孤島に浮かぶ真実

平野耕一郎

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第一部

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 家族三人の新居は車で十分ほどの場所にあった。車は港から山の方へ走っていく。町は緩やかな斜面の上に成り立っている。家々は互いに距離を保ち、どこも自分たちの畑を持っているようだ。

 町の大通りを突き進み、途中で左折した。脇にそれると急に舗装が荒くなり、しまいには砂利道になった。砂利道とそれを包む雑木林。

 グラグラと車体は揺れるが、わずかな間だった。

 石で作られた土台の上に築かれた白い家が見えた。土台の下まで来て、右に曲がった。少しきついカーブを抜ければ……

 新居が私たち家族を静かに出迎えた。スペインのミハスの白い村にありそうな家だ。白亜調で、何の変哲もない。ただ外壁の赤レンガは少しだけ角が砕けていて味わいがある。庭は雑草がまだ刈り取られていないのか煩雑とした状態だ。

 車から降りて、私はこれから住む新居をまじまじと観察する。

 先ほどまで日が照らしていたのに、もったいない。

 私は背後を振り返って周りの景色に目をやった。そこに映るものに満足するのはわずかな時間があれば十分。ここは眺めがすごくいい。町の景色とその先に広がる海と空。

 港が新居からちょうど反対側にある。そこを底辺にして、町は緩い斜面の上に存在する。港からまっすぐと一本の大通りがこちらに向かって伸び、多数の脇道が広がる。

 まるで町が大きな木だ……

 木の幹である大通りから枝が生えるように町が広がっている。私たちの家は木のてっぺんに近い枝の端にある。

 手にすっぽりと入ってしまう景観。その向こうにある果てしない海。私たちは向こうの世界からやってきた未知の来訪者。やがて個々の土地に慣れ、定着していく……

 なんだろうか?

 妙な、でも心地よいといえる、このわき立つ感情……

 じっと考えても無駄だった。私はもうこの土地から離れられないのだ。

 待ち受けていたのは贅沢な世界だ。そこはちっぽけな、でも都会にはない島の独特の時間と風景がある。それらを私は手に入れた。

 ふと隣にいた母に目をやった。彼女もまたこの景色に魅入られている。母という役割を捨て、一人の少女に戻っていたのだ!

 来る前は悲愴な想いをしていたのに、今ではすっかり心変わりしてしまった。

 はっきりと二つの矛盾した気持ちを私は感じていた。

 郷愁と歓喜とを……

 東京の郊外にあった画一的な、こぢんまりとした、旧居。父の言うように、狭く小さな家だった。彼のように物書きとして現実を観察し、そこから自身の世界を構築していく男には物足りない場所だった。

 しかし、もう二度とそこに戻ることはない。

 すでに売り払ってしまった。いずれはあそこの土地に新たな居住者が入り、私たちとは違った家庭を築いていくのだろう。そこに私たちが付け入るスペースはない。

 それが悲しいとは思わない、ただ懐かしく思えてくるのだ。私はあの家に三年ばかり暮らしていた。あの家で、家族三人で食事をした。母の料理を時々手伝い、父の新作の批評を生意気にもしていた。高校受験で机に座りっぱなし
のときもあった。

 思い出した。私がいつも花壇のチューリップに水をまいていたんだ。毎日やっていたのに、もう忘れ始めていた。

 赤、白、黄と多様なチューリップの種を蒔き、花が咲くよう育てた。干からびていくのはつらかった。

 土から生まれ、土に帰る。侘しいという感情を初めて知ったのは、多分中学生だろう。

 実に些細なことだった。でも貴重な、かけがえのない行いだった。

 懐かしさを感じる。きっとこれが郷愁という感情か。いや違う。今もっと人間が野生だった時代、自然と暮らしていた時代の名残を感じる。郷愁より深い人間の本能に直結するような感情だ。

 また別に真逆の感情が芽生え始めていた。

 新たな土地での暮らし。未知の生活。白い新居。まるでミステリーに出てくる館のようだ!

 ここから私の違う人生の一ページがスタートするのだ。すべてが好奇と希望に満ち溢れている。過去のいくつかの出来事はどこか遠くへ捨て去ろう。

 始めよう!

 新たな生活を、ここが私の原点になる。私は秘かに笑い楽しんだ。何もかもがこれまでとは違ってうまくいくと思えてならなかった。

 でもきっと何かでつまずくはずだ。それも決して悪いことばかりじゃない。

 面白くも可笑しくもない。何だっていい、どんなことも、私の心に残る。蒔かれた種は必ず芽を出すように得た経験は、地上に姿を現す。

 はあっと息を吐いた。島に、まとう全てを私はこの手でつかみ、知りたいと願った。

 いつの間か父いて、私と母の前で手をたたいた。

「昼にしよう。それから島を観光しようじゃないか」

 父がパンパンと手をたたき、場を仕切りなおす。三人は浮かれた感情をひとまず胸にしまい込んで中に入ることにした。

 そこにたたずむ私たちの白い新居は私たちを温かく包み込むわけもなく、ただ見守っていた。
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