初恋の人とその娘が同時に現れ、僕の止まった時間が動き出す

大崎 円

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1.始まりの日

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 朝の支度を済ませスーツに着替え家を出る。今日もまた変化のない平凡な1日が始まる。

 

 いつもと変わらない時刻の電車、前から3両目。この8年間のうちに何度も繰り返してきたルーティン。
 2つ隣の駅で降車し、そこから歩いて15分。通いなれたこの学校が僕の職場だ。

 僕こと瓜生優うりゅうゆうは、昔から憧れていた教師という夢を叶えた。
 にも関わらず、結婚していない事と仕事にやる気を見出せない31歳のおっさんに成り下がっていた。
 恋人と言える存在が最後に居なくなってからどれだけの月日が経っただろうか……。

 最近は職場と家を往復するだけの毎日。仲の良かった友人はとうの昔に結婚し家庭を持っている。
 飲みに誘うのが申し訳ないと尤もらしい言い訳で自分を慰めているうちに、人との交流もいつの間にかなくなってしまった。
 何の楽しみもない人生……どこで歯車が狂ってしまったのだろうか。

 見栄を張る訳ではないが、学生時代はそれなりにモテていたと思う。
 これまでに付き合った人数も人並み以上だとは思う。そのうちの何人かとは結婚するチャンスだってあった。

 別に結婚したくないと斜に構えていた訳ではない。愛する家族に囲まれて身の丈に合った小さな家を買う。

 誰もが思い描く、普通の暮らしを自分も送ることが出来ると信じて疑っていなかった。
 だけどそれは出来なかった……今はそんな事を望むことすら忘れてしまったけど……。

 
 朝の職員会議で伝達事項を聞き、職員室を後にする。向かうは受け持ちのクラス、僕は気怠さを隠そうともせず授業を開始する。

 宿題は出さない、テストに出るところは直接的では無いにしても暗に示す。そんな僕の授業は学生に好評だった。

 さあ、今日も退屈な一日を始めよう……。



 本日最後の授業も終え職員室に戻り、明日の授業の準備と事務処理を黙々とこなしていく。

 人を寄せ付けない雰囲気を出していたつもりはないのだが、いつの間にか僕に話しかける同僚は居なくなっていた。仕事が捗るので、その事については特に不満はない。


 いつもの様に19時を少し過ぎた頃、学校を出る。そのまま寄り道をすることなく駅へ向かう。夜の駅前は多くの若者で賑わっていた。

 大勢で集まって談笑しているグループが目立つ中、不審な動きをしている少女が目に留まった。
 誰かとの待ち合わせだろうか?落ち着きのない様子でキョロキョロと辺りを見渡している。
 普段であれば無視するはずが、自然と足を止めていた。

 

 それから30分が経過したが、僕は今だに少女の様子を窺っていた。
 待ち人が来る気配はなく、辺りが暗くなり始めている。

 不審な動きこそしなくなったものの、時折スマホの画面を確認している。
 おそらく待ち人からの連絡を待っているのだろう。
 

 更に1時間が経過した。駅前からは人が減り始めている。
 まだ彼女は動かないのだが、高校生が出歩くには微妙な時間になってきた。
 職業柄そろそろ無視する事が出来なくなった僕は彼女に声をかける決心をし、歩みを進めた。

 「君……まだ21時前だけど、そろそろ帰宅した方がいいんじゃないか?」

 間近で見て気づいたのだが、彼女はこの辺りでは見かけない制服を着ていた。

 「人と待ち合わせをしているのでお構いなく」

 俯いたまま僕を見ようともしない。と彼女の態度が示していた。
 だが、僕としても立場上簡単には引き下がれない。
 
「こう見えても一応教師なんだ。誰かをずっと待っている様だけど、待ち人は一体いつになったら来るんだ?」
「私の事をずっと見ていたんですか……。教師?不審者の間違いでは?」

 少女はそう言って立ち上がると、余計なお世話とばかりに僕を睨み付ける。ここでようやく彼女が視線を合わせてきたのだが……その顔を見て僕は言葉に詰まってしまった。

 肩まで伸びた艶やかな黒髪。僕を睨みつける様に細められた大きな瞳……忘れようとして忘れられなかった記憶が鮮明に甦る。

 なぜ君がここにいるんだ。いや違う、そんなはずはない。そもそも僕と過ごしていたあの頃のままなんてあり得るわけがない……。

「ちょっと、私の話を聞いてるんですか?」
「君の名前は……」
「不審者に名前を聞かれて素直に答える馬鹿がいると思います?」

 僕は彼女の両肩に勢いよく手を置きもう一度尋ねる。

「いいから君の名前を教えてくれ!!」
「は、離してください。警察呼びますよ」

 その声は震えていた。彼女を怯えさせてしまった事に気づいた僕は急いで距離を取った。

「すまない、君が僕の知っている人にあまりにも似ていたからつい我を忘れてしまった」
「見え透いた嘘を……分かった、あなた常習犯でしょ。やっぱり警察を呼ぶわ」

 そう言ってスマホを操作しようとする彼女の手首を掴んだ。

 「待ってくれ、本当に君が僕の知っている人に瓜二つだったんだ。その人は名取雪なとりゆきって名前で……信じてくれ、嘘じゃないんだ」

 警察を呼ばれるのはもちろん避けたいが、それよりも彼女に話を聞きたい。僕は必死に弁解した。

 「え、お母さんを知っているの」

 今なんと言った?僕の聞き間違えでなければお母さんと言ったはずだ。真偽を確認すべく聞き直した。

「すまない、今なんて言ったんだい」
「だからお母さんを知っているの?って聞いたの。その年でまさかもう耳が遠いわけ」
 
 あの人の娘なのか……そうか、それならこれだけ似ているのも納得できる。

 もう会えないと思っていた彼女の娘。この出会い偶然ではなく神様のイタズラなんじゃないだろうか?
 僕がそんな事を考えていると後ろから突然声を掛けられた。

「私の娘に何か用ですか」

 私の娘……その言葉が意味する所を理解し、硬直してしまった。僕がずっと会いたいと思っていた人がすぐ後ろにいるのだ。

「もう、お母さんが遅いせいで変な人に声かけられて困ってたんだから」
「遅くなってごめんなさい。私も若い頃は街でよく声をかけられたけど、ナンパしてくる男なんて無視しなさい。間違っても付いて行っちゃダメよ?」
「そんな事わかってるって。あ、でもこの人お母さんの事を知ってるみたいな口ぶりだったよ」
 
 後ろにいた女性が僕の前に回り込んできた。僕は俯いたままギュッと目を閉じた。

 「えっ……嘘。もしかして優君なの!?」

 ああ、この声だ。やっぱり僕の知っている彼女で間違いない。僕はゆっくり目を開き彼女と目を合わせた。

 茶色に染められた髪は少女と同じ肩まで伸ばしている。ただでさえ大きな瞳が、驚きで見開かれていた。あの頃の面影を残した姿に視界が歪む。
 そうか……年を重ね大人の女性になったんだな。

 「やあ、久しぶりだね……」

 震える声を抑え、目の前に現れた初恋の女性に声をかける。

 置き去りにした過去の歯車が、再び動き始める音がした……。
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