七宝物語

平野耕一郎

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第1章 戦いの準備

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 宮殿の西方に、ひっそりとたたずむ邸宅がある。聖都の中心が、聖女の住まう宮殿で、その西側といえば政治家や高級軍人が住まう裕福な出身の者たちが住んでいる。大体が高い塀に覆われ、警備も厳重で簡単には邸宅に侵入されないようになっていた。

 だが一軒だけ、邸内がよく見えてかつ守りの塀もいない屋敷がある。そこに諸王の王といわれたこの世で、最も強大で偉大な権力者が住んでいると思うだろうか?

 おまけに黒い正門が開かれ、どうぞ中に入ってくださいという状況だ。

 夕暮れ時の空だった。上空に目をやると、はるか向こうから黒い筋のようなものがあった。最初は遠くにあったから、豆粒ほどのものでしかなかった。やがてすさまじいスピードで聖都に向かってきた。やがて黒い筋は聖都の領域に入り、都を覆う白壁を超えた。筋は、ある一点を目指して動いていた。目的地が近くまで来ると筋は急降下し、地に降り、そこに人が立っていた。

 男だった。

 髪をきれいに整えて、白いジャケットを着込んだ四十ほどの男は、西王の邸宅の正門を見上げ、開かれた門へ向かう。門兵は腰に携えた刀に手をやり警戒したが、彼の風貌を見て、警戒を解いた。相手が何者か兵たちは分かったようだ。

「それでいい、何も警戒することはない。私だ」

 男は悠々と邸内を歩いていく。まるで慣れ親しんだ我が家に久しぶりに帰ってきたかのようだ。足元の小石と茶靴がこすれ合う。じゃらじゃらと音がする。靴は月明かりに照らされて先端がきらりと光る。男は邸内の庭を見渡し、奥へ進む。左右には小さな木が並び、竹でできた柵が覆う。

 まっすぐ進めば西王の住まいがあったが、彼は右に曲がる。そこでちょうど柵が途切れ、道があった。前を行くと、池があり、その中央に石橋がかけてある。

 橋を渡った先に、女性がアームチェアに座っていた。長い透き通った黒髪の女性が白いブラウスを羽織っている。彼女は熱心に手編みをしていた。

 会うべき人を見かけると彼はそっと微笑んだ。特に腰掛けていた女性が美しかったこともあった。彼はいつだってそうだ。好みの女性を見ると思わず笑みを浮かべる。幸いそれを不快に思う者はいない。それほど彼の顔は一人の男として、また王としてもふさわしい相貌だった。

 第七国の王――治樹。聖都より南東に位置した領土を持ち、ちょうど壱の国、参の国と伍の国の間にあった。土地は少ないが、そこは交通の要所であり、昔からよく土地をめぐって争うことが多かった。彼は西王の夫であり、彼女の味方となる存在だ。しかし、裏では烈王と通じており、表裏のある王だ。

 西王は、彼には目もくれず、しばらく編み物に集中していたが、やがて手を止める。

「早かったわね」

 西王はポツリと言った。表情はどこか物憂げだった。

「ああ。思いのほか早く準備ができた。こっちの都の守りは万全さ。あの暴れん坊君でもそう簡単に攻め落とせそうにない」

「そう」

「ずいぶん、暗そうじゃないか?」

「あなたがこちら側につくのか、あちら側につくのかでとても心配していたの」

「はは、何を言っている?」

 西王の目は、どこか冷めていた。それは二人の関係性を示しているようだった。

「その話、嘘じゃないみたい」

 背後で声がした。二人はそっと声のする方を見る。そこに夕美がいた。彼女は影のように存在を消し、いつの間にか二人の背後にいた。

「なんだ、君か?」

 夕美は治樹の問いかけを無視した。それでもって、西王の近くに寄る。

「七の国に張り込まされた部下に聞いたら、参の国の使者は、全員国外を追放されて、軍勢は北東に向けられている。だから彼はこちらの味方だわ」

「わかった」

 西王は立ち上がる。

「これで、敵は全勢力を西に送り込めず、一部兵を七の国に目を向けないといけなくなる。ずいぶんこれで楽になったわ」

「お役に立てて何よりだ」

 治樹は得意げに笑ったが、彼女は薄っすらと笑みを浮かべるだけだった。

「会議を始めます。二人とも付いてきて」

「あれ、丸雄君は?」

「もうじき着くわ。聖都の勢力圏内に入った」

「そうか、気づかなかったな」

「なら、そろそろ王の五感を引き締めて」

 三人は邸内に入る。扉を開けると、扉に 取り付けてある鈴がチリンチリンと音が立てる。

目の前にある廊下を真っすぐ進む。

 そのまま正面の部屋が王たちの会議室だった。西王は、王の中で一番高い地位に就いた存在だ。時に王たちの身でひそかに話し合う時があれば、使いを各国の王に指令を下す。彼女の命令は、ないがしろにはできない。もし、意向を無視すれば、聖女に逆らうことに意味し逆心を抱いているとみなされる。

 この世に王は七人いた。ここにいるのは三人。残り二人は反逆者になった。一人はじきに聖都につく。そして最後に一人は空席となっていた。

 西王が手を右に払うと、扉はゆっくりと開かれた。扉には魔法がかかっていて普通に開かない仕掛けになっていた。

 扉が開かれた。室内には円卓のテーブルが置かれ、その中心には、丸いテーブルがあり、燭台が置かれていた。全部で七つあったが、明かりがともされていたのは、四つだった。

 部屋の明かりは、燭台に取り付けられたろうそくの光だけだったから、薄暗く感じられた。

 三人は事前に決められた席に着こうとした。その時背後から、どたどたと音がする。

「ごめんなさい。遅れました!」

 男は、ずんぐりとした自分の体形を必死に走らせてきたようだ。でっぷりと突き出た腹は、大層うまいものを食べてきたからそうなったのだ。

 六の国の王は、美食家だった。あらゆる食に精通し、「美味を知りたければ、飯都を訪れよ」と言われるほどである。現に、六の国の大正門の前に立てば、香ばしい匂いが絶えず来訪者を誘う。ただ美食にありつくには、高額の通行料を取る。

