日本と皇國の幻争正統記

第一章『脱出篇』

第二十七話『日嗣』 破

　航わたる達はビルの地下に逃げ込んだ。
　どうやら解体予定で工事中らしいが、この日は丁度週末で工事は休みのようだ。
　しかし、誰も居ない隙に忍び込んだものの、立派な不法侵入である為ため、長居するにも限度があるだろう。
　なお、この場所へは白びゃく檀だんの案内でやって来た。

「こんな場所をよく知っていたな」

　根ね尾おは珍しく白びゃく檀だんを褒めた。

「はい。一昨日飲み歩いていた道中に工事中のビルがあったなーって」
「そ、そうか……」

　根ね尾おは白びゃく檀だんの緊張感の無さに呆あきれた様子だった。
　だが、そんな彼に魅み琴ことが小声で話し掛ける。

「白びゃく檀だんさんに二日前何かあったんですか？」
「どういうことだ、麗うる真ま君？」
「彼女が飲み歩いていたのって、多分私わたし達に内緒で出て行った時だと思うんですけど、帰ってきたとき随分くらい顔をしていましたよ」

　根ね尾おは少し目を大きくし、その後で眉み間けんに皺しわを寄せた。
　一昨日といえば、神しん幹かん線せんで旅館へやって来た当日だ。
　つまり、白びゃく檀だんの同僚・仁に志し旗き蓮れんの死が決定的になった日でもある。

「飲んでいたのはそれが理由か。意外とあっけらかんとしていたが、堪えていないわけではなかったか……」
「やっぱり何かあったんですね？」
「後で話す。だが、その前に何が起きているのか把握しなければ」

　突然の襲撃のせいで、帰国のスケジュールは白紙になってしまった。
　今後の予定を修正しようにも、現状を把握しなければどうしようもない。

「白びゃく檀だん、一ひと先まずお前の能力でビルの入り口をカモフラージュしてくれ。あまり長居は出来んが、少なくとも明日までは隠れなければならん」
「あ、それでしたらもうやってますよー」
「……仕事が速いな。なら龍たつ乃の神かみ殿下に連絡してくれ」
「アイアイサー」

　白びゃく檀だんはスマートフォンを取り出し、龍たつ乃の神かみに電話を折り返す。
　待ち構えていたのか、電話が繋つながった瞬間に応答があった。

『皆さん、無事か！』
「おお、御心配をお掛けしていたみたいですね。なんとか無事ですよー」
『会話の聞かれない場所を確保出来たら、拡声機状態スピーカーモードにしてくれ。全員と話がしたい』

　龍たつ乃の神かみの要望でスマートフォンが床に置かれ、全員に彼女の声が聞こえる状態になった。
　航わたるは電話に向かって問い掛ける。

「深み花か様、一体どういうことなんです？　何故なぜ僕ぼく達の所へ超ちょう級きゅう為い動どう機き神しん体たいが？」
『すまない、妾わらわの責任だ。皆さんと接触し、導いていることが議会にバレてしまった』
「議会？」

　根ね尾おは怪け訝げんそうに目を眇すがめた。

「殿下、議会ということは、黒幕はもしや……」
『すまない、妾わらわの口からは言えない。特定の政治家の名前を直接出すと問題になる。ただ、皆さんを帰国させたくない勢力も皇こう國こくの政界には存在するんだ』

　どうやら今回邪魔が入った一件には皇こう國こくの政治家が噛かんでいるらしい。
　そして、龍たつ乃の神かみが直接的な言及を避けたのは、皇族が政治的影響力を行使してはならないということだろう。

「ということは、『武ぶ装そう戦せん隊たい・狼おおかみノの牙きば』だけでなく、その政治勢力も僕ぼく達の敵に回ったってことですか？」
『岬さき守もり君、そういうことだ』

　龍たつ乃の神かみの返答に、航わたるは固かた唾ずを呑のんだ。
　超ちょう級きゅう為い動どう機き神しん体たいまで動かしたとなると、おそらくは相当の大物が相手なのだろう。
　双ふた葉ばと虎こ駕がは顔を青くしていた。
　重い空気の中、龍たつ乃の神かみの言葉は続く。

『皆さん、能よく聴いてほしい。貴方あなた達の帰国は妾わらわの名に於おいて必ず実現する。だが、改めて根回しするにはそいつらの妨害を突破しなければならないだろう。心当たりはあるが、時間を要するかも知れない。皆さんは何とか敵の襲撃を掻かい潜くぐり、統とう京きょうは千ち世よ田だにある妾わらわの邸宅まで辿たどり着つき、手て筈はずが済むまで身を隠してほしい。妾わらわの保護下なら、皆さんの身の安全は保証出来る』
「統とう京きょうって……此こ処こから？」

　繭まゆ月づきが動揺から眼めを泳がせている。

「此処から統とう京きょうって、日本でいう宇都宮から東京までの距離の三倍でしょ？　歩けっこないわよ……」

　それは途方も無い距離である。
　因ちなみに、繭まゆ月づきが言うように日本に於ける宇都宮と東京の距離は百粁キロ以上あり、面積十倍の皇こう國こくで推定するとその移動距離は三二〇粁キロを超える。

