13 / 21
第13話
しおりを挟む
俊が、私の知らないところで、私のために戦ってくれていた。
その事実を知ってから、私の彼に対する見方は百八十度変わってしまった。
彼のぶっきらぼうな言葉。
素っ気ない態度。
その一つ一つがただの不器用な優しさの裏返しなのだと、ようやく理解できた。
氷の壁だと思っていたものは、本当は傷つくことを恐れる彼の脆くて繊細な心を守るための、ガラスの壁だったのかもしれない。
「あの、すみませんでした! 勝手なことして……」
翌日、私は企画課の有志による「ゲリラ作戦」のことを正直に俊に打ち明けた。
彼に「非効率だ」と否定された手前、気まずさでいっぱいだった。
「……いや」
しかし、彼から返ってきたのは意外な言葉だった。
「見事だ。俺にはその発想はなかった」
初めて彼から、素直な賞賛の言葉を貰った。
その一言で、私の心はふわりと軽くなるのを感じた。
◆◇◆
その日を境に私たちの間の空気は明らかに変わった。
企画課の「非公式広報チーム」の活動も正式に認められ、私たちのゲリラ作戦はさらに勢いを増していく。
SNS上では「#みなと再発見」のハッシュタグが飛び交い、ローカル情報サイトに掲載された記事は驚くほどのアクセス数を記録した。
商店街の店主たちも、「最近、若いお客さんが増えたよ」と、嬉しそうに報告してくれるようになった。
プロジェクトの準備は佳境に入り、私と俊は連日夜遅くまで二人で残業する日々が続いた。
けれど、以前のような息の詰まる気まずさはもうどこにもなかった。
同じ目標に向かう「同志」としての、心地よい緊張感と確かな連帯感が私たちを包んでいた。
「……終わった!」
イベント開催を二日後に控えた夜。
最後の準備を終え私が大きく伸びをすると、隣で俊も「ふう」と深い息を吐いた。
「……少し、飲んでいくか」
彼からそう誘われたのは、本当に自然な流れだった。
◆◇◆
連れて行かれたのは、商店街の路地裏にひっそりと佇む小さな居酒屋だった。
カウンター席だけのこぢんまりとした店。
私たちは、その隅の席に並んで腰を下ろした。
最初はやはり、少しだけぎこちなかった。
お互い、何を話していいのか分からないまま、ただ目の前のビールグラスを傾ける。
「……大学、東京だったんだな」
沈黙を破ったのは俊だった。
「ああ。……結局、お前を追いかけるみたいになったけどな」
自嘲するように、彼は笑った。
「え……」
「別に深い意味はない。ただ、東京に行けば何か変わるかと思っただけだ」
彼は、ぽつりぽつりと自分のことを話してくれた。
大学時代のこと。
俺たちの街が、他の都市に比べてどんどん寂れていくのが悔しくて市役所に入ったこと。
私が全く知らなかった彼の十四年間。
その一つ一つが、私の心にゆっくりと染み込んでいく。
私もお酒の力を少しだけ借りて、東京での仕事の話をした。
華やかに見えた広告業界の裏側。
厳しいノルマとプレッシャー。
そして、いつしか自分がすり減っていくのを感じていたこと。
挫折したみじめな過去。
けれど、不思議と彼の前では素直に話すことができた。
「……そうだったんだ」
私の話を、彼はただ静かに最後まで聞いてくれた。
そして、ぽつりとそう相槌を打った。
その声があまりに優しくて、温かくて。
私は、不意に涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。
会話が途切れる。
店のテレビから流れる野球中継の音だけが、やけに大きく聞こえた。
その時だった。
「なあ、黒崎」
彼がじっと私の目を見ていた。
いつもの「おい」でも「黒崎さん」でもない。
ただ「黒崎」と、私の苗字を呼ぶその声。
それは、逃げ道を塞ぐような真剣な響きを持っていた。
「お前はなんで、この街に帰ってきたんだ?」
ずっと聞かれるのが怖かった質問。
ずっと彼にだけは、聞かれたくなかった質問。
私は一瞬言葉に詰まる。
東京から逃げてきた、なんて情けないこと言えるはずがない。
けれど、彼の全てを見透かすような真っ直ぐな瞳を見ているうちに、もう嘘や建前で自分を偽るのはやめよう、と思った。
「……東京で、全部、うまくいかなくなって」
ぽつりと言葉が漏れた。
一度口にしてしまえば、後は堰を切ったように感情が溢れ出してきた。
「仕事も人間関係も何もかも……。毎日、何のために生きてるのか分からなくなって……。気がついたら、心が、壊れちゃってたみたいで……」
みっともない。
そう思うのに、涙が後から後から頬を伝って落ちていく。
彼の前でだけは、絶対に泣きたくなんかなかったのに。
俊は何も言わなかった。
ただ黙って、私が泣きじゃくるのを静かに待っていてくれた。
やがて、涙が少しだけ収まった頃。
彼がそっと清潔なハンカチを差し出した。
