34 / 51
年老いた狼Ⅳ 真実の追及
5
しおりを挟む
土曜日。
上野の都立谷中霊園。無数の墓地が存在する日本最大の霊園である。風が冷たくただ立っているだけでも寒さを感じる。板倉は広大な霊園を歩く途中で秋山と話していた。
「墓参りか。ちょうどよかった。姉の墓参り行く予定だったので」
「そうだったのか。こんなところでお前と気が合っても仕方ないのに」
「いいじゃないですか。秋山さんの墓参りなんてどうして?」
「あいつはいい奴だった。俺みたいな異邦人を受け入れるだけの度量がアキにはあった」
「異邦人って何ですか?」
こいつはカミュを読んだことがないのか。小説に興味がなければ知らないだろう。
「アルベールカミュだ。今度調べて読んでみろ」
「とむさんが言うなら」
「勝手にしやがれ」
「じゃあ聞かせてくださいよ。秋山さんの話」
「ちょうどこの時期だ。あいつが殉職したのは」
板倉は立てこもり事件の犯人ともみ合いになり死んだ。最後のセリフも秋山に教えた。
「俺たちは立て籠もり犯と交渉していたのさ。犯人は借金まみれでよ、もうどうしようもなって、大して金もない老
夫婦の家に押し込んだわけだ」
永遠とやり取りをして数時間。もはや突入しかないという時だ。
秋山は持ち前の起点と無鉄砲さを発揮した。
秋山の作戦はシンプルだ。缶を窓ガラスに投げて注意を引き、秋山は窓から入り犯人を押さえる。板倉は玄関から
突入して人質の安全を確保する。
「行きますよ。板倉さんは玄関口で犯人の話を聞いてあげてください」
「俺は反対だ。俺もおっさんのお守りはごめんだぜ。リスクがありすぎる。相手は刃物を持っているから、もうSI
Tに任せておけばいい」
「僕らのヤマでしょ。なら一人で行きます」
秋山は手に持っていた缶を立て籠もり犯がいるアパートのベランダに向けて投げた。窓ガラスがガシャーンと音が
鳴り響いた。
立て籠もり犯が気になってベランダに向かう素振りを示す。大家から預かった合鍵で閉め切られた扉を開いた。
目の入った光景は最悪だった。ダイニングに二人の男が揉み合っている。床に倒れ込んでいる恰幅いい男は秋山だ
った。
「缶がもう一つか。元ピッチャーらしいセリフだなあ。なんか最後にかっこいい言葉を言ってみたいですね」
「あほか、お前くれぐれも突っ走って死ぬなよ」
浮ついた言葉を言うのでつい真顔になった。
「いや、本気にしないでください」
「刑事はいつだって本気だ。気を抜くな。周りのやつが油断しているときほど警戒しろ。人様の安全を守る立場な
ら、気をしっかり持て」
「すみません……」
「あと一人で動くな。何かあれば相談しろ。相手は何をするかわからねえやつかもしれない。それだけは守ってく
れ。頼む」
「わかりました」
「あのとき死ぬのは俺だったかもしれない。他の周りにいる奴だったかもしれない……」
板倉は言葉に詰まる。今更死んだ人間をどうのこうのと言っても取り返しは付かない。死は不可逆的なもの。だか
らこそ板倉は死を恐れたし、どんな理由があれ行使したものを許せない。
「着いたぞ、ここだ」
板倉は懐かしそうに墓を見つめていた。秋山家の墓と書かれた墓石は古くなり、ところどころ傷んでいた。隣に生
えた雑木が原因だろう。早く切らないと面倒なことになる。
「あいつピッチャーだった。逃げる犯人に缶を投げて捕まえたことがあるそうだ。頭もいいのさ、」
「優秀な人ですね」
「ああ、どこかの死体見てゲロ吐く奴と違って」
「もう大丈夫です。慣れたので」
「ばか野郎。それだけで刑事は務まるかよ」
「もう独り立ちは出来ているでしょ」
「全く、お前の思考にはあきれて何も言えんよ」
