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第7話『わたしの優先順位』
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「今夜のテーマは、“あなたにとって、一番大切なもの”です」
椎名寿の声が、セミナー会場に穏やかに響いた。
静まり返った室内に、ゆっくりと響くその問いかけ。
「キャリア、恋愛、家族、自分自身……
あなたが本当に大切にしたいものを、今一度、考えてみてください」
目の前のノートに、“一番大切なもの”と書かれた文字がある。
それを見つめながら、私はまだ何も書けずにいた。
(私は……何を、一番にして生きてきたんだろう)
社会に出て十数年。
必死で仕事をしてきた。
誰よりも早く出社し、誰よりも準備を整え、
クライアントには一切のミスを見せないように、完璧であろうとした。
そうやって積み上げた信頼と、いくつかの表彰と、
そして、“美園麗華はしっかりしている”というラベル。
その一方で、恋愛はいつもどこか“後回し”だった。
好きになっても、時間を作れず、甘えられず、
結局、相手に「物足りない」と言われて終わってきた。
(でも、それって本当に……私が望んでいたことだったの?)
ペンを持つ指先に、少しだけ力が入る。
「悩んでます?」
隣に座る瀬戸幸輝が、声をかけてきた。
彼もまだノートに何も書いていないようだった。
「……ええ。たぶん、答えを決めるのが怖いのね」
「怖い?」
「どれかを“選ぶ”ってことは、他を“選ばない”ってことだから」
そう言った私に、彼は少しだけ考えてから、こう答えた。
「でも、誰かと一緒に生きていくって……
そういう“優先順位の変化”も受け入れるってことじゃないですか?」
「あなたは、どうなの?」
「僕は……ずっと、“選ばれる側”でいたいと思ってたんです」
瀬戸くんは、少し遠くを見つめるように言った。
「年下ってだけで、軽く見られたり、“可愛い”って扱われたり。
それが悪いとは思わないけど、本音を言えば、僕は“誰かの一番になりたい”」
「……本音ね」
「だから、もし美園さんが“自分のため”に何かを選ぼうとしているなら、
その中に、僕がいてくれたら……嬉しいなって」
それは、重くもなく、押しつけでもなく、
ただ、静かでまっすぐな“希望”だった。
◆◇◆
セミナー後、私は初めて自分から声をかけた。
「少し、歩きましょうか」
「はい」
外に出ると、秋の夜風が頬を撫でた。
すこし冷たくて、でも心地いい空気。
繁華街から離れた並木道を、ゆっくりと並んで歩く。
「今日、答え……書けなかったの」
「え?」
「“一番大切なもの”。
正直、ずっと“仕事”がそうだと思ってた。
でも最近、わからなくなってきてるの」
「それは……美園さんの中で、変化が起きてるってことじゃないですか?」
私は、少しだけ立ち止まった。
木々の葉がさらさらと音を立て、街灯が彼の顔を柔らかく照らしていた。
「変わるのが、怖いの。
恋をしたら、仕事のペースが乱れるんじゃないかとか。
相手のために何かを犠牲にすることになるんじゃないかとか。
ううん……それ以前に、“相手にとって負担になるんじゃないか”って、考えてしまうの」
「そんなふうに思わせてたなら、僕のせいですね」
「……違う」
「違わないです。
美園さんが“自分より他人を優先する癖”を持ってること、ちゃんと知ってたのに、
僕……無意識に“またそれに甘えてた”のかもしれない」
私は、驚いて彼を見た。
「でも、僕はもう、守られるだけの側じゃいたくないんです。
あなたを守るために並んで歩くんじゃなくて、
“あなたと一緒に、ちゃんと並んでいたい”」
その言葉に、胸の奥がじわりと熱くなった。
「美園さん。
“誰かを好きになる”って、
“自分の優先順位が少しずつ変わっていく”ことだと思うんです。
でもそれは、失うことじゃなくて、
“誰かの隣に、今の自分ごと置く”ってことなんじゃないかなって」
言葉が、すっと胸に入ってきた。
まるで、ずっと自分に言いたかった言葉を、
彼が代わりに口にしてくれたみたいだった。
「……そんなの、ずるい」
「え?」
「優しくて、まっすぐで、
そんなこと言われたら……もう、逃げられないじゃない」
「じゃあ、逃げないでください」
彼の目は笑っていたけれど、
その奥には、たしかな覚悟があった。
月曜の夜が、こんなに特別になるなんて、
数週間前までは、想像もしなかった。
私は今、少しずつ変わっていく自分を、受け入れようとしている。
(わたしの優先順位は、もう、“自分ひとり”では決まらない)
椎名寿の声が、セミナー会場に穏やかに響いた。
静まり返った室内に、ゆっくりと響くその問いかけ。
「キャリア、恋愛、家族、自分自身……
あなたが本当に大切にしたいものを、今一度、考えてみてください」
目の前のノートに、“一番大切なもの”と書かれた文字がある。
それを見つめながら、私はまだ何も書けずにいた。
(私は……何を、一番にして生きてきたんだろう)
社会に出て十数年。
必死で仕事をしてきた。
誰よりも早く出社し、誰よりも準備を整え、
クライアントには一切のミスを見せないように、完璧であろうとした。
そうやって積み上げた信頼と、いくつかの表彰と、
そして、“美園麗華はしっかりしている”というラベル。
その一方で、恋愛はいつもどこか“後回し”だった。
好きになっても、時間を作れず、甘えられず、
結局、相手に「物足りない」と言われて終わってきた。
(でも、それって本当に……私が望んでいたことだったの?)