 六の国は地理的に、壱の国と伍の国の間にある。どちらも比較的裕福な国であったから、多額の通行料を取ることで財を成しやってこられた。

 だが、事態はすでに急変した。伍の王景虎が死んだ。彼の寿命は、王の中で最も長命で力を失いつつあり、その時を迎えた。

 この王の急死により、国土の保護を司る者を失い、伍の国は空白地帯と化したことで各国が揺れ動き、今に至る。

「そろったみたいね」

「相変わらずのご登場じゃないか?」

「いやあ、いつもこのありさまさ」

「また、食べていただろう?」

 治樹は、丸雄の腹をからかい半分に触る。

「いやいや、このご時世のんきに食べている場合じゃないさ」

「そうかい? で、私が君に送った給仕はどうだ? どれもこれも可愛い子たちばかりだろうさ?」

「うん。なかなか気立てがいいね。いい料理を作る」

「それもそうだが、王のくせに妻もめとらんとは。料理ばかりではなく、人も見ることだね」

「はあ、生憎そちらにはからきし興味はなくてね」

「なんだもったいない」治樹は、残念そうな顔を浮かべた。

「雑談はいいから。あなたいつも汗臭い」

夕美は、男同士の余興を断ち切った。丸雄は、がっかりした顔をした。

「そうだ。なんで空を飛んでくるのにいつも君は暑苦しそうだな?」

「まあそろそろ始めましょう。会議の時間よ」

西王が静かに言った。それは最も威厳のある者の言葉だった。一瞬静かになったことで、場の空気が変わる。

「もう皆さんもご存知の通り、陛下がご崩御致しました」

西王の声が響き渡る。とても落ち着いていたが、重苦しいほどだ。聖女の死を心から彼女は悼んでいた。

「この国の王として、陛下にお仕えする者として、お守りできなかったことを恥じています。すべては私の未熟さゆえにあります」

 彼女の悔いの言葉は淡々と続いた。

「ですが、こうしている間にも陛下のお命を奪った敵はひしひしと我々の領土に攻め寄せようとしているのです。私たちは、ここに団結し敵を打ち払い、志半ばに倒れた陛下のご無念を晴らさなければなりません」

 西王の目が一人一人の王たちを見た。彼女のまなざしは王たちをしっかりととらえている。誰もこれから先起こるべきことを予見していた。

「ここにいる者たちは、互いに信頼の輪で結ばれた者たち。もはや一心同体。我々が手を携え、連合し火の敵を打ち払うのは分かっているでしょう。私は、壱の国、弐の国、六の国、七の国の者で、今ここに連合軍を結成しようと考えています」

 結論を言い、彼女はひとまず言葉を切った。そして意見を求めた。

「これは私の見解。皆さんの意見を承りたく存じ上げます」

 王たちの密会は、西王の独白で静まり返っていた。しばし沈黙が続いた。

「賛成だ」

 最初に、この重苦しい鉛のような空気の中で口火を切ったのは六の王丸雄だ。

「烈王は、逆賊だ。彼は主である聖女に牙をむいたよ。もはや王の器ではないさ」

 彼もその場の空気を知っていた。

「この上は、わずかな軍勢だが一の軍に援助に当たる。物資なら任せてくれ。塀の補給はこちらで持つ」

 凛とした物言いには、王としての威厳があった。誰も今の彼を太った魯鈍な男とは思わないだろう。

「七の国も、同調する。ここのところ東の隣国は、やたらと我が国の令嬢を要求する。彼は人をものとしてしか見ていない。その過大なふるまいが、彼を破滅へと導く」

「私も――賛成」

 丸雄の意思表示に、この場にいる王たちが同調した。

「だが、一つ聞きたい。諸王の王よ」

「なんですか?」

「我々が連合することはいい。だが、君の国以外はみんな小国だ。限られた兵しか出せないと思うし、何より自国の民と領土も守る必要がある。今敵は伍の国に進撃中だと聞いた。これを迎撃する兵は、どこから捻出する?」

「我が国の兵と、旧伍の国の兵がそれにあたるわ」

「だが、指揮はどうする? 君が執るのか? 王たるもの国を守るのか、他国の民を守るのか? どうするつもりだい?」

「当然、私はこの国の王です。ここに残り民衆を守ります」

「ほう?」

 治樹は笑った。この女面白いことを言う。

「だが、そうなると伍の国はどうなる?」

「安心しなさい。私が並みの将兵に烈王と戦わせると思う?」

「さあ、わからないな。私の知能では、とてもわかりっこない」

「並みの者でもなく、敵に果敢に挑める伍の国の王位を継げる実力を備えた指揮官がいるとしたら?」

 治樹は額に手をやり笑っていた。

「そうか、いやあ、そうかい」

「なあそんなに優秀で勇敢な奴がいるなら教えてくれよ。もったいぶらずにさ」

 丸雄が困ったような顔をして全員を見渡した。

「いいわ。入って!」

 西王の力強くたくましい声が密室となった部屋の隅々まで響いた。それからギイィと扉が開く音がして、男が姿を現す。澄んだ長い黒髪を結わい、細長い眉と眼が、その場にいる王たちをとらえた。彼は片手に紫色の杖を持っている。

 男の名は流星。
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