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12. 生活能力皆無の漫画家、コーヒーを淹れる
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佐原さんは、家事を全部やると言ってくれている。それでもやっぱり僕は、家事ができないとまずいかもしれない。
僕は焦った。佐原さんはああ言ってくれているけれど、現状の僕は佐原さんに何も利益をもたらせていない。佐原さんは、僕の世話をしても、損をしてばかりだ。
そう訴えると、佐原さんはしばらく考える様子を見せた。
その話をした一週間後くらいに、佐原さんはコーヒーメーカーを持ってきた。豆の粉を抽出して、コーヒーを淹れるやつだ。
戸惑う僕に、佐原さんはこう言った。
「先生の淹れたコーヒーが飲みたいので、お願いできませんか?」
単純なことに、僕はすっかり安心して頷いた。
佐原さんは僕に呆れているかもしれないけど、こうやって「できること」「やれること」を考えて用意してくれる。
だったらきっと、まだ、見放されはしない。
それから、僕たちの打ち合わせにはコーヒーが必須になった。
僕は自宅に佐原さんのマグカップを用意した。僕のは一人暮らしを始めたてのときに百均で買ったやつだけど、佐原さんのは雑貨店で買った。
この人に百均の雑なマグカップを使わせたくなかった。
そして僕は、僕のこの思考回路がなんとなくまずいような気がしている。
うまく言語化はできないんだけど、違和感がある。
このままでいいんだろうか。
季節はすっかり夏になっていた。うだるような暑さだ。佐原さんは半袖シャツを汗びっしょりにして、ここに通っている。
打ち合わせの前に、僕はコーヒーを淹れる。その間佐原さんと僕は、仕事とあまり関係のない話をした。
「先生、夏バテにはなってませんか?」
「大丈夫だよ。ちゃんと佐原さんの用意してくれたご飯を食べてるの、知ってるでしょ」
そうですけど、と佐原さんが目を細める。僕は安心させようと微笑んで、「ね」と首を傾げた。
佐原さんの額には、まだ汗が残っている。それを折り目のついたハンカチで拭いながら、「そういえば」と彼は言った。
「風呂場のシャンプー類。切れそうだったんで、補充しましょうか」
「うん。同じやつ買ってきてもらってもいい?」
「ダメです」
あまりにも柔らかい声で否定されてしまって、えあ、と間抜けな声が漏れた。
佐原さんは穏やかに目を細めて、僕の頭へ手を伸ばす。
「あれより、ちゃんとしたのを使ってください。先生の髪は長いですから」
たしかに、最近は散髪にも行けていないし、髪の毛が長い。とはいっても、女の人で言うところのショートカットほどでもない。
だけど僕はなんでか、佐原さんの言葉に従っておこうと思った。きっと悪いようにはならない。
「じゃあ……どういうのにするの?」
「俺が」
佐原さんは一瞬言葉に詰まった。なんだろう? と視線を向けると、喉仏が大きく上下するのが見える。
「……適当に、買ってきます」
「そう? なら、お願いしようかな」
「というか、一緒に買いに行きませんか」
驚いて佐原さんを見上げると、彼は怯んだように唇を噛んだ。
「その、……先生も、たまには外へ出ないと」
「あ、うん。そうだね、最近運動できてないし」
最近と言わず、漫画家になってからずっとそうだ。だけど佐原さんの言う通り、たまには外へ出ないといけない。
でもこの部屋にいたい、と思った。
佐原さんが快適に整えてくれて、佐原さんがなんでも用意してくれて、佐原さんが訪れてくれるこの部屋がいい。
「じゃあ、退勤後にまた来ます」
その言葉に、はっと我に帰る。僕は一体、なにを考えていたんだろう。
佐原さんは僕の動揺に気づかなかったのか、「楽しみです」と呟いた。
その目がほんの少し細められる。左目の泣き黒子がいやに色っぽく見えて、直視できない。
「……こんなおじさんと外に出ても、楽しくないでしょ」
「楽しく……いや、その。先生はおじさんじゃないです」
たしかに、僕は三十路だ。今の世の中じゃ、まだお兄さんと呼ばれる年代だろう。
だけど佐原さんから比べたら、年上だ。
「気を使わせてごめんね……」
「謝らなくて大丈夫ですよ」
佐原さんは優しい。その優しさに、かえってしおしおになってしまう。
ちょうどコーヒーメーカーが止まって、コーヒーができた。
僕はマグカップにコーヒーを注ぐ。佐原さんの分は、ちょっぴり多めだ。
佐原さんはなにも言わずにマグを持って、テーブルへ向かって歩く。僕も後について、向かいの椅子に座った。
向かい合って、佐原さんがノートパソコンを開く。
いつも通りの打ち合わせを、いつも通りコーヒーを飲みながらする。
もうすっかり日常になった風景に、ふと不安になった。
僕は佐原さんがいなくなったら、どうなってしまうんだろう。
