上 下
4 / 31
《第1章》リャシュカの港町

第3話:フォンフェンの門番

しおりを挟む
第3話:フォンフェンの門番

豊富な資源と自然に守られて、それなりの国土と情勢を保っているシュゼンハイド王国の夜は、どの場所にいても等しく訪れる。
空にまで届く神秘の山「神台メテオ」の麓に広がる国、シュゼンハイド王国。有名なものは数あれど、特に国土の三分の一を占めるフォンフェンの森は誰もが知るところ。そこに住む「群青兎=ブルーラビット」と俗に呼ばれる獣亜人は世界でも名高く、複数のオスで一匹のメスを囲う一妻多夫で群れを形成する独自の習性をもっている。また、フォンフェンの森には神の時代から存在する「聖樹ンシャラヴィカ」があるとされ、そこは群青兎だけが足を踏み入れることのできる聖域と言われている。
古来より世界の中心に立ち、すべての歴史を見守ってきたとも噂されるその大木は、神台メテオから流れる清流「メテオ河」の向こう側に存在し、それはフォンフェンの森に隣接するリエント領の門番であっても越えられない境界線となっていた。
そして今夜はそこに、先の領主たちが懸念したように複数の群青兎が集まっていた。


『集落がひとつやられた』

『数がまだ把握できないが、子どもたちもさらわれたそうだ』

『神の子が奪われたというのは本当か?』

『なに、白兎(びゃくと)が人間の手に渡っただと?』

『手負いの戦士はまだ意識が戻らない者も多い。人間どもめ、いったい何を森にまいた』

『許せぬ。人間ごときが、この森を侵すなど耐えられぬ』


口々に囁く声は森の木々を不穏に揺らし、いくつもの逆さ三日月を夜の闇にちらつかせている。
山肌から随分と距離のある針葉樹のうえのほう。闇深い夜の森でその先を見上げても認識は難しいが、その上空部分に群青兎はひしめき合っている。まるで彼らが一枚の葉のように枝に隠れ、次々に聖樹目指して集まるその様子は異様な光を放ちながら増えていた。


『だから人間を早々に狩るべきだったのだ』

『それは天啓が許さなかった』

『カイオス様が見当たらないが?』

『いま別の者が探している』

『まったく。こんなときに役に立たぬのであれば意味がないというのに』


群青兎は高い木の上に巣を作り集落を形成する。一言で「巣」といってもそれは立派な家なのだが、それは森を深く進めば進むほど遭遇する機会が増え、今夜は特に各集落の外に聖樹に集まるのとは別の群青兎の姿を見ることが出来た。
どの家も殺気立った戦士が見張りに立ち、妻や子どもを家の中から出さないつもりでいるらしい。


『樹から降ろした子どもたちの回収を急げ』

『神の子を探し、連れ戻すのだ』

『これは緊急事態だ』

『現在、森にいる人間は殺せ。例外はない』

『各集落から一人、聖樹に足を運べ。長からの言伝に従え』


ざわめく風が高い音を混ぜて森の影を揺らしていく。
もしも今、晴れた太陽光のしたで森を上空から眺めてみれば、群青兎たちの持つ青い毛並みが波打って、まるで湖のように見えたことだろう。群青兎と名のつく由来、それは兎のような長い耳を持ち、海よりも深い群青の毛を持っているから。その毛並みの美しさは傾国すると謳われるほどの値がつけられる。
端整な顔立ちに獣亜人であることを忘れて恋をする人間もいるという。
ただ、耳に加えて長い尻尾を生やし、大樹の上空までいっきに飛ぶ脚力、獲物を一瞬で噛み殺す牙、岩も砕くとされる強靭な爪を持つ彼らは人間に対して友好的ではなく、むしろ好戦的で攻撃的。獣亜人の危険度合いでいえば、最上級のランクに指定されるほど人間との折り合いは悪い。


