七宝物語

平野耕一郎

文字の大きさ
151 / 156
第五部 美しき王

6

しおりを挟む
「私はこれから?」
「あなた様は陛下の初子として生まれ変わるのです。今までの地位と名誉を捨てて、自らの罪と向き合い、陛下のお考えを体現する役割を担います」
「大変光栄ではありますが、私のような不束者に務まるのかしら?」
「生まれ変わるのです。こちらへ」
 美弥子は静々と千紗の後を付き従う。もはや己の罪を払うには、王の家臣になるほかにない。本国に戻っても元通りの生活は送れるはずがない。
「千紗様、私は悔い改めねばと思っております。でも道が分からないのです」
「美弥子様、急ぐことはありませんわ。これは難しき道です。ここへお入りなさい」
 千紗に誘われてきた場所は高くそびえる五連山の麓であった。かつて大帝が住まいし時、
聖女希和の奪還をかけて、密かに通った王の道の入り口があって、今はレンガ造りの礼拝堂がある。
「ここは?」
「始まりの場所です。皆ここで陛下の飲まれている泉の水を浴び、体を清めて宮仕えとなるのです。皆さまお連れしました」
「ようこそ」
 女人たちは一同に同じ声を言う。
「私は洗礼を終えた後に会うことにしましょう。皆さま、この方をお任せ致します」
 美弥子は見知らぬ女人たちをまじまじと見ていた。誰もが笑顔を絶やさず不安に駆られた美弥子を暖かい目で見守る。
「私はどうしたら?」
「まずはこちらへ」
 美弥子はまたも奥の部屋に連れてかれる。そこは丸い木の椅子が置いてあり、黒いカーテンが引かれていた。何が始まるというのだろう。
「おかけください。これよりあなた様は自らの罪を打ち明けなければなりませんわ。しかし怖がることはないのです。罪を打ち明けることから洗礼は始まるのです」
「怖いですわ。私はあのような!」
「正直に話すことは怖い事です。でも乗り越えなければ」
「かしこまりました」
 女は部屋から出ていった。やがて部屋の照明が落ち、真っ暗になった。美弥子は全てを失うきっかけになったあの惨劇を思い出した。今の私は皇位をはく奪され、地位も何もない。今の私は暗黒に身をやつしている。このような状況からどうやって。
「美弥子様ですね」
 その声はどこからともなく聞こえてきた。
「あなた様のお話をお聞かせください」
「あなたは?」
「私は陛下の代理人。御多忙なあのお方に代わり、あなた様の御心に耳を傾ける者でございます」
「私は」
 美弥子は一気に罪を白状しようとしたが、果たしてあの出来事だけが罪なのだろうかと思っていた。
「急ぐ必要はありません。時間を要する者もおりますわ」
「私は分からないのです。何が罪なのか、どうしてそうなったのか、分からないのです」
「分からない?」
「はい。私は殺生を致しました。しかしそれは陛下の品位を貶め入れる者がいたからです。かの者は公然と陛下を非難しておりました」
「あなたは陛下のためを思い、殺生をしたというのですか?」
「はい」
「それでは侍従の後始末を依頼したのは?」
「怖かった。ただ自分の地位が失われるのがとても怖かった。でもあの娘が捕られ、刑に処されると聞き、私はおのれの所業の浅はかさに気づいたのです」
「あなたは沈黙を守れば侍従の命と引き換えに、自身の地位は確保できると考えなかったのですか?」
「考えました。でも私にはできなかった」
「それはどうして?」
「罪なき者が死にゆこうとしているのです! 私が! ああ! どうして!」
「お心を確かに。まずは胸にお手を当てなさい。深く息を吸って吐くのです。それを繰り返しなさい」
「はい」
 感情の高ぶりをなくさなければと、美弥子は自身に言い聞かせる。
「あなたは陛下の信厚き者として友好を接せられたが、同胞のあまりの所業に耐えかねず激情に駆れて殺害してしまった。その罪を小間使いに言って始末をさせたが、失敗してしまった。小間使いが刑に処すことに罪悪感を抱き、自らの罪を陛下に奏上した」
「おっしゃる通りですわ」
「あなたは陛下を心から理解しておられない」
「そんなはずは、現に私は」
「陛下はあなた様の思い人でも、ご友人でもござりませぬ。まるで己が大事なものを穢されたというような考えは御捨てなさい」
「陛下は一体なにと?」
「陛下は兆しなのです。朝起きるとき、家族と話すとき、食事をするとき、ふと窓の外をごらんなさい。そこにひっそりとたたずんで見守る気高きお方が陛下なのです。あなた様は気高きお方に欲情を抱き、我が物にせんと心なしか思っている」
「私は」
「言葉が出ないということはまさしく答えが傍になるのです。欲情に駆られ、人を殺めてしまうことが罪ではありません。尊きお方を欲するという感情が罪なのです」
「欲するという感情が罪?」
「あなたの業はとても深い。清めるためには一生涯かかるかもしれません」
「そんな」
「しかしあなた様の道は開かれました。これより洗礼を受ける資格を得たのです」
 そういうとさっと灯りが付いた。
「さあご自身の罪と向き合えましたか?」
 ええ、と美弥子は力なく言った。
「これより洗礼の儀を行います。どうぞこちらへ」
 美弥子は部屋を出て、礼拝堂の前に膝を折った。
「その前に、お召の物をお脱ぎにならないといけませんわね。さあこれへ」
「ここで?」
「ええ」
 美弥子は付けていた装飾品を取り、衣を脱ぎ下着姿を晒す。にこやかな笑みを絶やさぬ者たちに小恥ずかしさを感じる。
「その可憐な下着も」
「恥ずかしいのです。せめて隠す何かを」
「いいえ。御身を我らの晒す勇気がなくて洗礼はできませぬ」
「わかりましたわ」
 小間使いでもないものに素肌を晒すなんて。美弥子の心には皇位にいたという気位が邪魔をしていた。それでも自分はここで生きるほかにないのだからせねばならない。
「よろしくて?」
「首につけているお飾りもお外しなさい」
「これは母のお形見です。とても」
「いいえ。あなた様のお母上はこれより陛下。皆洗礼を受けたものは陛下の初子であり、平等であります。自らの所有物は陛下に差し出すのです」
「わかりました」
 美弥子は礼拝堂の中央で一人裸身になり、身を周りに委ねた。音楽が流れてきた。奥の扉から女たちが甕を持ってきた。
「あなたは今このときから聖なる泉の水により清められ、罪の浄化を始めます。ここに誓いを立てなさい」
「はい、仰せの通りに」
「これより侍従として陛下の恩ために尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
 美弥子が誓いを立てるたびに頭上から水が注がれる。誓いは12個あった。すべてが終わると、美弥子は麻衣に着替えて、洗礼は終わる。聖女の二女であり、皇宮の主だった美和子は死に、新たに王の侍従十和子が生まれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから

渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。 朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。 「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」 「いや、理不尽!」 初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。 「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」 ※※※ 専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり) ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

聖女召喚

胸の轟
ファンタジー
召喚は不幸しか生まないので止めましょう。

追放された聖女は旅をする

織人文
ファンタジー
聖女によって国の豊かさが守られる西方世界。 その中の一国、エーリカの聖女が「役立たず」として追放された。 国を出た聖女は、出身地である東方世界の国イーリスに向けて旅を始める――。

処理中です...