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第一章 七川蒔
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下手すれば降格や左遷されてしまう。いや風紀を乱したことでクビもあり得るかもしれない。でも誰がこんな記事をマスコミにリークしたのだろう。蒔は頭を抱えた。
「少しよろしくて?」
おしとやかな口調が頭上で聞こえてきた。
「なによ?」
こんなときに話しかけるなんて何て無遠慮と顔を上げると思いがけない人物がいた。
園田耀。綾の秘書を務める。社長室秘書課の課長を務めており、綾や蒔の会社の同期であり、高校生時代の同級生だ。
「お時間ございますか?」
耀が訪れるのは事態として綾が感知しているわけだ。断るわけにはいかない。
フロアを出るとひそひそとささやく声がする。こんな屈辱は初めてだ。自分の家とばかりに思ったオフィスが歩きづらいものになるなんてこれほどの屈辱はあるだろうか。
蒔は十三階の空いている会議室に連れて来られた。蒔は次期役員の候補なので顔はばれている。廊下、エレベーターで会った社員とは目を合わせないようする。
「人事部預かり?」
開口一番に耀の言葉に蒔はあ然とした。力がふっと抜けている感覚がした。
蒔は意味を理解していた。いわゆる窓際部署に辺り、会社が不要と判断した社員を留め置き、自然と依願退職するように促す部署である。
「冗談じゃ。何で私が……」
「そうムキになるものではありませんわ」
「耀さん。あなた、私がどれだけ綾さんに尽くしてきたか……」
まさかこんなことで辞めろというのか。視界が真っ暗になった。ここを辞めて他にどこに行けばいいのだろう。蒔にとって鮫島エステハウスは最高の職場なのだ。
「少し当日の状況を教えて下さいますか?」
秘書課は社長の綾直下の部署であり、影の人事と言われている。社員の経歴などは全て握っている。
蒔は当日の酒席でのやり取りを詳らかには話す。大和建設の部長笹川に飲まされ、断り切れずホテルに連れ込まれた。そこでの屈辱的な行為も話した。
どうしてこんなことが……
隠し事はできない。秘書課のさじ加減で蒔は爪弾きにされかねない。綾に嘘なんて付けるはずがない。
「でも酒を進めてきたのは向こうなのよ! 仕方ないじゃない?
それに私……」
相手が既婚者であることも知らないし、ホテルでの一件も相手側が恣意的に連れ込んだのだ。蒔は被害者なのだ。糾弾される謂れはない。
「どうか落ち着いてくださいませ」
耀はゆったりとした口調で蒔をなだめる。
「落ち着けるわけ……」
蒔が人事部預かりとなっている中、誰が長となり仕切るのだろう。
部長としての業務を誰かが引き継ぐことになる。
「私の代わりはどうなります?」
「しばらく部長の座は空席とし、しばらく代理を立てる予定になるかと思います。いずれ人事部より辞令を出すよう言いますわ」
「ね、三月の役員の選出は……」
耀は無言になる。もはや言うまでもないわけだ。その無情な反応に蒔はボロボロと涙があふれ出る。恵が次の役員になる。自分があんな女の下になる。
「なんで、こんなこと……」
ただの接待でのやり取りがこんな風にすっぱ抜かれるなんて。いつだって自分の努力は報われない。周りは部長という地位になってちやほやしてくれるが、裏ではえげつない悪口が吐かれている。
ぼろぼろと涙がこぼれた。学生時代から嫌なことは星の数ほど経験してきた。それでも乗り越えてきたのに。こんなところで終わりたくない。
「私、今日まで頑張ったわ……」
「もちろん。悲しい顔しないで」
差し出された赤いハンカチはあっという間にぐしょぐしょになっていく。
「耀さんは学生時代に私がどんな扱い受けてきたかご存じのはず」
一部の女子グループによる嫌がらせ。あまりの過激な仕打ちに一度は死のうかと思った。でも救いの手を差し伸べてくれたのが綾だ。耀も横で見ていたはずだ。
「苦労した人は必ず救われるわ。だから死んではだめよ」
泣きわめく蒔の頬に綾の手が触れる。諭す綾の姿は女神そのものだった。蒔はこの日から綾に忠誠を誓う。綾のために人生をささげる。生きる目的ができた。
尊敬できる最高の人の下で働きたく、蒔は鮫島エステハウスに入社した。労働環境は悪く、同期がやめていく中で蒔はめげずにここまで来た。
今までどれほど自分が辛酸を舐めてきたか思い返していた。何一つだっておかしなことはしていない。
たかだか一回の気の迷い、自分の弱さのせいで人生を棒に振りたくなかった。そのためにはプライドは捨てて誰にでも縋るつもりだ。
「少しの間の辛抱と思って。時期に辞令が出ますわ」
「お願い、綾さんに私を見捨てないように言って!」
耀が今は頼みだ。自分は試されている。綾は常に人を試す。ベストを尽くすよう求めている。
「どんなことでもするから」
「会社には蒔さんのような高い志を持った方が必要なのはわかっています。それは社長もよくご存じでしょう。ですが、昨今はコンプライアンスが大変厳しい時代です。ご理解頂けるでしょうか?」
何があっても望んだものは手に入れてきた。