『奪った罪は重い』

『しかし人間のやることだ。森ごと焼くこともあるだろう』

『くそっ。化け物め』

『門番と連絡はついたか?』

『カイオスといい、モーガンといい。揃いも揃って、こんなときにどこにいる』


長い歴史を振り返ってみても、人間と群青兎は何度も戦いを繰り返しており、その決着がついたことはなかった。
森は彼らを守り、彼らも森に生きる。
そのため広いフォンフェンの森は群青兎の住処として今もまだ定着し、その森と人間の暮らす領土の境界をグレイス家の当主が代々担う形で落ち着いている。いや、ここは過去形にするべきか。集落をひとつ破壊されたことで群青兎たちは停戦していた人間へ、再び攻撃を行う姿勢を見せ始めていた。
それは森を埋め尽くすほどの勢いで増えていく小さな逆さ三日月の燐光が証明している。


「ああ、旦那様がいないときになんということでしょう。奥様、今夜はどうか屋敷からお出になりませんように」


窓から見える森の様子に、恐怖を隠そうともしない声が室内を振り返る。そばかすを顔につけたその若いメイドは、振り返った先のベッドに背を預ける女性をその青白い顔で見つめていた。


「落ち着きなさい、キャシー。カイオスがそのうち姿を見せるわ」


これではどちらが病人かわからないと、苦笑した女主人は軽くせき込む。その咳に反応したキャシーは窓からベッドの傍へすぐに駆け寄り、その背中を優しくさすった。


「ですが奥様。カイオス様がお見えになられても、旦那様はまだリャシュカの町から戻られておりません」

「彼らの領地を侵したのはコチラなのです。向こうが怒るのは当たり前、むしろすぐに襲ってこないことをありがたいと思わなくては」

「・・・奥様」


そばかすのメイド、キャシーは自分が「奥様」と呼んだ女性にたしなめられて服の裾を握りしめる。理屈がわかっても本能が警戒するほどの異常事態を受け流せる肝は据わっていないのだから無理もない。
雪が降るほど冷え込む夜。体調のすぐれない主人のために部屋を暖めているにも関わらず、歯の根が合わない音が聞こえてくる。


「キャシー、こっちにいらっしゃい」

「はい、奥様」

「幸い、今はこの広い屋敷のなかに私とあなたの二人きり。群青兎は女性には優しい生物なのよ」

「そうは申しましても、獣亜人のなかでもブルーラビットは特に人間嫌いで有名です。故郷の山に住む獰猛で危険な人喰い土蜘豚=ドグリューだって一撃で倒してしまうと聞きます。きっと丸のみにされてしまいますわ」


大げさな身振りでその表現をしたキャシーに、女主人は今度こそ息を吹き出して笑っていた。


「奥様、笑い事ではありません」


窓の外を見ていないからそんな呑気でいられるのだとキャシーは嘆く。一分、一秒経過するごとに不穏な光が移動して膨らんでいく黒い森の様子を一目見れば、誰だって平常心ではいられない。と、どうすればわかってもらえるのかわからずに、キャシーは笑う主人に不貞腐れた顔を向けていた。
そのとき、ドンドンと城の扉を叩く音が響いてくる。


「カイオスね、どうぞ。入って」


三階の奥に位置するベッドのうえから女主人は声をかけた。
一階の入り口から三階の寝室まで、いったいどれくらいの距離があるのか。その疑問は必要ない。聴力と脚力に優れた種族がこの距離を問題に思うはずもない。


「キキ、深夜に邪魔をする」

「こんばんは、カイオス」


やはり尋ね人はカイオスだったかと、現れた姿に安堵した。人間の男性の二倍はあるだろう体躯にピンと伸びた長い耳と重量のある尻尾が揺れている。深い群青色の毛並みに黒い眼球、黄金色の瞳は逆さ三日月を描いているが、穏やかな雰囲気をまだ宿していた。
けれど、寝室の扉を開けた瞬間、カイオスは少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「やはりモーガンはいないのか?」

「ええ、あなたの子どもたちを探しに行ったわ」

「我々の子どもだと?」

「何をそんなに驚いているの。あの人はあんなだけど、領主であり門番ですもの。役目はきちんと果たす方ですのよ」

「病気の妻をひとり残していくなど信じられん」

「一人じゃないわ、キャシーがいるでしょ?」


そう言ってキキは自分の隣で固まるキャシーを紹介する。可哀そうに、本物の獣亜人と間近で初めて対面したキャシーは気絶しそうなほど震えていた。
一瞬で命を奪われそうな鋭利な爪、靴は到底履けそうにない獣の足がキャシーの方をむいて「はぁ」とわかりやすい息を吐く。


