ゆめうつつ

平野耕一郎

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第一章 焼落

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 斎場には夏なのに黒い服に身を包んだ大人たちが集まっていた。誰もが沈鬱な表情で下を向いている姿を見て、死とは私の身の回りに訪れる特別なものではないことを知る。

 本当に暑そう。通夜の日に私は家族と再会した。

 白い布が被さっている三つの遺体は損傷が激しく、白い布が巻かれていた。

 棺の蓋には窓が付いていて、本来なら顔が見えるはずだ。

 なんだ、これは? 

 私は憤りを覚えた。顔が見えなくてノッペラボウじゃないか?

 止められかけたが、白い布を外してやる。私の目に入り込んだのは黒い焦げだった。三人ともだ。父、母、五月ではない謎の黒い塊が安置されていたのだ。遺体を見るより物体を見ている気分だ。

 釈然としない。本来起こるべき感情が湧いてこなかった。

 妹と登山をして危うく遭難しかけた記憶や、父が私のために作ってくれた泥だんごの思い出などいっぱいあるの、何も感情がない。

 淡い思い出が走馬灯になって駆け抜けていく、はずだった……

 私の脳はショックで壊れてしまった。

 黒焦げの死体を見て、たちまちのうちに気持ち悪くなった。

「ゲホッ……カッ」

 私はトイレでゲーゲーと先ほど食べていた通夜振る舞いを吐いていた。明日は葬式だ。日本は火葬だ。家族はまた燃やされる。

 今度は焦げすら残らない跡形もなく燃やされる。目を閉じると、夜空に高く駆け抜ける紅蓮の炎が表れる。

 体が熱い……

 全身が焼け焦がれる……

 一睡もできなかった。葬式の日になった。喪主は伯父が代わりに引き受けていた。私はただの飾りだった。親戚や
会社の関係者がそろう中で、大人たちは慇懃な態度で弔意を示していたが、誰一人として知らない

 死者と最後の時間を過ごすのが通夜だ。生前過ごした思い出に耽る夜なのに、何もいいことを思い出せない。

 ただ頭に蘇ってくるのは、焼け落ちた家と焦げなのか錆なのか分からない家族らしき死体の黒い記憶だけだ。後になって見なければよかったと後悔の念がよぎる。

 私はどうしようもないほど過去のトラウマを引きずる残念な男になった。一度穴にはまると抜け出せない。テストでも解けない問題に直面すると次に進めない人間といえばわかるだろうか。過去のトラウマである家の火事が私の解けない問題として苦しめ続けた。

 父の親戚である西本夫婦に正式に引き取られ白馬村を出た。

 世田谷区にある家で暮らす。もはや白馬村ではすっかり有名人となり、居づらくなっていたから助かった。

 私は夜になると火事で自宅が焼け落ちる夢を見てしまい、眠りから覚める。発汗、うめき声にさすがに西本夫婦から心配され、心療内科に行った。

「外傷性によるストレス障害でしょう」

 医者は聞きなれない病名を私たちに言う。火事で家族を失った衝撃がトラウマとなっている。そういう例はよくある。

「眠気を促進する薬を処方しましょう。まずはそれで様子を見ましょうか」

 四十代過ぎの縁なし眼鏡の温和そうな丸顔の医師の微笑みに私は力なくうなずいた。とにかく私は安らぎがほしかった。

 それが地獄の労苦になるとも知らず……

 心療内科から睡眠導入剤のハルシオンを処方してもらった。これで私は快適な睡眠を手に入れる。火事の記憶を無
意識のうちに沈めて、症状は落ち着かせる。最初は幸せだった。

 ただ何か薬にはすべて副作用がある。日に日に眠気が残る持ち越し効果、健忘、ふらつきが私の心身を蝕んだ。おそらく処方量が足りないのだろう。私は一日一錠を増やしてみた。

 ぐっすりと深い眠りが訪れる。

「気分はどうだ?」

「落ち着きました」

「色々あるが、今の状態でいいなら薬を飲みなさい」

 伯父たちは多様な接種を止めなかった。夜な夜な喚声を上げて自分たちの安眠を妨げられていたわけだ。薬でも何でも飲んで静かにしてくれたほうがいいわけだ。

 安どの表情をしている伯父の顔を忘れない。大人の偽善めいた顔だ。成人したら、私は出て行くと決めた。果たすべき使命に、この家の住人は相応しくない。

 経験則から言うが、精神的な病気は体に傷が残る病気と違い、意思の強弱で改善するかしないか決まるといえる。私は果てしなく意思が弱い人間だ。

 大自然に包まれた世界から、私は無機質な人の温もりなどない世界に放り込まれた。かくして喪失の日々が始まった。

 葬儀の日から半年が経過して、炎暑は去り、秋風が吹く。気持ちが少しでも落ち着くと思ったのは間違いだった。

 記録二
 日付:二〇〇三年八月二十日
 時刻:午前十時
 場所:東京都荒川区町屋一‐二十三‐四 町屋斎場
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