花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo

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第四話 白い障子に染みる声

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 障子の紙は白い。
 けれど、そこに映る影は、決して無色ではない。

 光の加減、影の角度――人の気配は、そこに色を落とす。
 そして女たちは、その「影の濃さ」で家の力の流れを見ていた。

 

◇ ◇ ◇

 茶会から戻った日の夕刻、澪は久々に手ずから火鉢の炭を組んだ。
 奥向きの小座敷。宗真が好んだ「縁側から竹垣を望める間」である。

 襖の向こうで、すずとおふさの声がしていた。

 「……あの方は、変わられましたわ。お嫁入りのころは、もっと……」

 「口を慎め。聞こえれば“耳”がつくぞ」

 「でも、おふさ様。志乃様に睨まれては、御寮人様とて……」

 「それでも、あの方は“家の顔”じゃ。口にするな」

 澪は、静かに襖に手を伸ばすこともなく、ただ耳を澄ました。
 この屋敷に仕えて五年。女中たちは、見られぬところでは率直な口を利く。それが悪いとは思わない。むしろ――それでこそ、奥向きは成り立つ。

 (志乃様に、睨まれている……)

 その言葉が胸に小さく残った。

 澪の座敷の隣にあるのは、宗真が使っていた書見の間である。
 今は空き部屋となっていたが、今朝から誰かが出入りしている気配があった。

 午後、庭の手入れをしていた下男が、ふと漏らした。

 「……今朝、書見の間に、新しい帳面が運ばれてたようで」

 「誰が?」

 「知らぬ顔でした。町人風の者が……」

 なぜ、宗真の部屋に“帳面”が? なぜそれを町人が?
 夫の不在中、部屋に何かが隠され、そして誰かが動かしている。

 ――何かが始まっている。

 

◇ ◇ ◇

 その夜、澪は寝所に火を灯さず、白布の裾を踏まぬよう、足音もなく廊下に出た。

 障子を滑らせ、宗真の書見の間へ向かう。
 家の者には「明日の針の用意を取りに参った」と告げておいた。誰も深く詮索しない。奥向きとは、そういう場所である。

 書見の間は、香の匂いがほのかに残っていた。
 宗真が好んだ伽羅(きゃら)の香ではなく、もう少し庶民的な白檀。これは、宗真の匂いではない――“誰か”がここを使っていた証だ。

 床の間の脇にある文机の引き出しを、澪はそっと開けた。
 そこに、宗真の筆跡が残された和歌の帳面があった。いつも机の奥に仕舞われていたものだ。

 最後の頁に、墨のかすれた一行。

 > 「義は人を救わずとも、人を護る」

 それを読んだ瞬間、澪の背に微かな震えが走った。
 宗真が遺した言葉。それは、誰かに読ませるものではなかった。むしろ、見つけられることを前提に書かれた“記録”だった。

 部屋を出ようとしたとき、廊下の奥から、微かに声が聞こえた。

 「……奥向きであれど、そろそろ“お取り潰し”が話に上がっておりまして……」

 「宗真様が“裏金”を動かしていたと……本当かいな?」

 「信じたくはないが、上の方から、“証”があるとか……」

 廊下の向こう、障子の影がわずかに動いた。
 それは女中ではない。家老の一人、**大石勘解由(おおいしかげゆ)**の影。低い声で誰かと密談している。

 澪は息を潜め、柱の陰でじっとその声を聞いた。

 「御寮人様にも、手を打たねば……“離縁”が妥当かと……」

 (……離縁?)

 その言葉が、血のように耳に染み込む。

 障子の紙は白い。
 けれど、そこにはもう、血のような赤が染み出していた。

 

◇ ◇ ◇

 夜更けに座敷へ戻った澪の指は、かすかに震えていた。
 けれど、その目は曇っていなかった。

 夫が消えた理由。
 それを囲う家中の「口の数」と「隠された証」。
 そしていま、自分の身にも――刃が向けられている。

 宗真は、何かを暴こうとしていた。
 そして今、その矛先は「澪」へと向かい始めている。

 この屋敷は、音を立てずに崩れていく。

 けれど澪は、静かにその崩れを見ていた。

 見えない戦場で、言葉の剣が交錯する。

 女たちは微笑む。だがその奥にある「棘」は、決して見えぬように――。
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