「人間のこういうところはやはり理解できん。キャシーも守られるべき花だろう?」


その言葉に、キャシーは目を見開くほど驚いていた。
想像や噂とは違う群青兎の態度に、目からうろこが零れ落ちたといっても過言ではない。野蛮、乱暴、危険、獰猛。表向きは温和を装っていても、惨殺される可能性のほうばかり考えていたキャシーは抜けた腰に従うように床に崩れ落ちた。


「ね、群青兎って女性に優しいでしょ?」


床に座るキャシーの耳元に、どこか嬉しそうなキキの笑みが囁く。
その様子に、カイオスの名を持つ群青兎はまたわかりやすく「はぁ」とため息を吐き出した。


「呑気なことを言っている場合か、森に偵察に入っていた人間どもはみな、殺されるところだったのだぞ?」

「あら、そうなる前にあなたが助けてくださったんでしょう?」

「そうだが、そうではない」

「森の被害は深刻なの?」


キャシーからカイオスに向けられたキキの瞳は、さっきまでの悪戯な空気を消して真面目な顔に変わっている。こういうところはやはりグレイス家の奥方として「あの」モーガンの番だと認めざるを得ない。


「集落がひとつやられた。成人の花が二人攫われ、成人前の花が五人。花はまだ生きているが時間の問題だろう。殺された戦士の死骸は十二体、持っていかれた。手負いの戦士は八人いるが、三人はまだ錯乱状態のまま、残りの五人は昏睡状態から目覚めない」

「・・・そう」

「我々の毛皮の価値を知らないわけではない。愛玩用に花を狙う人間も今までに何人もいたが、今回は神の子が狙われた可能性が高い」

「あの神の子?」

「千年に一度生まれるといわれる白い毛をもつ子どもだ。成人の儀で樹から降りていたが見つからない。白兎は新たなる道を授ける吉報の象徴。我々は神の子を取り戻さねばならない」


カイオスはそれだけは譲れないとばかりに真剣なまなざしで告げる。
それはきっと神の子を取り戻すためならば、人間と戦争になってもかまわないと安直に伝えているのだろう。


「カイオス、猶予はどれほどありそう?」

「我々は夜明けとともにシュゼンハイドに戦士を送る」

「あの人の腕が試されるわね」


そう言って咳き込んだキキの様子に、現実に戻ってきたキャシーが慌ててその背をさする。その姿を数秒眺めたカイオスは窓の向こうに見える森へと視線を送っていた。


『モーガン、花を摘ませるなよ』


人間の言葉ではなく群青兎の扱う鳴き声を零したカイオスの呟きは、窓の外をちらつく複数の小さな光と雪に紛れて溶けて消えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者の貴方が「結婚して下さい!」とプロポーズしているのは私の妹ですが、大丈夫ですか?

初瀬 叶
恋愛
私の名前はエリン・ストーン。良くいる伯爵令嬢だ。婚約者であるハロルド・パトリック伯爵令息との結婚を約一年後に控えたある日、父が病に倒れてしまった。 今、頼れるのは婚約者であるハロルドの筈なのに、彼は優雅に微笑むだけ。 優しい彼が大好きだけど、何だか……徐々に雲行きが怪しくなって……。 ※ 私の頭の中の異世界のお話です ※ 相変わらずのゆるふわ設定です。R15は保険です ※ 史実等には則っておりません。ご了承下さい ※レナードの兄の名をハリソンへと変更いたしました。既に読んで下さった皆様、申し訳ありません

妹に婚約者を結婚間近に奪われ(寝取られ)ました。でも奪ってくれたおかげで私はいま幸せです。

千紫万紅
恋愛
「マリアベル、君とは結婚出来なくなった。君に悪いとは思うが私は本当に愛するリリアンと……君の妹と結婚する」 それは結婚式間近の出来事。 婚約者オズワルドにマリアベルは突然そう言い放たれた。 そんなオズワルドの隣には妹リリアンの姿。 そして妹は勝ち誇ったように、絶望する姉の姿を見て笑っていたのだった。 カクヨム様でも公開を始めました。

この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。

天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」 目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。 「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」 そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――? そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た! っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!! っていうか、ここどこ?! ※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました ※他サイトにも掲載中

婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

【本編完結】【R18】体から始まる恋、始めました

四葉るり猫
恋愛
離婚した母親に育児放棄され、胸が大きいせいで痴漢や変質者に遭いやすく、男性不信で人付き合いが苦手だった花耶。 会社でも高卒のせいで会社も居心地が悪く、極力目立たないように過ごしていた。 ある時花耶は、社内のプロジェクトのメンバーに選ばれる。だが、そのリーダーの奥野はイケメンではあるが目つきが鋭く威圧感満載で、花耶は苦手意識から引き気味だった。 ある日電車の運休で帰宅難民になった。途方に暮れる花耶に声をかけたのは、苦手意識が抜けない奥野で… 仕事が出来るのに自己評価が低く恋愛偏差値ゼロの花耶と、そんな彼女に惚れて可愛がりたくて仕方がない奥野。 無理やりから始まったせいで拗らせまくった二人の、グダグダしまくりの恋愛話。 主人公は後ろ向きです、ご注意ください。 アルファポリス初投稿です。どうぞよろしくお願いします。 他サイトにも投稿しています。 かなり目が悪いので、誤字脱字が多数あると思われます。予めご了承ください。 展開はありがちな上、遅めです。タグ追加可能性あります。 7/8、第一章を終えました。 7/15、第二章開始しました。 10/2 第二章完結しました。残り番外編?を書いて終わる予定です。

異世界で大切なモノを見つけました【完結】

Toys
BL
突然異世界へ召喚されてしまった少年ソウ お世話係として来たのは同じ身長くらいの中性的な少年だった だがこの少年少しどころか物凄く規格外の人物で!? 召喚されてしまった俺、望月爽は耳に尻尾のある奴らに監禁されてしまった! なんでも、もうすぐ復活する魔王的な奴を退治して欲しいらしい。 しかしだ…一緒に退治するメンバーの力量じゃ退治できる見込みがないらしい。 ………逃げよう。 そうしよう。死にたくねぇもん。 爽が召喚された事によって運命の歯車が動き出す

上司と雨宿りしたら恋人になりました

藍沢真啓/庚あき
恋愛
私──月宮真唯(つきみやまい)は他社で派遣社員として働いてる恋人から、突然デートのキャンセルをされ、仕方なくやけ食いとやけ酒をして駅まであるいてたんだけど……何回か利用した事のあるラブホテルに私の知らない女性と入っていくのは恋人!? お前の会社はラブホテルにあるんかい、とツッコミつつSNSでお別れのメッセージを送りつけ、本格的にやけ酒だ、と歩き出した所で出会ったのは、私の会社の専務、千賀蓮也(ちがれんや)だった。 ああだこうだとイケメン専務とやり取りしてたら、今度は雨が降ってきてしまい、何故か上司と一緒に元恋人が入っていったラブホテルへと雨宿りで連れて行かれ……。 ええ?私どうなってしまうのでしょうか。 ちょっとヤンデレなイケメン上司と気の強い失恋したばかりのアラサー女子とのラブコメディ。 予告なくRシーンが入りますので、ご注意ください。 第十四回恋愛大賞で奨励賞をいただきました。投票くださった皆様に感謝いたします。 他サイトでも掲載中

お嫁さんの俺、オジサンと新婚いちゃハメ幸せ性活

BL
名前のついた新婚なオジ俺のふたりが、休日前に濃厚ラブイチャドスケベを繰り広げ、改めて愛を誓い合う1日の話。 過去作はタグから是非!→オジ俺   攻めのオジサン:一場二郎(いちばじろう)/ メス堕ちさせた男子にまんまと恋堕ち  受けの俺くん:十塚千歳(とつかちとせ)/ メス堕ちさせられたオジサンに恋堕ち   Twitterのリクエスト企画でいただいたリクエスト第6弾です。ありがとうございました!   なにかありましたら(web拍手)  http://bit.ly/38kXFb0   Twitter垢・拍手返信はこちらにて  https://twitter.com/show1write

処理中です...