元奴隷の治癒師ですが、竜騎士団長に溺愛されて逃げられません

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第一章

7-3.交渉

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 王都へ向かう馬車の中は、静かだった。

 車輪が石畳から土の道へと移り変わるたび、足元から小刻みな揺れが伝わってくる。
 窓の外には、王都へ続く街道と、遠ざかっていく街並み。
 さっきまで働いていた酒場のある一角も、もうとっくに見えなくなっていた。

 アマネは、向かいの席に座るロアンを一度だけちらりと見て、すぐに視線を落とした。
 整えられた赤い髪。黒基調の竜騎士団の制服。組んだ腕に、伸びた背筋はきっちりしているくせに、指先だけがとんとん、とリズムを刻んでいる。靴先も、さっきから時々、床板を小さく叩いては止まっていた。

(……なんだか、落ち着きないな)

 竜騎士団長も、気まずさとか感じるのだろうか。そんなことをぼんやり思いながら、アマネは無意識に耳たぶへ指を伸ばす。
 小さな銀色の輪が、指先の腹に触れた。そっと撫でると、埋め込まれた透明な石が、窓から差し込む夕方の光を受けて、かすかにきらりと光る。

 ──別れ際、ルシアンが手渡してくれたピアスだ。


 ▽ ▽ ▽


「最後に、ひとつだけ」

 六年間アマネが過ごした私室。
 王都に向かうための荷造りがあらかた終わったところで、ルシアンはアマネを椅子に座らせると、小さなベルベットの箱を差し出した。
 受け取って慎重に蓋を開くと、クッションに鎮座する対の装飾。銀色の輪に透明な石が埋め込まれた、シンプルで小ぶりなデザインのピアスが、光を受けてちらりと輝いた。

「……これ、ピアス?」
「うん。かわいいでしょ」

 冗談めかして笑う声は柔らかいが、その目はどこまでも真剣だった。

「代償の痛みを、完全に消すことはできない。けれど、魔力の流れを整えて、痛みを分散させるくらいならできる。君の身体に負担を溜め込まずに済むようにね」
「そんな魔道具、あったの?」
「……万が一のためにね。試作してたものを、昨日完成させた」

 さらりと言うその人は、この六年間、アマネのためだけに魔道具を作り続けた大魔法使いの顔をしていた。

「……いやなら、つけなくてもいいよ」

 こんな希少価値の高そうなものを渡しておいて言うセリフではない。アマネが顔を上げると、ルシアンは物憂げにまつ毛の影を頬に落とし、俯いていた。

「このピアスをつけること自体が、『祝福の治癒師として働く』という君を肯定しているみたいで……本当は、嫌なんだ。僕は君に、そんな覚悟を強いるつもりはない」
「……つけるよ」

 ルシアンの言葉に、アマネは迷わず答えていた。

「どうせ、王都にいくって決めたから。……離れるなら、せめて、ルシアンの“想い”を身につけていきたい」

 ルシアンの想い──それは、どうかアマネが少しでも痛みや苦しみから解放されますように、という優しい祈りだ。
 アマネはそれを正しく、理解している。ベルベットの箱を両手できゅっと優しく大事に包み込んだ。
 そんなアマネを見つめていた金色の瞳が、ランタンの炎のようにゆらめいて、やがてふっと細まる。
 ルシアンはアマネの持つ箱を自分の手元に戻すと、もう片方の指先で、アマネの耳をそっと挟んだ。

「目を閉じて。……すぐ終わるから」

 軽い痛み。
 それから、体の奥深くまで染み込んでいくような、ひんやりとした魔力の感触。慣れ親しんだ、澄んだ水のような清涼な温度感に、アマネの肩の力が知らずに抜ける。

「……どう?」
「……うん。違和感ない」

 耳元に触れると、金属がわずかに揺れる音がした。ルシアンはほっとしたように笑みをこぼす。

「よかった。……あまり、過信しないこと。代償の量が変わるわけじゃない。感じ方が、和らぐだけだからね」
「はい」

 素直に返事を返したところで、後ろから乱暴に頭をわしゃわしゃと掻き回された。

「わ、ちょ、っと、」

 振り返ると、ギルバートがいた。
 アマネがいつも羽織っている黒いコートを腕に引っ掛けたまま、赤い瞳だけでアマネを見下ろしている。

「痛み誤魔化せるからって、調子に乗って使うなよ。いいか」
「わかってる」
「わかってねえ顔してんだよなあ、前科持ち」

 呆れにも苦笑にも似た音で笑いながら、ふいに、真顔になったギルバートが、アマネの目線までかがむ。後頭部を大きな片手に引き寄せられて、気づけばアマネの額はギルバートの額にこつんとぶつかっていた。