家族は出来の悪い僕を見放したのか、大学を中退してから会っていないし連絡もない。僕もする気がない。
家族ですら愛想を尽かす人間に、佐原さんは一体いつまで、こんなに尽くしてくれるだろうか。
僕は焦った。佐原さんはああ言ってくれているけれど、現状の僕は佐原さんに何も利益をもたらせていない。佐原さんは、僕の世話をしても、損をしてばかりだ。
そう訴えると、佐原さんはしばらく考える様子を見せた。
その話をした一週間後くらいに、佐原さんはコーヒーメーカーを持ってきた。豆の粉を抽出して、コーヒーを淹れるやつだ。
戸惑う僕に、佐原さんはこう言った。
「先生の淹れたコーヒーが飲みたいので、お願いできませんか?」
単純なことに、僕はすっかり安心して頷いた。
佐原さんは僕に呆れているかもしれないけど、こうやって「できること」「やれること」を考えて用意してくれる。
だったらきっと、まだ、見放されはしない。
それから、僕たちの打ち合わせにはコーヒーが必須になった。
僕は自宅に佐原さんのマグカップを用意した。僕のは一人暮らしを始めたてのときに百均で買ったやつだけど、佐原さんのは雑貨店で買った。
この人に百均の雑なマグカップを使わせたくなかった。
そして僕は、僕のこの思考回路がなんとなくまずいような気がしている。
うまく言語化はできないんだけど、違和感がある。
このままでいいんだろうか。
季節はすっかり夏になっていた。うだるような暑さだ。佐原さんは半袖シャツを汗びっしょりにして、ここに通っている。
打ち合わせの前に、僕はコーヒーを淹れる。その間佐原さんと僕は、仕事とあまり関係のない話をした。
「先生、夏バテにはなってませんか?」
「大丈夫だよ。ちゃんと佐原さんの用意してくれたご飯を食べてるの、知ってるでしょ」
そうですけど、と佐原さんが目を細める。僕は安心させようと微笑んで、「ね」と首を傾げた。
佐原さんの額には、まだ汗が残っている。それを折り目のついたハンカチで拭いながら、「そういえば」と彼は言った。
「風呂場のシャンプー類。切れそうだったんで、補充しましょうか」
「うん。同じやつ買ってきてもらってもいい?」
「ダメです」
あまりにも柔らかい声で否定されてしまって、えあ、と間抜けな声が漏れた。
佐原さんは穏やかに目を細めて、僕の頭へ手を伸ばす。
「あれより、ちゃんとしたのを使ってください。先生の髪は長いですから」
たしかに、最近は散髪にも行けていないし、髪の毛が長い。とはいっても、女の人で言うところのショートカットほどでもない。
だけど僕はなんでか、佐原さんの言葉に従っておこうと思った。きっと悪いようにはならない。
「じゃあ……どういうのにするの?」
「俺が」
佐原さんは一瞬言葉に詰まった。なんだろう? と視線を向けると、喉仏が大きく上下するのが見える。
「……適当に、買ってきます」
「そう? なら、お願いしようかな」
「というか、一緒に買いに行きませんか」
驚いて佐原さんを見上げると、彼は怯んだように唇を噛んだ。
「その、……先生も、たまには外へ出ないと」
「あ、うん。そうだね、最近運動できてないし」
最近と言わず、漫画家になってからずっとそうだ。だけど佐原さんの言う通り、たまには外へ出ないといけない。
でもこの部屋にいたい、と思った。
佐原さんが快適に整えてくれて、佐原さんがなんでも用意してくれて、佐原さんが訪れてくれるこの部屋がいい。
「じゃあ、退勤後にまた来ます」
その言葉に、はっと我に帰る。僕は一体、なにを考えていたんだろう。
佐原さんは僕の動揺に気づかなかったのか、「楽しみです」と呟いた。
その目がほんの少し細められる。左目の泣き黒子がいやに色っぽく見えて、直視できない。
「……こんなおじさんと外に出ても、楽しくないでしょ」
「楽しく……いや、その。先生はおじさんじゃないです」
たしかに、僕は三十路だ。今の世の中じゃ、まだお兄さんと呼ばれる年代だろう。
だけど佐原さんから比べたら、年上だ。
「気を使わせてごめんね……」
「謝らなくて大丈夫ですよ」
佐原さんは優しい。その優しさに、かえってしおしおになってしまう。
ちょうどコーヒーメーカーが止まって、コーヒーができた。
僕はマグカップにコーヒーを注ぐ。佐原さんの分は、ちょっぴり多めだ。
佐原さんはなにも言わずにマグを持って、テーブルへ向かって歩く。僕も後について、向かいの椅子に座った。
向かい合って、佐原さんがノートパソコンを開く。
いつも通りの打ち合わせを、いつも通りコーヒーを飲みながらする。
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僕は佐原さんがいなくなったら、どうなってしまうんだろう。
家族は出来の悪い僕を見放したのか、大学を中退してから会っていないし連絡もない。僕もする気がない。
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