花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo

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第三話 微笑の奥の棘

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 その日の空は、青白い絹のように張りつめていた。
 陽光はあるが暖かさには乏しく、春というにはまだ肌寒い。だが、奥方たちの集う茶会は、暦通りに巡ってくる。表の気候などに左右されない、それが「江戸の女たち」の規律だった。

 場所は、白金にある篠原家の別邸――政事の要に近い家柄で、格式は結城家より一段上。主催は、篠原家の長女にして、かつて宗真の婚約者であった篠原 志乃。今では、江戸の奥向きでは“微笑みの貴婦人”と呼ばれている。

 「御寮人様、お羽織を……」

 すずが薄紫の羽織を澪の肩にかける。庭では梅が咲きはじめていたが、その香りすらも、今日ばかりは澪の心に届かない。

 「そのようなお顔をなさらずとも。茶の湯など、所詮は見せかけのものでございます」

 おふさの声には、皮肉と慰めが等しく混じっていた。

 「……いえ、今日は少し、言葉のやりとりを“見て”みたくて」

 澪は軽く微笑んだ。それは、仮面のように静かな表情だった。

 

◇ ◇ ◇

 篠原邸は、白木と朱の美しい造りで、主屋から庭を見渡す中庭式。
 その中心に設けられた草庵風の茶室が、今日の会場だった。

 「まあ、結城家の御寮人様。ようこそお運びくださいました」

 出迎えたのは、志乃本人だった。紺の地に金糸の桜が織られた小袖、完璧に結われた髷、まっすぐに伸びた姿勢。澪と同じ、年若くして「家の顔」となった女。だが、澪とはまるで色が違う。

 「こちらこそ、素晴らしいお庭でございます。椿が美しく――まるで、血のように」

 澪のその一言に、志乃の眉がわずかに動いた。

 「ええ……紅椿は、人の心に残りますもの。落ちるときほど、美しい花はございません」

 二人の視線が交錯する。女たちの「言葉の剣」が、無言のうちに抜かれた。

 茶室の中には、七人ほどの奥方たちが集っていた。いずれも旗本や御家人の夫人たち。だが、その中でも明らかに澪だけが「招かれた外様」であることは、誰の目にも明らかだった。

 志乃は気さくに振る舞いながら、わざと澪を隅の席に案内した。
 お点前が始まる。香が焚かれ、音を立てて湯が沸く音が響く。茶筅の音、畳を擦る袖の音、そして笑い声。

 「結城家の御寮人様は、お歌がお得意だとか――」

 志乃がふと問いかける。

 「いえ、ただ父の教えで、ほんのわずか……」

 「まあ、わずかと仰っても、あの宗真様が“才女”と噂された方ですもの。あのようなご立派なお方が、いま……」

 その声の末尾が、わざと曖昧に濁される。

 澪はその意図を理解した。宗真の失踪を、婉曲に“知らぬふり”で口に出すことで、澪の反応を見る――志乃の術だ。

 「……ええ、宗真様はご多忙で、近頃は家にもお顔を見せず」

 澪もまた、微笑みながら返す。その言葉には、感情を乗せず、真実を隠す。

 志乃は静かに頷き、視線を下に落とした。だがその頬に浮かんだわずかな笑みが、氷のように冷たかった。

 (……やはり、この女は知っている)

 宗真の行方、あるいはその「理由」に関わる何かを。

 

◇ ◇ ◇

 茶会の後、庭に出る。志乃が「お送りいたします」と自ら袖を取った。

 二人きりの並び歩き。

 「ご主人様が……ご無事であられますように。御寮人様の“忍ぶ姿”には、胸を打たれます」

 「……ご親切、痛み入ります」

 「けれど……御家の中には、“そのような御寮人”を好まぬ方もおいででしょう。時に、強く出ることも必要ですわ」

 志乃の言葉は、静かに、だが確かに「警告」だった。澪の立場が、家中で揺らぎつつあること。女たちの間で、噂が流れていること。

 「私も、一度は結城家に縁を結ぼうとした者として……気にかかりますの」

 「そのようなお言葉、かえって恐れ入ります」

 澪はそこで立ち止まった。

 「……志乃様」

 「はい?」

 「椿が咲きました。血のような赤で」

 「ええ、まことに。……散る日も近いですね」

 そこには、二人の女の心を映すかのように、深紅の椿が静かに風に揺れていた。

 紅の色――それは、美しさと、哀しさと、そして何かの予兆であった。

 澪は屋敷へと戻る道すがら、決意をひとつ胸に刻んだ。
 この家の中で起こっていることを、女の言葉だけではなく、自らの目と耳で見極めると。

 仮面の奥で嗤う女たちの中で、澪もまた、新しい仮面を手に入れようとしていた。
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