「何かあったら、すぐに戻ってこい。王宮の連中や騎士団の奴らに変な真似されたら、俺が血の一滴まで吸い尽くしてやるから」
「……吸血鬼らしい脅し」
「本気で言ってんだよ、こっちは」

 言葉とは裏腹に、その額のぶつけ方は驚くほど優しい。すり、と惜しむように頭を撫でられれば、きゅっと胸が縮んだ。
 その痛みに気づかないようにして、アマネは小さく息を吸い込み、ルシアンに視線を戻す。

「……行ってきます」
「うん」

 ルシアンは、アマネの肩を軽く抱き寄せるように両腕を回した。

「覚えておいて。君がどこで働いていようと、どんな肩書きを持とうと──帰ってくる場所は、ここだってこと」
「……はい」

 声が滲むのを誤魔化すように、アマネは深く頭を下げた。


 ▽ ▽ ▽


 指先でピアスをいじっていたことに、自分で気づく。
 そこでようやくアマネは小さく息を吐いて、車内に意識を戻した。

「……似合ってる」

 不意にかけられた声に、顔を上げる。
 気づけばロアンの浅葱色の瞳が、真正面からアマネの方を見ていた。さっきまで落ち着きなさげだった視線が、思考を飛ばしている間にこちらに一点集中していたことに驚く。

「ルシアンさんから、だろ? 送ってくれた印って感じで、いいな」
「……送ってくれた印?」

 アマネが思わず聞き返すと、ロアンは「あ、いや」と慌てて手を振った。

「皮肉とか、悪い意味じゃねえ。ちゃんと『帰る場所』持ってるの、いいなって。……なんか、羨ましくてさ」

 言い訳めいたような言葉と一緒に、耳のピアスからアマネの顔に視線が滑る。
 やたらとじっと見られて、少しだけ胸の奥がそわそわする。この人、本当に真正面から人の顔見るんだよな、とアマネは視線を逸らしたくなった。

(帰る場所って……そっちが放っておいてくれれば、そこから出る必要もなかったんだけど)

「それにしてもさ」

 やさぐれた心の言葉を、ロアンの声が遮る。

「やっとこうして、ちゃんと話せるな」
「……一応、三日前にも話しましたよね」
「んー、あれは、団長と治癒師候補って感じだったから。今は、もっと個人的なやつ」

 あっけらかんと言い切られて、アマネは瞬きをした。

「今は、俺とアマネ、だから」

 さらりと付け足された主語の変化に、目を見開く。何と返したらいいのか、わからない。
 アマネが返事に困っている間に、ロアンは立ち上がる。

「悪い。そっち、座っていいか?」
「え?」
「向かい合ってんの、仕事の話しかできねえ距離感でさ。もうちょい近くで話したい」

 問うわりに、ロアンはアマネの返事を待たなかった。ひょい、と軽い身のこなしで、アマネの隣に腰を下ろす。
 途端に、距離が一気に縮まった。
 馬車が揺れるたび、肩と肩が触れそうで、触れない。微妙な隙間に、緊張感が走って変な汗をかきそうだ。

「……ここ、いい?」

 いい? って、もう座ってる。そのくせ、確認だけは律儀に入れてくる。
 言葉と行動のちぐはぐさに突っ込む間もなく、アマネは少し間を置いてから、こくりと頷いた。元々自分に拒否権なんてないのと同じようなものだ。

「……どうぞ」
「よかった」

 アマネの肯定に、本当に安堵したように微笑むから、戸惑ってしまう。
 近くで見ると、ロアンの顔立ちはやはり整っている。ルビーレッドの髪が、窓から差し込む光を拾って、火の粉が散るように染まる。睫毛の影が頬に長く落ちていて、浅葱色の瞳がやけに鮮やかに見えた。

「アマネってさ」

 唐突に、名前を呼ばれる。

「好きなもん、何?」
「……好きなもの?」
「食べ物でも、景色でも、匂いでも。なんでも」

 問いかけの声が徐々に温度を増してゆく。なにがそんなに楽しいのか、ロアンはきらきらとした目でアマネの顔を覗き込んでいた。
 そんなことを突然聞かれても、困る。というのが本音だ。
 アマネは生い立ちのせいで、極端に自己の意思が薄い。右と言われれば右を向き、白と言われれば白になる。そんなふうに人生の大半を生きてきたので、自分の好きなものや嫌いなもの、趣味嗜好など、自己について問われるといつも口籠もる。