こいつのお調子癖は死ぬまで治らんだ。
「次はお前の話をしろよ。お袋さんの話だ」
「自分は生まれつき体が弱くて、いつも病院通いで、そんな時に、姉が飴をくれました。どこでもらったものなのか
しれませんが、いつも飴をくれて」
秋山が今度言葉に詰まる番だった。グスンと鼻をすする。
「死んだのは事故です。飴は隣町の駄菓子屋でしか売っていない限定品でした。飴が切らしていてもらいに行った帰
りです」
刑事になる理由はそれぞれだ。秋山の心を理解できた。
「ふうん。いい話じゃないか。お前には心の支えがある。そいつを大事にしろよ」
「とむさんにだって、心の支えはあるのでは?」
「俺はいい。あと二ヶ月程度の役割を終えた老兵だよ。お前は自分の職務を全うしろ。まずはお前の心の支えを大事
にしろ。それがあれば乗り切れる」
刑事には事件という死神がずっと付きまとう。連日のように死神は影のように刑事の後を追いまわし、あちら側に
連れて行こうとする。事実、秋山は連れて行かれてしまった。
死神を振り払うには確かな自信が必要なのだ。誰よりもタフでないといけない。秋山に辛らつに当たってきたのは古い考えだが、タフさが必要だからだ。
自分からもう言うことはない。おのれの過去をしっかりと記憶し、思い出にしている者は誰よりも強い。
目の前の職務を果たすことこそが死者への餞となる。人が死ぬときはいつか。命を失った時ではない。人から感謝されなくなった時だ。
上野の都立谷中霊園。無数の墓地が存在する日本最大の霊園である。風が冷たくただ立っているだけでも寒さを感じる。板倉は広大な霊園を歩く途中で秋山と話していた。
「墓参りか。ちょうどよかった。姉の墓参り行く予定だったので」
「そうだったのか。こんなところでお前と気が合っても仕方ないのに」
「いいじゃないですか。秋山さんの墓参りなんてどうして?」
「あいつはいい奴だった。俺みたいな異邦人を受け入れるだけの度量がアキにはあった」
「異邦人って何ですか?」
こいつはカミュを読んだことがないのか。小説に興味がなければ知らないだろう。
「アルベールカミュだ。今度調べて読んでみろ」
「とむさんが言うなら」
「勝手にしやがれ」
「じゃあ聞かせてくださいよ。秋山さんの話」
「ちょうどこの時期だ。あいつが殉職したのは」
板倉は立てこもり事件の犯人ともみ合いになり死んだ。最後のセリフも秋山に教えた。
「俺たちは立て籠もり犯と交渉していたのさ。犯人は借金まみれでよ、もうどうしようもなって、大して金もない老
夫婦の家に押し込んだわけだ」
永遠とやり取りをして数時間。もはや突入しかないという時だ。
秋山は持ち前の起点と無鉄砲さを発揮した。
秋山の作戦はシンプルだ。缶を窓ガラスに投げて注意を引き、秋山は窓から入り犯人を押さえる。板倉は玄関から
突入して人質の安全を確保する。
「行きますよ。板倉さんは玄関口で犯人の話を聞いてあげてください」
「俺は反対だ。俺もおっさんのお守りはごめんだぜ。リスクがありすぎる。相手は刃物を持っているから、もうSI
Tに任せておけばいい」
「僕らのヤマでしょ。なら一人で行きます」
秋山は手に持っていた缶を立て籠もり犯がいるアパートのベランダに向けて投げた。窓ガラスがガシャーンと音が
鳴り響いた。
立て籠もり犯が気になってベランダに向かう素振りを示す。大家から預かった合鍵で閉め切られた扉を開いた。
目の入った光景は最悪だった。ダイニングに二人の男が揉み合っている。床に倒れ込んでいる恰幅いい男は秋山だ
った。
「缶がもう一つか。元ピッチャーらしいセリフだなあ。なんか最後にかっこいい言葉を言ってみたいですね」