「マジかよ……」
「そんな……まだ帰れないの……？」
「此処へ来て、更に長い移動を強いられるのか……」

　新しん兒じ・双ふた葉ば・虎こ駕がも現実に打ちのめされていた。
　だがこんな時、決して絶望しない心の持ち主が居る。

「解わかりました。深み花か様、勝手ながらまた貴女あなたの御お厚こう意いに甘えさせていただきます。根ね尾おさん、白びゃく檀だんさん、今後のことを話し合いましょう」

　航わたるは折れない。
　その心は、いつも仲間達に立ち上がる気力を与える。
　ここまでの道みち程のり、航わたるは一度も諦めたことは無かった。

「ま、とりあえず移動手段を探しましょうかー。十人乗りまでなら運転出来ますし、ワゴン車でも借りましょう」

　白びゃく檀だんも楽観的だ。
　だが、今はそれが心強い。
　危機感の薄い彼女だからこそ「歩かなければならない」という先入観を破れたのかも知れない。

『岬さき守もり君、すまない。妾わらわも力になりたいが、先日言ったように表立っては助けられない。此方の動きがバレている以上、白地あからさまな動きは却かえって敵の強硬手段を招き、君きみ達を追い込む結果になりかねない。だが、此方に来てくれさえすれば後は必ず何とかする。一昨日おとといの約束通り、屹きっ度とまた会おう』
「はい。今暫しばらくお待ちください。必ず辿り着きます」

　龍たつ乃の神かみとの通話は一旦終了した。
　これからどうするか、十人で話し合わねばなるまい。
　だがその前に、根ね尾おは今回の敵について心当たりを述べ始めた。

「俺おれの考えが正しければ、今回の敵は一昨日既に俺おれへ牙を剥むいてきている。あの男ならば超ちょう級きゅう為い動どう機き神しん体たいを動かせても不思議ではない。その力は狼おおかみノの牙きばの比ではあるまい」
「あーなるほど。あの人達ですか……」

　白びゃく檀だんは口調こそ普段と変わらないが、何か思うところがありそうに神妙な面持ちをしている。

「屋や渡わたり以上の敵もゴロゴロ襲って来るってか？」
「そうだ、虻あぶ球く磨ま君。繰り返すが、狼おおかみノの牙きばの比ではない」

　新しん兒じと根ね尾おの遣り取りに、双ふた葉ばや虎こ駕が、繭まゆ月づきは再び青あお褪ざめた。
　もうあんな命懸けは懲り懲りである。

「大丈夫。今回は私わたしが居るわ。必ず守る」

　魅み琴ことは拳を握り締めた。
　その姿、言葉はこれ以上無く頼もしい。
　一方、航わたるは敵の正体を気にしていた。

「根ね尾おさん、敵は何者なんですか？」
「皇こう國こくには二百近い新旧華族家が存在する。その中で大まかに五つの爵位に基づいて家格が決まっているが、最高位の公爵家は十二家。中でも皇族に近い六家は摂関家と呼ばれ、比類無き権力を保持している」

　因みに、戦前の日本国に於いて華族家は華族令が発せられた時点で五百以上、最多の時は九百を超えていたという。
　十倍の人口を誇る皇こう國こくで当時の日本より貴族が少ないのは、ヤシマ人民民主主義共和国時代に虐殺の憂き目に遭った為である。
　それが却って現在の権力集中を招いているのは皮肉と言う他無い。

　また、ヤシマ政府に協力した咎とがを追求されて取とり潰つぶされた旧華族家も多い。
　代表としては、ヤシマ政府の中心人物・道どう成じょう寺じ公きみ郎おと久く地ち縄なわ穂ほ純ずみを輩出した道どう成じょう寺じ公爵家と久く地ち縄なわ子爵家が挙げられる。
　この様な貴族家の存亡をも司つかさどる強大な権力を保持しているのが摂関家と呼ばれる甲きのえ・一いち桐どう・十とお桐どう・公く殿でん・丹に桐どう・鷹たか番つがいの六家である。
　別名で六摂家とも呼ばれる。

「皇こう國こくがこの世界に顕現する以前、能のう條じょう緋ひ月づき現首相の前にその椅子に座っていたのは、その摂関家当主の一人。当然、皇こう國こくの貴族院でも一・二を争う絶大な権勢を誇っている。その公爵・甲きのえ夢む黝くろ前内閣総理大臣こそがおそらく我々に立ちはだかる敵だ。皆、心して掛かれ」

　恐るべき敵の正体が明かされ、航わたる達に戦慄が走った。
　皇こう國こくの政争に巻き込まれた時点で、彼らの脱出劇には別の大きな意味が生じたのだが、当の本人達はまだ知る由も無い。
　その背景には、皇こう國こくの国策そのものが関わっているということも……。