日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第二十七話『日嗣』 急

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 しんせいだいにっぽんこうこく首都とうきょうは首相官邸。
 壮麗な執務室で、自席に腰掛けた現内閣総理大臣・のうじょうづきが報告書に目を通していた。
 女性ながら、勲章付きの背広をこなす姿はまさに軍司令部といった厳粛さをまとっている。
 そんな彼女の前では、背が高く長髪をまげ状に結った男が立ち、答えを待っている。

「申し分無いな。実に喜ばしい」

 のうじょうは震える手で報告書を机に置いた。
 そして抑えられぬままに両手を組み、息をんで姿勢を正す。

「つまり、あるのだな? めいひのもとには、我々の求めているものが力を保持したまま現存しているのだな?」
「はい。あちらが辿たどった歴史と言説を検証し、またしんにも似た霊力を現場で確認し、調査を尽くしました。時間は要しましたが、結果としてあちらではいまなお受け継がれているとの結論に達したとの報告で御座いまする」
「そうか……そうか……!」

 のうじょうの震えが大きくなっていく。
 彼女にとって、いやこうこくにとって長い長い旅の終わりが見えてきたのだから、当然の反応だった。

じんのう陛下もお喜びになるだろう。わたしも陛下より賜った使命を全う出来て感無量だ。これでようやく……漸くこうこくの栄華は大盤石の重きに着く……! めいひのもとを吸収し、彼岸の皇室から正統なる流れをみ譲受させればがんに失われしあれらが……!」

 震える声に力がこもる。
 今ののうじょうは歓喜を抑える術を知らなかった。

あまのひつぎが……! 三種のじんこうこくに戻ってくる……!!」

 そんな彼女を、男がいさめる。

のうじょう閣下、功を焦ってはなりません。今のこうこくが不安定な状態にあること、重々承知でしょう」
「無論だ。下手なやり方でめいひのもとを制圧してしまうと、三種の神器から力が失われる結果になりかねん。以前の二の舞は避けねばならん。そのためには、この件は当分内密にしておきたい」
「近年、遠征軍の独断専行は目に余りまするからな。しっかりと統制を取って抑えておかねば、一寸ちょっとしたきっかけめいひのもとに一挙侵攻しかねませぬ」
「貴族閥の方々が軍の主戦派や不穏分子をあおっているのがまた迷惑な話だ」

 現在、こうこくの政界は大別して三つの派閥が立場を入れ替えながらすうせいを争っている。
 軍隊の影響力を背景に現政権を握るのうじょうら軍閥、同門の学歴を背景に結び付く学閥、そして家柄と権威によって謀略を巡らす貴族閥である。
 のうじょうの前に政界を牛耳っていたのは貴族閥の長である公爵・きのえくろ
 しかしこの男は節操無く勢力を拡大しようとし、軍にまで影響力を伸ばした結果、現在その統制は大いに乱れることになった。

きのえきょうには困ったものだ。権力を巻き返すことしか考えていない。お陰で軍内部に怪しげな政治団体が力を付ける始末……」
「閣下がわたしに監視を命じられし例の団体、こうどうしゅとうで御座いまするな?」
武力政変クーデターくわだてているといううわさもある。このまま捨て置いていてはどう暴走するか分かったものではない」

 こうどうしゅとう――はたも所属する極右政党である。
 比較的若い軍人と忠君愛国精神の強い新華族を中心に影響力を伸ばしているが、過激なまでに皇族へしており、軍閥と貴族閥双方にとって脅威となっている。
 きのえくろは彼らに目を付け、取り込もうとしているらしい。

「不安要素は多いが、国家の悲願をかなえる為にも軍は抑えておかねばならん。その為には、今めいひのもととの関係をこじれさせるわけにはいかんのだ」
「そこで問題となるのが、例の一件というわけですか……」

 目下、のうじょうの悩みの種はそうせんたいおおかみきばによる拉致事件である。
 今、政府は比較的に穏当な手段で三種の神器を手に入れるよう主張している。
 しかし、それは日本国の反こうこく感情が高まると望めなくなってしまう。

