日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第四章『朝敵篇』

第九十話『陰陽』 破

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 時を戻し、十月七日水曜日の昼過ぎ、街の一角でようは電話端末を凝視していた。
 季節の変わり目に特有の肌寒さを感じ、薄着で出たことを少し後悔していたが、かに入って人に見られたくはない。

(最近一気に冷え込んだな……)

 気候はすっかり秋めいていた。
 日本の夏が高温多湿なのは、太平洋高気圧の影響である。
 こうこくというでかい土地が突然現れたことは、当然そこに変化をもたらす。
 今や秋の訪れは、数年前と比べて一月早いのだ。

(前にこの国へ来たのは夏前だったな。街の色もすっかり変わった……)

 ようは初めて、景色の変化に気が付いた。
 土瀝青アスファルトは日光の照り返しを弱め、街路樹にかげりをかぶせている。
 ようは今までその様なことに気を止める余裕など無かったが、追い詰められた今では妙に目に付いてしまっていた。

 死が近付くと、世界が美しく見えるという。
 彼女は今、自身の命運が尽きようとしていることを否が応にも突き付けられているのかも知れない。

(まだ既読が付かない……。頼むふた貴女アンタだけが頼りなんだ)

 ようは画面に向かって念じ続ける。
 二度と会わないと一度は決意した筈のふたのことを、彼女は再び利用しようとしていた。

 後めたさはある。
 だがあくまで優先は弟のかげだ。
 それに、厄介ごとに巻き込むと言ってもこの程度のことならば、大した問題は無い筈だ。
 日本側の責任者、そうがんを管理しているであろう者の詳細をくくらい、迷惑にはならないだろう。

 だがようにとって、事態は思わぬ方向に転んだ。
 想像だにしなかった巡り会わせが彼女を急襲する。

「ん?」
「お?」
「あ……!」

 彼女は連れ歩いていた二人の男と出会ってしまった。
 久々に見る顔だ。

さきもり……! あぶ……!」
椿つばき!」

 さきもりわたるあぶしん――自分達を追っている元拉致被害者だ。
 想定外の遭遇に、ようは動揺しながらも身構える。
 二人は間違いなく自分を倒し、連行しようとするだろう。
 二対一と分は悪いが、こんなところで捕まるわけにはいかない。

 だが、そんな彼女にしんは意外なことを言い出した。

「よー椿つばき、随分久し振りじゃねえか。ま、立ち話も難だし何処か飯でも行こうぜ」

 彼の言葉はまるで旧友を誘う様な軽薄なものだった。
 しかし内容とは裏腹に表情とこわいろにふざけた様子は無い。
 むしろ静かな迫力が、ように拒むことを許していなかった。
 わたるもそんなしんの提案に同調する。

「そうだな。出来れば個室がある方が良いな。店を探すよ」
「おう、頼んださきもり椿つばきおれはずっとお前に訊きたかったことがあるんだよ」

 ようは考える。
 この際、ふたではなくこの二人に全てを話してしまおうか。
 特に、さきもりわたるは敵に対して何処か甘い所がある。
 だったら、かげのことも助けてもらえるかも知れない。

わかった、大人しくついて行くよ。積もる話もあるしね」

 ようふたに対し、キャンセルのメッセージを送ろうとした。
 しかし、彼女のには意外な言葉が飛び込んできた。

『ごめんようさん。今日は先約があるから、そっちが終わってからでもいい?』
『どうしてもっていうならようさんを優先するけど……』

 よう何故なぜか少し残念に思ったが、この状況ではあまり意味も無い。
 一息吐くと、ふたにメッセージを返した。

『大丈夫、こっちも事情が変わった。気にしないで行っといで』
『また改めて、きちんと話がしたい』

 ようわたるしんに付いて行った。



    ⦿⦿⦿



 三人が入ったのは個室付きのお好み焼き店だった。
 この店では自分で焼くか、焼いたものを持って来てもらうかを選ぶことが出来る。

「どうする?」
「どうって、作りながら話すのは面倒じゃね?」
「じゃあ焼いてから持って来てもらうか」

 ようおもいを露知らぬわたるしんは自分の注文を選んだ。

「おう椿つばき、お前も何食うか選べよ」
あたしは良いよ……」
「選べよ」

 しんが低い声でように迫る。

「これから話す内容によっちゃ、しゃで食う最後の飯になるんだ。好きなもん選べよ」

 どうやらしんにはように対して腹に据えかねていることがあるようだ。
 ようにはそれが何なのか、何となく解る。

あぶあたしが憎いのか。家族のかたきの内通者だったあたしが……」
「いんや」

 確かにしんの眼は、険しさこそあれどぞうには染まっていない。
 何か別の理由でように怒っているらしい。

「お前にも事情があるんだろ。それくらいのことは解るぜ、おれにも。ただちょっと、一つだけ納得のいかないことがあるってだけだ」
「何のことだよ……?」

 しんは普段見せない厳しさでように迫る。
 隣にすわわたるは全て織り込み済みであると言った様子で黙って見守っていた。
 そう言えばこの二人はこうてんかんで相部屋だった。
 そこで育まれたきずながあったからこそ、今でも二人で行動したりしているのだろう。

 翻ってようは、同じものをにしてふたを利用している。
 この二人を見ていると、再び罪悪感が込み上げてしまう。

おれはずっとひっかってたんだ」

 しんようといただす。

「それはあの日の朝、丁度ずみちゃんとくちげんした次の日、ちょっと仲直りするような雰囲気になった時があっただろう」
ぼくが朝食の支度をしてたあの日だな」
「あの朝がどうしたんだよ?」

 ようは少しいらちを覚えてしんに問い返した。
 彼女としては、早く本題に入りたかった。
 それだけに、もったいった言い方がかんに障ったのだ。

 だがしんの眼はそんなようの反発を抑え付ける。
 そもそも立場的に、彼女は二人に捕まえられている状態なのだ。
 しんは言葉を続ける。

「あの時、おれの妹とお前の弟の話になったよな? 妹ぼんのうが過ぎると本人に嫌がられるとお前は言った。そしておれ達はお前に双子の弟が居ると初めて知ったわけだ。お前がその直前に言ったこと覚えてるか?」
「ああ……」

 しんにとっての本題は極めてさいな事だった。
 だが確かに、後になって思い返せば気になる事だろう。

「『まあ妹には会えないんだけど』って言ったね、確かに」
「そう、それだ。その後でお前にも弟が居るという話になった。拉致されたままもう家族に会えないんじゃないか、そう気を落としていたんだと皆思った筈だ。だがな椿つばき、お前がおおかみきばの内通者だってんなら別の意味にも取れんだよ」

 しんけんしわを寄せ、鋭い視線でようにらんだ。
 かつだいごみと呼ばれた不良の時分も、彼はこんな目付きですごんだのだろう。

「あれ、本当はどういう意味だったんだ? お前はおれの妹が、家族が全員殺されて、既にこの世に居ねえと知っていたのか? それがずっと気になって、次に会うときは訊きてえと思ってたんだ」

 しんの問いにようどうもくしてひるんだ。
 はっきり言ってそれは揚げ足取りの様な細かいことだ。
 今更そんなことを追求してどうするつもりなのかと、ようは一瞬そう思った。
 しかしそこには別の根本的な問い掛けも含まれているとすぐに気が付いた。

 お前は自分がどういうことに関わってきたか、その重大さにどこまで自覚的なのか。
 お前が加担してきた組織は、目の前に居る相手から大切な者を全て奪っていったのだ。
 お前はそれを解っていて、なおも開き直っているどうしようもない人間なのか。
 それとも葛藤を抱えつつも自分に言い訳をし続けているのか。

 この問いは、ようの根本に突き刺さるものだ。
 弟以外の人間はどうでも良い。
 それはひっきょうしんの家族の様な犠牲を省みないということである。
 ならばその精神性は、おおかみきばと地続きのものではないか。

 ようは息をみ、答えた。
 心して答えなければならなかった。

「知っていたって訳じゃないさ。家族に会えない姉を演じようとしただけ。だけど、そうだな。あの時演じていて、全くその考えがよぎらなかったってわけでもない」
「つまり、『もうとっくに死んじまってるよ』って意味にもなっちまうとは思ったんだな?」
「……否定出来ないな」

 ようの答えに、しんは大きな溜息を吐いた。
 今にも個室が震え出しそうなほど、隠そうともしない殺気が彼からあふしていた。

さきもり、いざとなったら抑えてくれや。何かのはずみで椿つばきのことをぶん殴っちまうかも知れねえ」

 しんは額に青筋を浮かべ、自分の感情を必死で抑えている。
 わたるは一瞬驚いたように隣へ目を向けたが、しんが手を出すことは無いと思ったのか、ようの方へと向き直った。
 そして、落ち着いた口調で彼女へ問い掛ける。

椿つばき、お前ずみさんと日本で何度か会ってるよな? 一度目はくも兄妹が入院していた病院を聞き出した。で、それ以降は何やってたんだ? やっぱりおおかみきばために利用してたのか?」

 わたるの問いに、ようは考える。
 既に彼女の中で、二人に助けを求めようとは決めていた。
 だが、その為には言葉を選ばなくてはならない。

「病院を訊いたのはおおかみきばの指示だ。けど、ふたに頼ったのは助けてもらいたかったからなんだ。それを『利用した』と言われればそうだろう」
「つまり、本当はおおかみきばに従いたくなくて、でも命令を聞かなければならない事情があると、そう言っているのか?」
「ああ。その事情について、貴方アンタ達に話したい。もっと言えば、助けて欲しい!」

 ようやく自分の望む展開に持って行けたようは、はやって身を乗り出した。
 こうしている間もかげは苦しんでいる。
 今すぐにでも全てを話したかった。
 そして、自分達に手を差し伸べてほしい。

ずみさんと会っていたのも『助けてもらいたかったから』って言ったな。差し迫っているのか?」
「ああ、かなりヤバいことになっている。このままじゃ……」

 ようは不安を押し殺し、二人に深く頭を下げる。

あたしだって、好き好んでおおかみきばに協力したわけじゃない。全ては弟を助けたい一心だった。そして今、弟はとても危ない状態なんだ。貴方アンタ達の助けが欲しい。あたしのことは構わないから、どうか弟のことだけは……!」

 わたるしんは互いの顔を見合わせた。
 そしてうなずくと、正面へと向き直る。
 しんは溜息を吐いて踏ん反り返った。
 反対にわたるは椅子に深く座り直して上半身を前に傾ける。

「しゃーねえな」
「解った。話してくれ」

 ようふた以外の人間に初めて自らの身の上を話した。
 その内容、特にかげの悲惨な境遇に、二人の表情は次第に険しさを増していった。
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