「あほか、お前くれぐれも突っ走って死ぬなよ」
浮ついた言葉を言うのでつい真顔になった。
「いや、本気にしないでください」
「刑事はいつだって本気だ。気を抜くな。周りのやつが油断しているときほど警戒しろ。人様の安全を守る立場な
ら、気をしっかり持て」
「すみません……」
「あと一人で動くな。何かあれば相談しろ。相手は何をするかわからねえやつかもしれない。それだけは守ってく
れ。頼む」
「わかりました」
「あのとき死ぬのは俺だったかもしれない。他の周りにいる奴だったかもしれない……」
板倉は言葉に詰まる。今更死んだ人間をどうのこうのと言っても取り返しは付かない。死は不可逆的なもの。だか
らこそ板倉は死を恐れたし、どんな理由があれ行使したものを許せない。
「着いたぞ、ここだ」
板倉は懐かしそうに墓を見つめていた。秋山家の墓と書かれた墓石は古くなり、ところどころ傷んでいた。隣に生
えた雑木が原因だろう。早く切らないと面倒なことになる。
「あいつピッチャーだった。逃げる犯人に缶を投げて捕まえたことがあるそうだ。頭もいいのさ、」
「優秀な人ですね」
「ああ、どこかの死体見てゲロ吐く奴と違って」
「もう大丈夫です。慣れたので」
「ばか野郎。それだけで刑事は務まるかよ」
「もう独り立ちは出来ているでしょ」
「全く、お前の思考にはあきれて何も言えんよ」
こいつのお調子癖は死ぬまで治らんだ。
「次はお前の話をしろよ。お袋さんの話だ」
「自分は生まれつき体が弱くて、いつも病院通いで、そんな時に、姉が飴をくれました。どこでもらったものなのか
しれませんが、いつも飴をくれて」
秋山が今度言葉に詰まる番だった。グスンと鼻をすする。
「死んだのは事故です。飴は隣町の駄菓子屋でしか売っていない限定品でした。飴が切らしていてもらいに行った帰
りです」
刑事になる理由はそれぞれだ。秋山の心を理解できた。
「ふうん。いい話じゃないか。お前には心の支えがある。そいつを大事にしろよ」
「とむさんにだって、心の支えはあるのでは?」
「俺はいい。あと二ヶ月程度の役割を終えた老兵だよ。お前は自分の職務を全うしろ。まずはお前の心の支えを大事
にしろ。それがあれば乗り切れる」
刑事には事件という死神がずっと付きまとう。連日のように死神は影のように刑事の後を追いまわし、あちら側に
連れて行こうとする。事実、秋山は連れて行かれてしまった。
死神を振り払うには確かな自信が必要なのだ。誰よりもタフでないといけない。秋山に辛らつに当たってきたのは古い考えだが、タフさが必要だからだ。
自分からもう言うことはない。おのれの過去をしっかりと記憶し、思い出にしている者は誰よりも強い。
目の前の職務を果たすことこそが死者への餞となる。人が死ぬときはいつか。命を失った時ではない。人から感謝されなくなった時だ。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
月の綺麗な夜に終わりゆく君と
石原唯人
恋愛
ある日、十七才の春に僕は病院で色のない少女と出会う。
それは、この場所で出会わなければ一生関わる事のなかった色のない彼女とモノクロな僕の
秘密の交流。
彼女との交流によって諦観でモノクロだった僕の世界は少しずつ色づき始める。
十七歳、大人でも子どもでもないトクベツな時間。
日常の無い二人は限られて時間の中で諦めていた当たり前の青春へと手を伸ばす。
不器用な僕らの織り成す物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる