が僕を抱き止める。佐原さんの身体だ。急に全身が火照って、言葉が出なくなる。
「怪我はしてませんか!?」
必死な顔で佐原さんが言う。僕の手指を確認して、それから腕を伝って、脚にも視線を走らせて、最後には僕の顔をじっと見つめる。
僕はどぎまぎして、「えっと」とうつむいた。
「怪我は、してない……ごめんなさい……」
そこになって佐原さんは、やっと安心したように長く息を吐いた。
僕からゆっくり手を離して、「ならいいです」と呟く。
「片付けます。先生は仕事部屋にいてください」
そう言われても、僕が割った皿だ。僕がやる、と言うより先に、佐原さんが靴を脱いであがる。その背中を追っていくと、リビングで不意に立ち止まった。
「……皿洗い、したんですか」
後頭部しか見えないから、佐原さんがどんな表情をしているかは見えない。声は少し強張っている。
僕は「うん」と頷いた。佐原さんは長く息を吐いて、頭に手をやる。
「そういうのは全部、俺に任せてください」
低い声で呟いて、佐原さんはためらいなく床にしゃがんだ。割れた破片を拾って、大きな残骸の中に収めていく。
「僕も手伝う」
駆け寄ろうとすると、「来ないでください」と彼は振り返った。
「俺がやります」
僕はそんなに、役立たずだと思われているんだろうか。
立ちすくんでいる間に、佐原さんは紙袋へ皿の残骸を突っ込む。
さらに淀みのない仕草で掃除機を引っ張り出す。電源を入れて、破片を吸い取っていく。
僕がおろおろしている間に、佐原さんは掃除機の電源を切って雑巾を持ち出した。テキパキとした仕草で床を拭いて、片付けて、ふと僕を振り向く。
「先生、まだそこにいたんですか?」
うっすらとした微笑み。僕は「えっと」と口ごもって、謝ろうとした。
だけど佐原さんは「いいんですよ、気にしなくて」と首を横に振る。
「これも仕事ですから」
そっか、と思った。
仕事だから、ここまでしてくれるんだ。
でも最初の方は、女の子からの電話に出て話していた。最近はなんでかしていないけど、佐原さんはそれくらい嫌々やっているはずだ。
うん、と頷く。
「分かった。ありがとう……」
本音を言えば、僕はほっとした。この仕事がある限り、佐原さんは僕のお世話をしてくれる。
今更、佐原さん以外の人にお世話されたって、僕はきっと安心できない。ここまで快適な環境を整えてくれた佐原さんに、僕は――依存してしまっているのだ。
僕は佐原さんに嫌われたくない。
だけど、どうしたら、僕を嫌わずにいてくれるだろう。他人の心はコントロールできない。
佐原さんの顔が見られなくてうつむく。佐原さんが息を呑む気配がした後、「せんせい」と優しく呼ばれる。
「打ち合わせ、しましょうか」
おずおずと顔をあげて、うん、と頷く。
佐原さんの表情は穏やかで、優しかった。
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