ペンを持つ指先に、少しだけ力が入る。
「悩んでます?」
隣に座る瀬戸幸輝が、声をかけてきた。
彼もまだノートに何も書いていないようだった。
「……ええ。たぶん、答えを決めるのが怖いのね」
「怖い?」
「どれかを“選ぶ”ってことは、他を“選ばない”ってことだから」
そう言った私に、彼は少しだけ考えてから、こう答えた。
「でも、誰かと一緒に生きていくって……
そういう“優先順位の変化”も受け入れるってことじゃないですか?」
「あなたは、どうなの?」
「僕は……ずっと、“選ばれる側”でいたいと思ってたんです」
瀬戸くんは、少し遠くを見つめるように言った。
「年下ってだけで、軽く見られたり、“可愛い”って扱われたり。
それが悪いとは思わないけど、本音を言えば、僕は“誰かの一番になりたい”」
「……本音ね」
「だから、もし美園さんが“自分のため”に何かを選ぼうとしているなら、
その中に、僕がいてくれたら……嬉しいなって」
それは、重くもなく、押しつけでもなく、
ただ、静かでまっすぐな“希望”だった。
◆◇◆
セミナー後、私は初めて自分から声をかけた。
「少し、歩きましょうか」
「はい」
外に出ると、秋の夜風が頬を撫でた。
すこし冷たくて、でも心地いい空気。
繁華街から離れた並木道を、ゆっくりと並んで歩く。
「今日、答え……書けなかったの」
「え?」
「“一番大切なもの”。
正直、ずっと“仕事”がそうだと思ってた。
でも最近、わからなくなってきてるの」
「それは……美園さんの中で、変化が起きてるってことじゃないですか?」
私は、少しだけ立ち止まった。
木々の葉がさらさらと音を立て、街灯が彼の顔を柔らかく照らしていた。
「変わるのが、怖いの。
恋をしたら、仕事のペースが乱れるんじゃないかとか。
相手のために何かを犠牲にすることになるんじゃないかとか。
ううん……それ以前に、“相手にとって負担になるんじゃないか”って、考えてしまうの」
「そんなふうに思わせてたなら、僕のせいですね」
「……違う」
「違わないです。
美園さんが“自分より他人を優先する癖”を持ってること、ちゃんと知ってたのに、
僕……無意識に“またそれに甘えてた”のかもしれない」
私は、驚いて彼を見た。
「でも、僕はもう、守られるだけの側じゃいたくないんです。
あなたを守るために並んで歩くんじゃなくて、
“あなたと一緒に、ちゃんと並んでいたい”」
その言葉に、胸の奥がじわりと熱くなった。
「美園さん。
“誰かを好きになる”って、
“自分の優先順位が少しずつ変わっていく”ことだと思うんです。
でもそれは、失うことじゃなくて、
“誰かの隣に、今の自分ごと置く”ってことなんじゃないかなって」
言葉が、すっと胸に入ってきた。
まるで、ずっと自分に言いたかった言葉を、
彼が代わりに口にしてくれたみたいだった。
「……そんなの、ずるい」
「え?」
「優しくて、まっすぐで、
そんなこと言われたら……もう、逃げられないじゃない」
「じゃあ、逃げないでください」
彼の目は笑っていたけれど、
その奥には、たしかな覚悟があった。
月曜の夜が、こんなに特別になるなんて、
数週間前までは、想像もしなかった。
私は今、少しずつ変わっていく自分を、受け入れようとしている。
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