そして、本当に本当に優しい声でこう言ったのだ。
「……そうか。大変だったな。でも、」
彼はそこで一度言葉を切ると、私の目をもう一度真っ直ぐに見て続けた。
「おかえり、美鈴」
その、十四年ぶりに呼ばれた、私の名前。
その、あまりに優しい、「おかえり」という一言に、ようやく止まったはずの私の涙腺は、再び、完全に、決壊した。
*****
「おかえり」。
その一言が、十四年という歳月をいとも簡単に溶かしていく。
しかし、動き出した二人の時間はやがて逃れることのできない運命の渦へと、二人を巻き込んでいくことになる。
*****
その事実を知ってから、私の彼に対する見方は百八十度変わってしまった。
彼のぶっきらぼうな言葉。
素っ気ない態度。
その一つ一つがただの不器用な優しさの裏返しなのだと、ようやく理解できた。
氷の壁だと思っていたものは、本当は傷つくことを恐れる彼の脆くて繊細な心を守るための、ガラスの壁だったのかもしれない。
「あの、すみませんでした! 勝手なことして……」
翌日、私は企画課の有志による「ゲリラ作戦」のことを正直に俊に打ち明けた。
彼に「非効率だ」と否定された手前、気まずさでいっぱいだった。
「……いや」
しかし、彼から返ってきたのは意外な言葉だった。
「見事だ。俺にはその発想はなかった」
初めて彼から、素直な賞賛の言葉を貰った。
その一言で、私の心はふわりと軽くなるのを感じた。
◆◇◆
その日を境に私たちの間の空気は明らかに変わった。
企画課の「非公式広報チーム」の活動も正式に認められ、私たちのゲリラ作戦はさらに勢いを増していく。
SNS上では「#みなと再発見」のハッシュタグが飛び交い、ローカル情報サイトに掲載された記事は驚くほどのアクセス数を記録した。
商店街の店主たちも、「最近、若いお客さんが増えたよ」と、嬉しそうに報告してくれるようになった。
プロジェクトの準備は佳境に入り、私と俊は連日夜遅くまで二人で残業する日々が続いた。
けれど、以前のような息の詰まる気まずさはもうどこにもなかった。
同じ目標に向かう「同志」としての、心地よい緊張感と確かな連帯感が私たちを包んでいた。
「……終わった!」
イベント開催を二日後に控えた夜。
最後の準備を終え私が大きく伸びをすると、隣で俊も「ふう」と深い息を吐いた。
「……少し、飲んでいくか」
彼からそう誘われたのは、本当に自然な流れだった。
◆◇◆
連れて行かれたのは、商店街の路地裏にひっそりと佇む小さな居酒屋だった。
カウンター席だけのこぢんまりとした店。
私たちは、その隅の席に並んで腰を下ろした。
最初はやはり、少しだけぎこちなかった。
お互い、何を話していいのか分からないまま、ただ目の前のビールグラスを傾ける。
「……大学、東京だったんだな」
沈黙を破ったのは俊だった。
「ああ。……結局、お前を追いかけるみたいになったけどな」
自嘲するように、彼は笑った。
「え……」
「別に深い意味はない。ただ、東京に行けば何か変わるかと思っただけだ」
彼は、ぽつりぽつりと自分のことを話してくれた。
大学時代のこと。
俺たちの街が、他の都市に比べてどんどん寂れていくのが悔しくて市役所に入ったこと。
私が全く知らなかった彼の十四年間。
その一つ一つが、私の心にゆっくりと染み込んでいく。
私もお酒の力を少しだけ借りて、東京での仕事の話をした。
華やかに見えた広告業界の裏側。
厳しいノルマとプレッシャー。
そして、いつしか自分がすり減っていくのを感じていたこと。
挫折したみじめな過去。
けれど、不思議と彼の前では素直に話すことができた。
「……そうだったんだ」
私の話を、彼はただ静かに最後まで聞いてくれた。
そして、ぽつりとそう相槌を打った。
その声があまりに優しくて、温かくて。
私は、不意に涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。
会話が途切れる。
店のテレビから流れる野球中継の音だけが、やけに大きく聞こえた。
その時だった。
「なあ、黒崎」
彼がじっと私の目を見ていた。
いつもの「おい」でも「黒崎さん」でもない。
ただ「黒崎」と、私の苗字を呼ぶその声。
それは、逃げ道を塞ぐような真剣な響きを持っていた。
「お前はなんで、この街に帰ってきたんだ?」
ずっと聞かれるのが怖かった質問。
ずっと彼にだけは、聞かれたくなかった質問。
私は一瞬言葉に詰まる。
東京から逃げてきた、なんて情けないこと言えるはずがない。
けれど、彼の全てを見透かすような真っ直ぐな瞳を見ているうちに、もう嘘や建前で自分を偽るのはやめよう、と思った。
「……東京で、全部、うまくいかなくなって」
ぽつりと言葉が漏れた。
一度口にしてしまえば、後は堰を切ったように感情が溢れ出してきた。
