七宝物語

平野耕一郎

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第2章 前夜

7

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 2月6日。真冬の中、北東で静々と計画が推し進めてあった。北東の参の国は、北国でありながら、燃え盛る炎のせいで相変わらず暑かった。

 前衛の5000の兵が、先日南の伍の国を目指して出発し、侵入した。続いて今日本隊の5万が続けて出立する。大義なき戦い。征服のための征服が始まろうとしていた。

 参の王の名は「猛瑠」。世にいう烈王と言われている。彼の住まい火炉宮にて赤く彩られた自身の軍勢を見守っていた。細い眉がぐっと引き締められ、その顔を見れば誰もが起こっていると思うだろう。

「やあ、相変わらず険しい顔をして」

「よくも気安く話しかけられるな」

「ま、そういうなよ。知らせがある」

「なんだ?」

「こっちが兵を押し立てて南都に進軍中だから、西軍も兵を出すみたい」

「そりゃそうだろ」

「まあ最後まで聞きなよ。敵の数は、五千」

「五千?」

 その言葉を聞いて猛瑠は鼻で笑う。諸王の王がその程度の軍勢しか出さないとは。張り合いがない。

「で、総大将がさ。例の聖剣士」

「ふ、ははは!」

 猛瑠は、これほど痛快なことを久しぶりに聞いた。

「ああ、そうかそうか」

 彼は常に年少のころから他人の噂にさいなまれてきた。聖女の不肖の弟。悪逆の王。炎の反逆者……

 だがその言葉のほとんどが張り合いのないものばかりだ。なぜそんな陳腐な呼ばれ方しかできないのか。ずっと不思議に思っていた。でも答えが分かった。

 相手がその程度の口先だけの存在だったということだ。

「相手の大将格は、相当人員が枯渇しているらしいな?」

「だろうね。あの国の兵は、西王の私兵だからさ。彼女の下は、ぐでぐでだよ」

「ふん」

「まあ、念のために様子は、再度確認しておくよ」

「待て」

「なんだい?」

「そう急ぐこともないだろう。兄弟?」

「はは、兄弟?」

「これだけ長くコンビをやってきた。兄弟も当然だろう」

「おお、うれしい言葉だね」

「戦前だが、一杯やろう」

「出陣しないの?」

「急ぐこともないだろう。相手は雑魚なのだろう?」

「まあね」

「ならいいじゃないか」

「わかった。そうしよう」

 2人はお互いの顔を見て、笑い合う。まるで本当の兄弟のように。

 南東の小さな国。透き通った夜空に黒い辻雲が現れて消えた。代わりに人が現れた。

「あけてくれ」

「は」門兵が頭を下げて、開門と叫んだ。

 ゴーという音がして門がゆっくりと開いていく。

 彼は王らしく悠々と真ん中を歩いて、目の前の馬車に乗り込んだ。

「お帰りなさいませ」中の御車が挨拶をした。

「ああ、ただいま」

「どうでしたか?」

「よかった。君は気にすることはない。出してくれ」

「はい。皆様お待ちですよ」

「了解」

 馬車は、閑散とした通りをゆっくりと発進する。

 彼は外回りから帰ってきた後に乗るこの馬車が通る夜の道なりが好きだ。誰もいない夜道を馬車が歩んでいく。ゴトゴトという音が何ともいじらしい。人がすくないというのは大変良いことだ。