「わかった。でも私、あきらめないわよ」
二月十四日付け。以下の辞令が出た。
『異動通知 営業本部営業第一部 七川蒔 対象者は客先との宴会の場で泥酔し客先社員と不埒な行いをして会社の信頼を損ねてしまったため、人事部人事課付に異動とする』
「少しよろしくて?」
おしとやかな口調が頭上で聞こえてきた。
「なによ?」
こんなときに話しかけるなんて何て無遠慮と顔を上げると思いがけない人物がいた。
園田耀。綾の秘書を務める。社長室秘書課の課長を務めており、綾や蒔の会社の同期であり、高校生時代の同級生だ。
「お時間ございますか?」
耀が訪れるのは事態として綾が感知しているわけだ。断るわけにはいかない。
フロアを出るとひそひそとささやく声がする。こんな屈辱は初めてだ。自分の家とばかりに思ったオフィスが歩きづらいものになるなんてこれほどの屈辱はあるだろうか。
蒔は十三階の空いている会議室に連れて来られた。蒔は次期役員の候補なので顔はばれている。廊下、エレベーターで会った社員とは目を合わせないようする。
「人事部預かり?」
開口一番に耀の言葉に蒔はあ然とした。力がふっと抜けている感覚がした。
蒔は意味を理解していた。いわゆる窓際部署に辺り、会社が不要と判断した社員を留め置き、自然と依願退職するように促す部署である。
「冗談じゃ。何で私が……」
「そうムキになるものではありませんわ」
「耀さん。あなた、私がどれだけ綾さんに尽くしてきたか……」
まさかこんなことで辞めろというのか。視界が真っ暗になった。ここを辞めて他にどこに行けばいいのだろう。蒔にとって鮫島エステハウスは最高の職場なのだ。
「少し当日の状況を教えて下さいますか?」
秘書課は社長の綾直下の部署であり、影の人事と言われている。社員の経歴などは全て握っている。
蒔は当日の酒席でのやり取りを詳らかには話す。大和建設の部長笹川に飲まされ、断り切れずホテルに連れ込まれた。そこでの屈辱的な行為も話した。
どうしてこんなことが……
隠し事はできない。秘書課のさじ加減で蒔は爪弾きにされかねない。綾に嘘なんて付けるはずがない。
「でも酒を進めてきたのは向こうなのよ! 仕方ないじゃない?
それに私……」
相手が既婚者であることも知らないし、ホテルでの一件も相手側が恣意的に連れ込んだのだ。蒔は被害者なのだ。糾弾される謂れはない。
「どうか落ち着いてくださいませ」
耀はゆったりとした口調で蒔をなだめる。
「落ち着けるわけ……」
蒔が人事部預かりとなっている中、誰が長となり仕切るのだろう。
部長としての業務を誰かが引き継ぐことになる。
「私の代わりはどうなります?」
「しばらく部長の座は空席とし、しばらく代理を立てる予定になるかと思います。いずれ人事部より辞令を出すよう言いますわ」
「ね、三月の役員の選出は……」
耀は無言になる。もはや言うまでもないわけだ。その無情な反応に蒔はボロボロと涙があふれ出る。恵が次の役員になる。自分があんな女の下になる。
「なんで、こんなこと……」
ただの接待でのやり取りがこんな風にすっぱ抜かれるなんて。いつだって自分の努力は報われない。周りは部長という地位になってちやほやしてくれるが、裏ではえげつない悪口が吐かれている。
ぼろぼろと涙がこぼれた。学生時代から嫌なことは星の数ほど経験してきた。それでも乗り越えてきたのに。こんなところで終わりたくない。
「私、今日まで頑張ったわ……」
「もちろん。悲しい顔しないで」
差し出された赤いハンカチはあっという間にぐしょぐしょになっていく。
「耀さんは学生時代に私がどんな扱い受けてきたかご存じのはず」
一部の女子グループによる嫌がらせ。あまりの過激な仕打ちに一度は死のうかと思った。でも救いの手を差し伸べてくれたのが綾だ。耀も横で見ていたはずだ。
「苦労した人は必ず救われるわ。だから死んではだめよ」
泣きわめく蒔の頬に綾の手が触れる。諭す綾の姿は女神そのものだった。蒔はこの日から綾に忠誠を誓う。綾のために人生をささげる。生きる目的ができた。
尊敬できる最高の人の下で働きたく、蒔は鮫島エステハウスに入社した。労働環境は悪く、同期がやめていく中で蒔はめげずにここまで来た。
今までどれほど自分が辛酸を舐めてきたか思い返していた。何一つだっておかしなことはしていない。
たかだか一回の気の迷い、自分の弱さのせいで人生を棒に振りたくなかった。そのためにはプライドは捨てて誰にでも縋るつもりだ。
「少しの間の辛抱と思って。時期に辞令が出ますわ」
「お願い、綾さんに私を見捨てないように言って!」
耀が今は頼みだ。自分は試されている。綾は常に人を試す。ベストを尽くすよう求めている。
「どんなことでもするから」
「会社には蒔さんのような高い志を持った方が必要なのはわかっています。それは社長もよくご存じでしょう。ですが、昨今はコンプライアンスが大変厳しい時代です。ご理解頂けるでしょうか?」
何があっても望んだものは手に入れてきた。
「わかった。でも私、あきらめないわよ」
二月十四日付け。以下の辞令が出た。
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