「……甘くないものと、うるさくない場所」
「具体性、ゼロ!」

 うんうんと唸ってようやく搾り出した答えに、即座に突っ込まれてしまいアマネは肩をすくませた。
 これでも精一杯搾り出した答えだったのだが。

「……甘いもの、は、苦手なんです」

 そろりと視線を逸らすと、「それはギルバートから聞いた」と返され、思わずロアンに視線を戻す。

「『デザート出すと、こっそり俺の皿に移す』って」
「……余計なことばっかり」

 脳内であの赤目の吸血鬼が舌を出す。おそらく、王都へ向かう身支度を整えている間に、一階で待機していたロアンに世間話ついでに吹き込んだに違いない。
 第一、アマネがデザートをギルバートの皿に移していたのは、ギルバートが甘いものが好きで、要らないなら俺によこせや、と隣からフォークを伸ばしてくるから、だったというのに。
 ルシアンに手を叩かれて毎回咎められているのを見かねて、アマネからこっそり移すようになったのだ。

「いい情報だろ。じゃあ、王都で最初に行くのは甘くない、飯がうまい店決定な」

 にぱっと人好きのする笑みでロアンに決められ、アマネはわずかに目を丸くする。

「まずは王宮へ向かうのではないんですか?」
「王宮は明日な。今日は宿で一泊して、明日の午前中に謁見する手筈になってる」

 そうなんだ、とアマネは段取りを飲み込んだ。王都に行ったが最後、あれよあれよと言う間に王宮の地下にでも閉じ込められる生活を想像していた分、拍子抜けする。どうしても、過去のイメージが先行して最悪の想定をしてしまうのは、アマネの癖だ。

「王都、好きじゃない?」

 核心に触れる言葉は突然、柔らかい言葉で落とされた。取り繕ろうかと思って、ロアンと目があって、やめた。法に背いて登録を怠った事情も全て知られているようだし、今更この人の前で、そういう偽りはあまり意味がなさそうだ。

「……まあ」

 当たり障りない程度の返事。どうしても記憶と結びつくのは、奴隷商人に鎖を引かれて歩いた冷たい床の温度であったり、薬品の匂い、鼻にこびりつくような血の匂いや、怒号の声だ。

「じゃあ、新しい記憶、上書きしよ」

 そんなアマネの思考を知ってか知らずか、ロアンは軽い声で言う。

「上書き?」
「そう。嫌なもんの上に、ちょっとずつ別のもん積んでいく。王都の飯で一番うまい店とか、静かで眺めのいい場所とか、エギの寝床とか」
「……最後の、なんですか?」
「必須。エギの笑顔、癒しだぞ?」

 アマネが言葉尻を拾ったことが嬉しかったのか、ロアンが身を乗り出す。そのせいで、微妙に開いていた距離が縮まり、肩同士が触れた。アマネが戸惑っている間にも、ロアンは妙に誇らしげな顔で胸を張っている。

「……そんな簡単に、できる気はしませんけど」
「簡単じゃねえから、やる価値があるんだ」

 ネガティブなアマネの言葉もひっくり返す勢いで、ロアンは背もたれに寄りかかり直しながら言う。

「竜だってそうだ。怖い思いした奴ほど、人間の声なんか、すぐ信じちゃくれない。だから、こっちが勝手に諦めないで、何回も同じこと繰り返して、ちょっとずつ慣らしてくしかねえ」
「…………」

 まただ。ロアンの妙に引っ掛かるような言い回し。竜騎士団長として、例え話が身近な竜に寄っている……だけ、だよね? とアマネの眉間に眉が寄っていく。

「竜の話ですよね?」
「竜の話だよ」

 にこり、と笑われてしまっては、それ以上は突っ込めない。うん、竜の話。
 何となく腑に落ちないまま視線を前に向けると、不意に馬車が大きく揺れた。

「──っ」

 身体がぐらりと傾く。
 つかみどころを探してバランスを崩したアマネの肩を、ロアンの腕が咄嗟に抱え込んだ。
 胸板に半ば押しつけられる形になる。布越しに伝わる体温と、心音。
 押しつけられた耳に、自分の胸の内側よりも、落ち着きなく跳ねている鼓動の音が響いて、目を見開く。

「悪い、大丈夫か」

 そんな鼓動の早さとは裏腹に、ロアンの声は低く落ち着いていた。耳元で響く声が近く、息が頬に触れるくらいの距離。わずかに香る柑橘の匂いに、喉がひゅっと鳴る。

「だ、大丈夫です」

 咄嗟に身を引こうとすると、アマネの肩を抱く腕の力にほんの一瞬だけ力がこもり、けれどすぐにその手は離された。

「……そっか、よかった」

 表情も声もあっさりとしているのに、浅葱色の瞳の奥に、何かを噛み殺しているような熱が灯っているのを見つけてしまう。
 出会った時から度々見たようなその熱に、まともに向き合ってはいけない気がして、アマネは視線から逃げるようにして座り直した。



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