「仕事も人間関係も何もかも……。毎日、何のために生きてるのか分からなくなって……。気がついたら、心が、壊れちゃってたみたいで……」
みっともない。
そう思うのに、涙が後から後から頬を伝って落ちていく。
彼の前でだけは、絶対に泣きたくなんかなかったのに。
俊は何も言わなかった。
ただ黙って、私が泣きじゃくるのを静かに待っていてくれた。
やがて、涙が少しだけ収まった頃。
彼がそっと清潔なハンカチを差し出した。
そして、本当に本当に優しい声でこう言ったのだ。
「……そうか。大変だったな。でも、」
彼はそこで一度言葉を切ると、私の目をもう一度真っ直ぐに見て続けた。
「おかえり、美鈴」
その、十四年ぶりに呼ばれた、私の名前。
その、あまりに優しい、「おかえり」という一言に、ようやく止まったはずの私の涙腺は、再び、完全に、決壊した。
*****
「おかえり」。
その一言が、十四年という歳月をいとも簡単に溶かしていく。
しかし、動き出した二人の時間はやがて逃れることのできない運命の渦へと、二人を巻き込んでいくことになる。
*****
0
あなたにおすすめの小説
Fly high 〜勘違いから始まる恋〜
吉野 那生
恋愛
平凡なOLとやさぐれ御曹司のオフィスラブ。
ゲレンデで助けてくれた人は取引先の社長 神崎・R・聡一郎だった。
奇跡的に再会を果たした直後、職を失い…彼の秘書となる本城 美月。
なんの資格も取り柄もない美月にとって、そこは居心地の良い場所ではなかったけれど…。
【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~
葉影
恋愛
高校の頃、誰よりも大切だった人。
「さ、最近はあんまり好きじゃないから…!」――あの言葉が、最後になった。
小島久遠は、新たな職場で、元カレとまさかの再会を果たす。
若くしてプロジェクトチームを任される彼は、
かつて自分だけに愛を囁いてくれていたことが信じられないほど、
遠く、眩しい存在になっていた。
優しかったあの声は、もう久遠の名前を呼んでくれない。
もう一度“はじめまして”からやり直せたら――そんなこと、願ってはいけないのに。
それでも——
8年越しのすれ違いは、再会から静かに動き出す。
これは、終わった恋を「もう一度はじめる」までの物語。
元カノと復縁する方法
なとみ
恋愛
「別れよっか」
同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。
会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。
自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。
表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!
涙のあとに咲く約束
小田恒子
恋愛
事務系の仕事に転職したばかりの松下理緒は、総務部の藤堂がシングルファーザーではないかという噂を耳にする。
噂を聞いた後、偶然藤堂と小さな男の子の姿を見かけ、男の子が落とした絵本をきっかけに親しくなる。
家族持ちの藤堂にどうしようもなく惹かれていく。
そんなある日、真一は事故で亡くなった兄夫婦の子で、藤堂が自分の子どもとして育てていると知ったた理緒は……
ベリーズカフェ公開日 2025/08/11
アルファポリス公開日 2025/11/28
表紙はぱくたそ様のフリー素材
ロゴは簡単表紙メーカー様を使用
*作品の無断転載はご遠慮申し上げます。
好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。
石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。
すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。
なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
契約結婚に初夜は必要ですか?
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
勤めていた会社から突然、契約を切られて失業中の私が再会したのは、前の会社の人間、飛田でした。
このままでは預金がつきてアパートを追い出されそうな私と、会社を変わるので寮を出なければならず食事その他家事が困る飛田。
そんな私たちは利害が一致し、恋愛感情などなく結婚したのだけれど。
……なぜか結婚初日に、迫られています。
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる