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《第4章》デビュタント

第2話:首都シェイン

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第2話:首都シェイン

首都シェインは巨大な城を軸として八角形に広がった洗礼都市であり、シュゼンハイド王国の中枢を担っている。戦禍の名残ともいえる外敵に備えた堀で囲まれ、入口の門から城までを一本の坂道が結んでいるが、残る七方向に伸びたメイン通りも常に人で溢れ、その通りを結ぶ道もまた様々な店と人でごった返している。整備された道は美しい石畳で舗装され、一階に店をかまえた五階建てほどまでの古い住宅が立ち並ぶ。白を基調としたそれらの壁には国旗と花が飾られ、円錐に尖った藍色の屋根が愛らしい。


「ふあぁぁあぁぁ」


田舎から出てきたことが丸出しなのは仕方がない。
検問を通り抜け、頭上に国旗がぶら下がるメイン通りを馬車で通り抜けていく際、窓から見える景色はどれも見たことのない新しいもので溢れかえっていたのだから、リズの口から変な声が漏れるのも当然と言える。何より人や物だけでなく、獣亜人らしき生物も暮らしていることが一番の驚きだった。


「獣亜人ってたくさんいるのね」

「前回来た時からずっといるよ」

「・・・あの、とき、は、緊張でそれどころじゃなかったもの。それに、行きも帰りもずっとカーテンがかかってたし」


そういうわけで初めてみる種族を横目に眺めながら、リズは馴染みの獣たちとを見比べる。


「でもこうして見ると、シシオラたちが綺麗で特別だって言われるのはわかる気がする」


美しい群青の色をした毛並みはもちろん、顔立ちが人間に近いということもあるかもしれない。違う部分は耳と目と牙と腕と脚と尻尾と爪と。あとは肌のざらつき。


「俺たちの顔みて、なに変な想像してんの?」

「しっ、してない」


隣のゼオラに微笑まれて、いっきに顔まで熱が上る。休まる暇なく散々な目にあったと、肌が掘り起こした記憶を馬車に同乗する男たちのせいにして、リズは赤くなった顔を再び窓の外へ向けた。
正直に告げる体の音がうるさい。
自分の意思で静かにさせることが出来れば苦労しないが、相手はどんな変化も見逃さないことで有名な兎たち。奮闘したところで、たぶん無駄な努力に終わるだろう。


「リヒド様、あれはなに?」


城が近づくにつれて見えてきたのは、巨大な白いホールケーキを模した建造物。外にまで歓声がこぼれおちているが、そのなかには怒声や罵声も含まれている。


「あれはコロシアムだよ」

「ころしあむ?」

「国王は強い者が好きだからね。獣亜人も人間も関係なく、ああして開かれる大会で勝ち上ると賞金が出たりする」

「・・・ふぅん」


通り過ぎる雰囲気に興味があるともないとも言いきれないリズの声が重なる。好奇心だけで聞いた答えは、良くも悪くもあまり関係しない方がいいのだろう。
その証拠に「リズ。それよりもこの前に、この街で過ごしたときのことを覚えているかな」とリヒドの声が話題をそらしている。


「ほら、シェインバルの夜」

「・・・はい」


その話はあまりしたくない。
マーリア村の事件から五年後、社交界デビューを迎えた日が首都シェインを訪れた最後。あの日を境に風景は一変した。
一番大きく変わったのは、この場にいる全員との関係。あの夜からずっと、繰り返される痛みと痺れはリズから少女を奪っている。 


「リズ様?」


シシオラの呼び声に過剰反応した意識が、逆にリズの顔を下に固定していた。
初めての夜は思い出したくない。
純情な蕾だとばかり思っていた自分が、淫乱な花だと自覚させられた夜。注がれる愛を栄養に咲いた花から溢れた蜜に、群がったのは他の誰でもなく目の前の彼ら。


「リズ様ってば、こんなとこで発情なんてしないでよね」

「し、してない!?」

「してるから言ってるんだよ」


ルオラの白い耳がうつむいていた視界に映る。艶のある毛並みは触りたくなるほど息づいて、リズの触手を誘うように揺れていた。


「はい、おさわり禁止」

「・・・ぁ」

「あっ、じゃーねの。リズ、せめて屋敷につくまで我慢しろ」

「ちがっ、ゼオラ。これは、そういうのじゃなくて」

「リズ様、もうしばらくご辛抱を」

「シシオラまで・・・っ・・違うもん」


三匹からかけられる言葉を素直に受け止めていた頃、純情な乙女だったあの頃の自分は、なぜこんなにもわかりやすい意地悪に気が付かなかったのかと辟易する。今ではもう、彼らの言葉のすべてを自分の都合がいいように変換してしまう。
そんなつもりはないかもしれないのに、期待だけが一人で勝手に膨らんでいく。


「リヒドさまのせいだからね」


小さくつぶやいた声とともに睨んだのは元凶の男。けれど、目隠しをつけたリヒドの表情はわからない。
群青兎だったカイオスの瞳を持ったリヒドは、人間であれば到底見ることの出来ない様々なものを見るようになった。それは眼帯で覆っていなければ日常生活に支障をきたすほどで、逆に言えば、眼帯をして常人と同じ生活を送れるという。
杖はカモフラージュだと笑うように話していたが、貴族の紳士が杖を持つのは異端ではない。それでも人間とは不思議なもので、あまり注視されないはずのものでも、外見に翻弄される脳をしているらしい。
そんなリヒドが眼帯をはずすとき。
リズが知る限りではひとつしかない。


「よく覚えておくよ」


にらむリズをからかうようにリヒドは眼帯を指にかけて、その目で笑う。


「ッ・・・ぅ」


唇を固く結んで言い訳を失ったリズは、今夜を想像してのどを鳴らした。
逃げ道を提示されても進路は決まっている。孤独な無傷を選ぶくらいなら、幸福な暴力に支配される方がずっといい。のどがかすれるほどの愛撫に溺れていく様子を黄金色の瞳は見ているのだから、今さら無垢なフリをしても意味がない。とはいえ、それを嬉々として受け入れる相手に平然とねだれるほど素直になりきれてもいなかった。


「モーガン様もリズに会いたがっていた」

「お義父様が?」

「なかなか帰れないと嘆いていらしたが、リズもその方がいいだろうと複雑な顔をしていたよ」

「そんな、私も会いたいわ」


国中を飛び回る多忙なモーガンは、最近とくに忙しいらしく、その身のほとんどは王都シェインに置いている。もともと病弱な妻のためにリエントの屋敷で暮らしていただけで、本来はシュゼンハイドにいる獣亜人の管理責任者として王都に身を置くものらしい。現在進行形で部下として働いているリヒドがそう言うのだから間違いはないだろう。


「王都獣亜交国管理省へ寄ってみようか」


王都獣亜交国管理省。それは城門から城へと真っ直ぐ進むメイン通りから時計回りに二本曲がった先にあった。歴史ある重厚な建造物は、ほどこされた装飾や彫刻が重要な文化財としても指定されている。


「あぁぁあぁぁあ」


これは、例のごとく会うたびに発狂しているモーガンの声。


「今日来るとは聞いてなかった」

「そうでした?」

「リヒド、内緒が過ぎるぞ。可愛いわが娘に会えると知っていれば、ひげくらい整えたというのに。これでは頬擦りも出来ないではないかっ」


リズを抱き締めながら文句を口にするモーガンに対して、唇だけを引き上げたリヒドの対比は珍しいことではない。
ただそれを引き剥がす役はいつも、長い耳を持った獣たち。


「そんなものしなくていいよ。いい加減、その手をリズ様から離してよね」

「・・・やだ」

「良い年をして人前でみっともないですよ」

「父が娘に抱きついて何が悪い」

「リズと俺たちの差、ひどくね?」

「なんだ、久しぶりに会えて嬉しいのか。どれ、抱きしめてやろう」


威嚇。随分とわかりやすい唸りかた。それでもめげずに抱きしめようとするモーガンから三匹は跳ねるように逃げる。もちろんその隙に、リズはルオラにさらわれていた。


「もういいでしょ。リズ様は僕たちの番であって、モーガンの蕾じゃないんだよ」

「花として愛でられているかどうかはみればわかる。それとこれとは別問題だ」

「・・・親バカ」

「なんとでもいえ」


ふんっと鼻を鳴らして仁王立ちするモーガンは、会うたびに老いを積み、疲れを滲ませている。互いに一定の距離を保つことで終息した騒動。それでも伝えられる機会はそう多くはない。


「お義父様、会えて嬉しい」


今度はリズからモーガンに抱きつく。礼儀や作法は気にしない。


「いつまでも元気なお義父様でいてね」


会えることが嬉しい反面、不安も募る。次に会えるのはいつか。このまま会えなくなることがあるということをリズはもう知っている。
名前を与えてくれた人。
居場所を教えてくれた人。
大事な人が生きている時間はいつも短い。


「しばらく王都にいるのだから毎日でも会える」


リヒドの杖が先を促す。感極まってリズを抱きつぶそうとした男から引きはがすための笑みだったが、それが百戦錬磨の伯爵に効くわけがない。けれど、モーガンも仕事に戻らなければならないと、どこか悲しそうな笑みをみせていた。


「リズ、キミはわたしの娘だが、もう立派な一人の女性だ。幸せは自分で見つけられる、やりたいことをして、行きたい場所に行ったっていい」

「・・・お義父様」

「元気そうで安心したよ。キミたちもリズを頼む」


頭を下げるその姿に何を返せるだろう。
当然だと言い切ってくれる人たちに何を与えられるだろう。
胸の奥に咲く温もりの痺れは、いつももどかしくて、泣けるほど愛おしい。
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