 馬車は静かに停車した。

 彼の宮殿が目の前にひっそりと立ちすくむ。そっと花の香りがする。毎日、王の宮殿を訪れる女性たちの香を彼は楽しんでいた。

「殿下!」

 甲高い声がする。正面の扉を開け、真っすぐ須々田先にある談話室には二人の女性が舞っていた。彼女たちは、誰かの帰りを待ちわびていた。それが治樹だった。

「やあ、まだ寝てなかったの?」

「ええ、それより私のかんざしを見てください!」

 黄色い少々華やぎのある衣装に身を包んだ女が、高い声を出した。

「ははあ、前の紫のやつから変えたね」

「まあ殿下ったら、よくお気づきで!」

女はうっとりした表情を浮かべて、頬に手をやり嬉しそうに顔をそむける。

「私の、このブローチ」

 少しばかり体系の良い赤い服を着た女が今度はまくしたてるように自分の装飾品をアピールした。

「はあそんなゲテモノ。お見せになさらないでよ」

「何ですって!」

「あなたのそのへんてこなかんざしより、いくら私の持ち物のほうがいいか」

「なにをおっしゃるのかしら? そんな質屋で売っているような代物より私の者のほうが断然素敵だわ!」

 2人の口撃を、そっと治樹は止める。

「まあまあ。今日のところはそのぐらいにして」

「はい、見苦しいところをお見せしまいました」

 彼女たちは互いをちらりとにらみつけながら、上辺で反省したそぶりを彼に見せていた。

 背後でゴトリという音がして、談話室に誰かが入ってきた。

「殿下……」

 背後でおしとやかな声がしたが、彼の気をひくのはそれで十分だった。

「よく来てくれた」

 治樹の心は、もう目の前ではしゃいでいる3人組になかった。

「すまないが、外してくれないか?」

 彼女たちは、苦笑いを浮かべながら、しずしずとその場を後にした。

 2人きりの世界だ。桃の香りがつんと漂う。

「ここはいつも色々な香りが漂っていますこと」

 彼女はそう言ってクスッと笑った。まるでその状況を楽しんでいるかのようだ。

「今の子たちは、なんだか鼻の付く香を身にまとうね」

「そういう趣向殿下もお好きでしょう」

「いや」

「あらそうかしら?」

 2人は談話室を後にし、部屋に向かう。彼らだけの、特別の部屋。

 彩。西王が彼の妻であったが、彼女は壱の国の王であり、住む場所も離れ関係はすっかりと冷めていた。そんな彼の実質的な妻が彩だった。

 治樹は何の迷いもなく彩の膝元に頭を持たれかけた。このひと時が彼にとって最高の瞬間だった。王としての仮面を取り外すことができる唯一の部屋であり、機会を与えてくるのが彼女だった。

「どうでしたか?」

「なかなか大変だねえ。私は大変な存在を正妻にしてしまったものだ」

「それはご自身の判断ですから、仕方ありませんわ」

「ふ、自業自得とはこのことだ」彼はシニカルに笑い、欠伸をかいた。

「それで? 首尾は?」

「この国は守りを固めつつ、烈王をけん制する」

「いいご判断ですこと」

「いくら小国とはいえ、無視はできないだろう。彼らは全勢力を南西に傾けない。これが西王様のご提案さ」

「よきお考えかと」

「また寝てしまわれるのね」

「最近は、とても眠たくてね」

「そう」

「すまない。彩」

「おやすみなさいませ」彩は膝元で幸せそうな顔を浮かべる治樹の顔を、そっと撫でた。まるで自分の子どもを寝かしつけているようだ。

 完全に寝入った彼の唇に彩はそっと口づけをした。これは自分だけが許された行いなのだ。無防備な王を寝かしつけるという役目は、彩だけのものだ。正妻である西王を除けば、王の第一の妾として、存在しているのは紛れもなく
彩だ。

 その事実に、公共の場では寸分もにじませることのない勝利の微笑みを彼女は秘かに浮かべていた。

 この国ほどのんきで戦いとは無縁な国はほかにない。六の国に住む者たちの頭にあったのは、誰もが一度は食べたいと思うものについて考えることだけだ。

 ここにいれば、食べたいものはそろっているし、彼らの欲求を満たしてくれるだけの資産は、そこを尽きることがない。

 食を求めて蓬莱に三千里ということわざができるほどだ。蓬莱というのが六の国の通称だった。

 ただ、今回ばかりは違う。

 国の王が、王の会議から帰ってから事態は変わる。多くの者は王の帰還で、吉報がもたらされるものと信じていた。同盟国の壱の国から、資金の援助を受けられたとか。だが王の顔色を見て、みんなそんな感情は捨て去ることになる。

「食事の時間は――終わりだ」

 丸雄は、急いで帰ってきたため息が上がっていたので、ゆっくりと話し始める。

「補給を用意しろ」彼は近くにいた側近にそう命じた。

「戦でございますか?」

「ああ。我が国は、壱の国を支援する。その先発隊五千に対し、まず補給を用意する」

「して、当方はいかほど軍を派遣するのでしょうか?」

「兵は出さぬ。本国は国の守りを固める。各々の国を守りつつ、補給など支援はしてくれという話だ」

「かしこまりましてございます」

「壱の国の先発隊は、もうすでに支度は整っていると聞いている。急ぎ食糧を確保しろ」

「は」

 丸雄は、長年の鎖国政策で、忘れ去っていた戦いへの緊迫感や、機敏な動きが自然と出てきてくれたことに安どしていた。

 一度身に着いた行動は忘れないものだ。

「これより我が国は戦時中となり、多く行動、発言が制限される。追って法が発令されるが、違反した者は厳罰に処す。まず豪華絢爛な食事は慎むように」

 皆の顔が変わっている。ある程度は、国の王が呼ばれたということは、愉快なことが起きるとは限らないと知っていたはずだ。王として吉報をもたらせない事は力不足としか言いようがない。

 それでも側近はきびきびと動き始める。王命は、絶対だ。王の一言で、国体が変わることもありうる。発言の重さを身に染みて感じつつも、彼は目の前の現実から逃避したがっていた。あんまりあわただしく動くのは好きではない。これから忙しくなるし、敵も押し寄せてくるはずだろう。その時、落ち着いて雰囲気の中で食事が取れないが何よりも一番つらいことだ。

 だが信じてついてきた配下の者のために、火の敵と戦うしかないのだ。


 

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