元奴隷の治癒師ですが、竜騎士団長に溺愛されて逃げられません

wanna

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第一章

5-3.運命の日

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「……リサさん?」

 リサの体が、崩れ落ちた。
 時間が引き延ばされたみたいに、スローモーションのように感じる。

「リサ!!」

 叫んだのはラオだった。
 椅子を倒して駆け寄り、その体を抱き止める。

 アマネも考えるより早く走り出していた。
 客の合間をすり抜ける。肩をぶつけ、腕を押し退け、テーブルの隙間に体を滑り込ませる。

 床に、赤が広がっていた。

 ナイフが突き刺さった腹部から、ワンピースが真っ赤に染まっている。

 今朝、「この日のために新調しちゃった! みてみて、どう? 似合う?」とアマネの前で軽やかに一回転して見せた、上品なワンピース。
 派手な色を好むリサにしては、純白でシンプルなデザインのそれを、アマネがよく似合ってると伝えると、リサは嬉しそうにはにかんでいた。

 ──はずだったのに。

「リサ、リサ!」

 ラオの声が震えている。
 リサは苦しげに眉を寄せながらも、無理やり笑顔を作ろうとした。

「……だい、じょ、ぶ……ごめん、ね……」

 言葉と呼吸が、うまく繋がらない。
 視界の端で、ギルバートが男の胸ぐらを掴んで壁に叩きつけるのが見えた。

「リサさん──っ」
「あ、……アマ、ネ……」

 リサの瞼が重くなり、かすかな声を震わせている。
 息が詰まる。心臓が冷えていく感覚がする。

 これは、間に合わない。
 普通の治療じゃ、絶対に追いつかない。

 ギルドの裏には診療所がある。呼べば治癒師もいる。でも、この血の量と呼吸の浅さだ。
 咄嗟に掴んだ華奢な手は冷たく、ひゅうひゅうと隙間風のような呼吸が弱っていく。

(今すぐ、止めないと)

 喧騒が遠くなる。
 アマネは、左手首のブレスレットに右手をかけた。

 ルシアンの声が、脳裏を過ぎる。

『ブレスレットは、絶対に外さないで』

 わかってる。
 わかっているけど──

「……ごめん、ルシアン」

 気づいた時には、左手首の冷たい感触が消えていた。

 銀細工が、床に落ちてきぃんと耳鳴りのような音を立てる。

 押し留められていた体の奥にある魔力の流れが、制御を失って怒涛の勢いで身体中に行き渡る感覚。
 じん、と喉の奥が焼けるように熱くなる。

「リサさん、必ず助けるから。ちょっとだけ我慢して」

 手を、血で濡れたワンピースの上にそっと置く。リサがびくりと震え、アマネの顔を見上げた。
 その目に宿るのが恐怖か希望か、アマネには判別がつかない。けれど、その視線から逃げないように、アマネはリサを見つめ返し、安心させるように微笑んだ。

 すっと、息を吸う。

(──流れろ)

 胸の奥から、熱が溢れ出す。

 骨の髄までじんじんと痺れるような感覚。皮膚の内側を、光の粒が駆け巡る。
 傷口へと、血管へと、細胞ひとつひとつへと、治癒の魔力を注ぎ込んでいく。

 崩れた肉の形が戻り、裂けた血管がつながり、こぼれ落ちかけた命が今、繋ぎ止められる。

 リサの喉から、詰まっていた息が押し出されるように、ひゅっと音が出た。

「アマネさん……?」

 ラオが、驚いたようにアマネの顔を見つめる。
 アマネは答えずに、手先の感覚に集中した。

 真新しい皮膚が、何事もなかったように傷口を覆っていく。
 刺さっていたナイフが押し出されるように、からん、と音を立てて地面に転がった。

 周囲のざわめきが、一瞬だけ止まった。

「……う、そ」

 誰かが呆然と呟く。
 あらかた治療が進んだところで、アマネは押し殺していた息を吐こうとして、喉の奥が焼けついた感覚にぐっと眉根を寄せた。

(ッ……、また、この感覚)

 どくん、と大きく脈打つ心臓に、耐えるように歯を噛み締める。舌の奥まで熱が上がってきて、呼吸がうまく回らなくなっていく。
 心臓の鼓動が、先ほどまでの緊迫したものから、違う狂い方を始める。

 ──怖い。

 他の誰よりも、アマネ自身がこの感覚に怯えている。

 ぱきん、と。

 首元で、乾いた音がする。

 視界の端に、何かが砕けて落ちるのが見えた。
 透明だった石が、ひび割れた氷のように破片となった。
 首元がふわりと急に軽くなって、ぱらぱらと砕けた石の残骸が膝下にこぼれ落ちる。

 視界に落ちるアマネの前髪の色が、変わっていた。

 栗色だったはずの髪が、根本から墨を流したように黒く変わる。
 瞳の色もまた、闇を湛えた黒へと沈んでいく。

「黒髪……あの目……」
「まさか……!」

 周囲のざわめきが、皮膚に直接刺さるように入り込んでくる。

 ルシアンにもらった”変装の魔道具”のネックレス──それが、アマネの解放された魔力に耐えきれずに砕けたのだと理解した瞬間、心臓に冷水をぶちまけられたような感覚が走った。

(まずい。見られた!)

 記憶の奥に閉じ込めたはずの、ここではない、鉛の地下室の匂いが、一瞬鼻の奥に蘇る。

 焼けた鉄の匂い、汗、香水、下賤な笑い声や、命令の音。

 ──治せ。笑え。
 ──泣くな。黙れ。従え。

 背筋が震える感覚にびくんと肩が揺れた。

 心臓部からせりあがるようなどろりとした熱と、体の芯が冷えるような恐怖がごちゃ混ぜになって、古傷の痛みを呼び起こす。

「おい!今の見たか!」
「あの治癒能力……あの髪と目は……!」
「王命で探してる”黒髪黒目の治癒師”、こいつだッ!」

 ギルバートにより床に押し付けられていた男が、糾弾するような声で叫んだ。

「この野郎……!」とギルバートが頬を一発ぶん殴る。ばきっと容赦のない音が響き、男は最も簡単に気を失った。

 アマネはゆっくりと手を下ろした。
 リサの呼吸は、さっきよりもずっと楽そうだ。
 血も止まり、顔色もわずかに戻って来ている。

「……アマネ……?」

 ぼんやりとした目で自分を見上げるリサに、アマネはかすかに笑いかけた。

「……もう、だいじょうぶだから」

 リサの温度を失いつつあった冷たい指先が、何かを察したように咄嗟にアマネの離れゆく手を掴んだ。

 しかしアマネは、その手からするりと抜け出すように、身を引いた。


「《銀のランタン》所属、アマネ・ヴェール!」


 ──その時、荒々しい声が真横から飛んできた。

 入り口近くで、金属のぶつかり合う音がした。

 鎧の擦れる音。
 硬い靴底が床板を踏み締める、慌ただしい足音。

 扉の前で待機していた若い店員が、はっとした顔で振り向く。

「こ、近衛騎士団……?」

 白いマントに、王宮の紋章。
 鎧に身を包んだ数人の騎士が、酒場の中へと足を踏み入れて来た。

 彼らの視線が、一斉にアマネへと突き刺さる。

 そして、そのうちのひとりが前に出て、声を張り上げた。


「治癒師登録法違反、ならびに軍用生物への不法治癒の罪により──王命を持って連行する!」




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