花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo

文字の大きさ
5 / 25

第五話 庭の椿、紅し

しおりを挟む
 春の兆しと共に、庭の椿が静かに咲いていた。
 紅の色は、咲きたてよりも、散り際にこそ深まるという。
 まるで、この屋敷に今、忍び寄るものの正体を映すかのように。

 澪は朝の支度を終えたあと、縁側に座り込んで庭を見つめていた。
 視線の先には、宗真が好んでいた椿の並木。その奥、屋敷の北側に回り込んだ場所にある“ひとつの古木”が、澪の記憶に残っていた。

 (いくたびか椿の庭に立つ。声はせずとも、風が答えを運ぶ――)

 宗真が遺したあの言葉が、再び胸によぎる。

 「おふさ」

 「はい、御寮人様」

 「北庭の手入れ、久しくされておりませんね」

 「……は。あの辺りは、宗真様がお好みでございましたので……御触れがありました。“あそこには手を入れるな”と」

 (宗真様が、手を入れるなと……?)

 庭に足を踏み入れる。
 手入れの行き届いた南庭から離れるにつれ、苔は深く、飛び石には湿り気が残り、草もわずかに茂っている。

 屋敷の北庭は、日当たりが悪く、木々の影が長い。
 だが、その一角にだけ光が射していた。一本の大椿が、石灯籠を包むように枝を広げ、その根元には赤い花びらが絨毯のように落ちていた。

 (……ここだ)

 澪は石灯籠に近づいた。灯籠の火袋の内側――
 何かが、貼られている。

 小さな和紙の束。それは、湿気でふやけていたが、紛れもなく宗真の筆跡だった。

 > 「廻状(かいじょう)三通、問屋筋に落つ。
 >  一通目、出入り帳。二通目、役金の行方。
 >  三通目、上様御覧に入るべし」

 帳面。問屋。役金。そして、「上様御覧」――将軍に直結する言葉。

 澪は思わず、和紙を袖に押し込んだ。
 だがその時、背後で小さな音がした。

 ――石が、ひとつ、転がる音。

 「……誰?」

 澪は振り向いた。だが、そこには誰もいない。
 椿の葉が風にそよぎ、鳥の影が枝を駆けるだけ。

 (見られている……?)

 屋敷の中では、どんな視線も“無言”である。
 けれど女たちは、音と気配で互いを知っている。

 

◇ ◇ ◇

 その夜、澪は再び文机に向かった。宗真の帳面、そして今日見つけた和紙。どちらも「金の流れ」を示していた。

 宗真は、幕府内の不正を追っていた。
 問屋筋――江戸の町に生きる者なら、誰もが知っている“幕府御用達”の流通元。
 そこから流れる金が、どこかに吸い込まれていたのだ。

 それを追い、記録し、告発しようとしていた。
 その「三通目」が、“将軍”に届いていたとすれば――それこそが、宗真が姿を消した理由ではないのか。

 「……宗真様」

 澪は唇をかみしめた。
 夫婦として過ごした八年。心を通わせるには、あまりに短かった。
 けれど、その背中に宿る誠実さは、澪の心に残っていた。

 (もし宗真様が、“誰か”のために姿を消したのなら、私は)

 私は、夫の名を守る。

 女として、御寮人として、ただ家の奥に閉じ込められるのではなく。
 私自身の足で、目で、真実に近づく。

 夜半、縁側に出ると、空に霞がかかっていた。
 庭の椿は、月に照らされ、まるで血を流すように輝いていた。

 風が吹いた。
 紅い花びらが、一枚、また一枚と、落ちていく。

 宗真の残した道筋が、澪の中に一本の線を描き始めていた。
 次に向かうべき場所は――宗真が口にした「町方」との接点。
 おそらく、あの男の元へ行くしかない。

 町方与力、坂東伊織――。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

令嬢失格な私なので

あんど もあ
ファンタジー
貴族の令息令嬢が学ぶ王都学園。 そこのカースト最下位と思われている寮生の中でも、最も令嬢らしからぬディアナ。 しかしその正体は……。

七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす

蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。 追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。 しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。 港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。 イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。 犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。 被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。 追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。 この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。 ・世界観・設定の管理補助 ・プロット段階の壁打ち ・作者による執筆後の校正

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

処理中です...