おおかみきばによる拉致事件の対応を誤れば、めいひのもとは決定的にこうこくあいれなくなるだろう。そうなればわたしを始めとした統制派の軍閥は失脚。日和見主義の貴族閥や勢いの衰えている学閥では軍の主戦派を抑えきれず、誰にも暴走を止められなくなってしまう」
きのえ卿とて、三種の神器を手に入れる機会を二度までも不意にすることは望まれぬでしょう」
「あの方は御自身を始めとした摂関家の権勢を過信なさっている。多少強引な手段に出てでも政界と軍を牛耳ってしまえば後はどうとでもなるとかんがえなのだ」

 のうじょうけんしわを寄せ、指を絡ませてためいきを吐いた。

「なんとしても、生き残った拉致被害者を無事にめいひのもとへ帰さねばならん。本来あまり好ましくはないが、皇族方の手もお借りする必要がありそうだ。お前は引き続き、きのえ卿のそばに就きながらこうどうしゅとうの動向を探れ」
「仰せのままに、我が主・のうじょうづき内閣総理大臣閣下」
「頼んだぞ、つきしろ
「御意」

 長身の男――つきしろさくのうじょうに一礼すると、きびすを返して執務室を後にした。
 しかしその表情は、ただならぬ思惑をはらみ不気味にほくんでいた。



    ⦿⦿⦿



 しんせいだいにっぽんこうこくの発展は、ひとえしんという巨大な神秘オカルトエネルギーによって急速に推し進められてきた。
 神秘オカルト幻想ファンタジーであるが故に、物理・化学・生物学など汎ゆる科学的限界を突破し、時空を超えて他を寄せ付けぬ超大国にまで成長することが出来た。
 そして国力の大部分は、じんのうがその強大なしんを「貸し出す」ことによって支えられている。
 こうこくいて、じんのうはまさに国父以上の父なる神として君臨しているのだ。

 しかし、そうなると当然の如く一つの問題が浮上する。
 すなわち、後継者問題である。
 天孫降臨以来このかた、不死なる者として生まれ来たる皇族は一人としておらず、じんのうとて例外ではない。
 従って、こうこくじんのうの担う役割を継承していく存在を恒久的に必要としているのだ。

 そこには二つの問題があった。
 一つは、そもそじんのうが我が子になかなか恵まれなかったという点である。
 これは、せっかく復活した皇室が永久に消えてしまうことを危惧した一人の女によってどうにか解決の灯を見た。
 一通の手紙と共に、冷凍保存された卵細胞が提供されたのだ。

『私は若い時分より夢の中で殿方に抱かれ、妊娠を繰り返してきました。さる高名な巫女様が仰ることには、私には汎ゆる殿方との間に汎ゆる子を儲ける神秘の能力があるとのことです。斯様な時勢に私が生を受けしは一つの天命と考え、僭越ながら皇統の無窮なるを願い、我が身の一部を提供いたします。この不敬不遜に対し、如何なる処罰も甘んじて受ける覚悟で御座います』

 差出人の名はりゅう飛鳥あすかといった。
 それ以上のことは謎に包まれていたが、じんのう本人や侍従・元老・宮内省の官僚はこれをじゅつしきしんと判断し、いちの望みを託して「せいきゅう」と呼ばれる人工母胎を開発。
 じんのうの精子とりゅう飛鳥あすかの卵子をせいきゅう内で人工授精させることにより、六人の子女が設けられた。

 だが、そこでもう一つの問題が発生する。
 それは、じんのうしんが子女に安定して遺伝しなかったということだ。
 確かに子女は皆、人並み外れた強大なしんを持って生まれたものの、様々な事情からじんのうの役割を代々受け継ぐことは難しいと判断せざるを得なかった。

 こうこくの上層部は頭を抱えた。
 このままでは、じんのうの崩御がこうこくの破滅につながる可能性が高い。
 そんな中、一人の巫女が彼らに助言を与えた。

あたくしみいしましたるりゅう飛鳥あすかの神秘は、望むままの相手との間に望むままの子を産むことが出来まする。陛下の資質は支障なく受け継がれております筈で御座います』
『成程、六名の御子女方が絶大なるしんをお持ちであるのは確か。しかし、大変な不敬を覚悟で申し上げまするが、それでも陛下のお役目を千代に八千代に受け継がれるは難しいかと……』
『それは、陛下の神性を担保するに必要なるほうこうこくから失われているが為に御座います。即ちあまのひつぎ、またの呼称を三種の神器で御座います』

 巫女の指摘どおり、こうこくは歴史的な事情で三種の神器を完全に失っていた。
 共産主義革命によって成立したヤシマ人民民主主義共和国の時代、時の政府は三種の神器を「支配と抑圧の体制を権威で裏付けるいかわしき物」として忌み嫌い、破棄してしまったのだ。

『愚かなる旧政権の賊共が破壊した神器が戻れば、御子女方はたちまさわしきちからを取り戻し、そのらいえいごうに伝えられるでしょう』
『し、しかし無いものはどうにもならんぞ! 時間を逆戻りして、違った歴史を辿りでもしない限りは……!』

 侍従長を始めとしたこうこくの上層部は絶望していた。
 しかし、じんのうだけは違っていた。

『ふむ、ならば辿れば良かろう。違った歴史とやらを』
『畏れながらお伺いいたします。わたくしどもには計りかねることで御座いまして』
『平行世界、あるいは多元宇宙マルチバースというものがある。この世界・宇宙と似た別の世界・宇宙が無数に存在するという説だ。その中の一つとして、時空・或いは世界線という概念がある。過去のあらゆる時点において、その時々に選択し得た可能性の数だけ歴史が枝分かれし、全ての枝に別の世界・宇宙が存在するという概念だ』

 じんのうの言葉を聞き、巫女を名乗る女は北叟笑んだ。

すがじんのう陛下、誠に御慧眼、博識に御座いまする。して、如何なさるおつもりですか?』
ちんしんによって時空に穴を開け、異なる歴史を辿った世界線へこうこくを転移させる。その旅路の中で、あまのひつぎを見付けてちんに譲渡させれば良かろう』

 途方も無い言葉に、その場の者は皆閉口する他無かった。
 こうして、こうこくは国策として異なる時空・世界線を移動することになったのだ。

 だが、旅はそうく行かなかった。
 世界が辿った歴史の可能性はそれこそ無数にあり、日本国が存続していること自体がまれだった。
 しんば日本が存在しても、その国体もまた多種多様で、皇室の権威の象徴として三種の神器がつつがく受け継がれているとは限らない。

 彼らは日本を見付ける度に三種の神器が受け継がれている可能性を検証し、そして落胆してきた。
 こうこく政府は国民感情の不満を紛らわす為、歴史の不遇に遭った同胞大和民族を救済するという大義を掲げ、これらの日本を吸収しては次の世界線への転移を繰り返した。
 そうやって、こうこくは国土をどんどん巨大化させていったのだ。

 そんな中、十年前にこうこくは漸く三種の神器を受け継いだ日本とかいこうした。
 しかし、時のきのえくろ政権はこれを武力で制圧してしまった。
 結果として、こうこくの皇族は三種の神器の正統な後継者となれず、神器の力は失われてしまった。
 これを機にきのえは失脚し、のうじょうづきじんのうから直々に神器を手に入れるよう指示されて総理大臣の椅子にすわったのだ。

 そして今、のうじょう政権は日本国に三種の神器の現存を確信してしまった。
 のうじょうが穏当な手段による神器譲受を企てている一方で、きのえを中心に彼女と対立する政治勢力はこれを妨害しようと策謀を巡らせるだろう。
 また、軍の主戦派や不穏分子はそのような事情を知らず、大和民族救済の大義と国の威信の為に暴走する可能性を常に孕んでいる。
 ただいずれにせよ、こうこくが動いたその時は日本国の吸収に乗り出すことになる。

 対する日本国は、このこうこくの思惑と混乱に乗じて一人の閣僚がこうこくを逆に取り込む算段を付けようとしている。
 また、革命を諦めていないそうせんたいおおかみきばも混乱に乗じて動き出す可能性がある。
 情勢は複雑怪奇で、却々一筋縄ではいかない。

 目下、わたる達がさらされているのは、のうじょう政権を揺るがそうとするきのえら貴族閥に格好の餌として付け狙われているという状況だ。
 きのえの差し金によってわたる達に万一のことがあった場合、こうこくの情勢は政権・議会・軍の全てで一気に主戦派へと傾く。
 そうなれば、日本国はこうこくの圧倒的な武力に曝され、吸収による滅亡は必至だろう。

 そう、わたる達の脱出ははや単なる個人集団の問題ではない。
 これは、日本国の存亡を懸けた戦いなのだ。




 ――第一章『だっしゅつへん』完
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