淫の陰陽師—式神と夜の契り—

よしの

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第二十三話 予想通りの失策

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 雨漏りでもしているのだろうか?そう思って、晴人は額に落ちてきた水滴に手を当てた。
 しかし、その液体はぬるりとした感触で、晴人の指を濃い朱色に染めた。

 ——え、これって…もしかして血?

 反射的に上を見ると、仄暗い闇の向こうに、微かに人間のようなシルエットが見える。そして、顔の真ん中で光る、恐怖に怯えた二つの目。どうやら、何か糸のようなもので天井に磔にされているらしい。
 言葉を失う晴人の耳に、その人物が微かに呟くのが聞こえてきた。

「助…けて」

「っ…!」

 思わず、その場から退き、周囲を見回す。何もいない。百八が晴人の肩を飛び降り、人間の姿に戻るのと同時に、レイとミヤビが隣へ駆け寄ってきた。

「晴人さん、そのまま動かないでください」

「絶対余計な真似するんじゃないぞ」

 ——いや、俺がしなくてもこいつが…

 晴人は、冷や汗が首筋を伝うのを感じながら、すでに弓を構えようとしている百八に向かって言った。

「おい、戻れ!ここはこの人たちに任せるんだ」

 しかし、臨戦態勢を取ってしまっている百八の耳には届きもしない。というか、彼は恐らく晴人の言葉に耳を貸す気がない。

「マジでやばいぞ!この前の二の舞に…」

 晴人がそう言いかけた瞬間、何か巨大なものが床を這い回るような音が聞こえてきた。思わず、びくりとして喉が引き攣る。
 闇の奥へと目を凝らすと、幾つもの脚が蠢きながら、こちらに近づいてくる姿が見えた。

 ——蜘蛛?いや、あれは…!

 それは、確かに蜘蛛の胴体を持っていた。下半身だけを見れば。しかし、上半身は人間の男性の姿をしていて、タキシードのようなものを身につけている。

「陰陽師が三人、ですか」

 それが、声を発した。もののけ特有の、金属の軋むような音が、晴人の耳に鳴り響く。

「これからランチにするつもりでしたが、メニューが増えましたね。献立を考え直さなければ」

「ツチグモの変異体…か」

 ミヤビが呟くように言った。「そのようですね」とレイが頷く。

「上半身が人間化しているところを見ると、だいぶ人を食ったようです。恐らく、これが今日の標的で間違いないでしょう」

「では、まずは僕が」

「お願いします」

 レイが、ミヤビからそっと離れる。それを確認すると、ミヤビは、以前見たあのポーズ——胸の前で両手を合わせる姿勢を取った。
 その瞬間、巨大な骸骨が彼の背後を覆うように姿を現す。黒い炎のようなオーラが、廃ビルの闇の中で揺らめく。

「蘭丸、あれが今日の餌だよ」

「オーケー、今回は少し時間がかかりそうだね」

「どれくらいでいける?」

「十、かな」

「了解」

 ミヤビは小さくそう言うと、再び胸の前で手を合わせ、「南無」と唱えた。

「十」

 しかし——

 ひゅん。

 彼が戦闘態勢を取った瞬間、一本の矢が、空を切り裂き、ツチグモに向かって飛んでいくのが見えた。張り詰めかけていた空気が、一気に弛緩するのが分かる。

「百八!」

 目をぎらつかせながら敵に向かってさらに矢を放とうとしている百八に向かって、晴人は叫んだ。が、当然その声は彼の耳に届かない。

「晴人!思った通り、これはかなりの大物だぞ。喜べ、またお前の体が必要になる!」

 ——そういうこと、絶対、この人たちの前で言わないで欲しい…

 晴人は、赤面しながらも何とか自分の式神を止めようと、意識を集中させた。

 ——俺にだって安倍の家の血が流れているんだ。やってできないことはないはず。

 しかし、どれだけ頭の中で百八を制御しようとしても、そのやり方がそもそも分からない。完全に自分の式神と一体化しているように見えるミヤビとは、圧倒的に経験値の差があるのだ。

 案じた通り、ツチグモは百八の放った矢を軽々と掴み取ると、その両腕で折ってみせた。

「こんなもので私を倒そうと?随分見くびられたものですね」

「おい」

 ミヤビが、あのポーズを構えたまま、こちらを睨みつけているのが分かる。しかし、まともに目を合わせるのが怖くて、そちらを向けない。

「…はい」

「邪魔をするなと言ったはずだ。それが今回の君の仕事だぞ?あの猫を元に戻せ」

「…できません」

「は?」

「できないんです、ああなったらもう…あいつは——」

 そんなことを言っているうちに、百八は、二発、三発と矢を放っていく。しかし、いずれも敵に掴み取られ、無駄撃ちに終わる。

「お前、もしかしてあの式神を操作できないのか⁉︎」

 驚きと怒りを含んだミヤビの問いかけに、晴人が無言で頷くと、レイがミヤビの肩にそっと手を置いた。

「仕方ありません。ここは私が代わりましょう。とりあえず任務は任務です。確実に遂行しなければ」

「でも…!」

「ミヤビ、あなたまで冷静さを失ってどうするんですか?ここは目的を果たすことが先決でしょう」

「…はい、失礼しました」

 そう言うと、ミヤビは首を横に振り、もう一度こちらを睨みつけてから、胸の前で合わせていた両手を解いた。その瞬間、彼の体を覆い尽くしていた巨大な骸骨が霧のように消えていく。

「仕方ないのであの式神を囮に使わせてもらいます。良いですね?」

 レイの問いかけに、晴人は大きく無言で頷いた。

 ——ええもう、煮るなり焼くなり好きにやっちゃってください

「畜生!なかなか手強いな!」

 無駄に勇ましい声を上げながら弓を構え続ける百八をよそに、レイがずい、と身を乗り出す。

「最悪、あれも巻き添えにしてしまうかもしれませんが、そのつもりで」

 そう言うと、レイは身につけていたシャツのポケットから、鎖に繋がれた水色の勾玉のようなものを取り出した。そして、それをそのまま自らの額に当て、静かに呟く。

「ツクヨミ、あなたの番ですよ——」

 すると、勾玉が光を帯びて、「それ」が姿を現した——
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