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第五話「眠れぬ夜の自分会議」
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時計の針が、深夜二時を回っていた。
寝室の明かりはとっくに消えていて、部屋の中は月明かりだけが淡く差し込んでいる。
小森紬は布団の中で天井を見上げながら、まったく眠れない自分を持て余していた。
(……また、眠れない)
枕の上でゆっくりと身じろぎをする。
隣の部屋からは、弟のいびきがかすかに聞こえてくる。
リビングでは父親が点けっぱなしにしていたテレビの音が漏れ、微かにバラエティ番組の笑い声が響いた。
それらすべてが、自分の現実の一部なのだと頭では理解している。
けれど、心のどこかでそれを“借り物”のように感じる瞬間がある。
(このベッドも、この制服も、この家族も……本当に“私のもの”なのかな)
布団の中で、自分の手のひらを見つめる。
高校生らしい、まだ骨ばった細い指。
爪には何も塗っていない。
でも、脳内にはちゃんとある――爪の形に合わせたネイルの色味、手を美しく見せる指輪のつけ方、手首の角度すら。
それは、前世――香坂結だったときに、何百回も撮影やステージで身につけた感覚だ。
(あのときは……こんな夜、何をしてたっけ)
記憶を手繰る。
ベッドの上で資料を読みながら、セリフを声に出して練習していた夜。
顔のむくみをとるため、保冷剤を頬に当てていた朝。
次の撮影のテーマカラーに合わせて、香水を変えることに神経を尖らせていた日々。
今とは、何もかもが違う。
(……でも、同じ“私”なんだよね)
そう思った瞬間、頭の中に言葉が響いた。
「ほんとにそう思ってる?」
それは、まるで“自分の中の自分”からの問いかけだった。
「……誰?」
「誰って、あんたでしょ。前の“私”――香坂結」
「……そんなわかりやすい声じゃなかったはず」
「まあ、脳内の演出ってことで。演技も含めて、あんたが得意だったやつ」
布団の中で、紬は苦笑した。
こんな真夜中に、自分の中で“自分と会話”している。
普通なら、ちょっと危ない子だ。
でも今の彼女には、これが一番必要な時間だった。
「……結、あなたは本当に、あのまま死んでよかったの?」
「死にたくなかったよ。全然。
やっと女優の仕事が来たのに。夢だったのに。
でも、もう身体が限界だった。目が霞んで、歩くのもしんどくて……声も出なかった」
「……私、あなたの代わりになれるかな」
「さあね。でも、私には“続き”が欲しかった。
だから、今ここにいるあんたに、私の“後悔”を乗っけたのかもね」
「ずるいよ」
「うん。めっちゃずるい。
でも、あんた……嫌がってないでしょ?
むしろ、楽しんでるじゃん。メイクも、所作も、見られることも」
「……それは」
反論しようとして、できなかった。
否定しようとした言葉が喉で詰まり、静かに胸に沈んでいく。
そう――楽しいのだ。
恐ろしいほどに。
目立つことが苦手だった“紬”のはずなのに、
人前で注目されることが怖くてたまらなかったはずなのに、
今は、教室で視線を浴びるのが、ほんの少しだけ心地いい。
メイクを工夫して、鏡を見る時間が、楽しい。
周囲の反応が変わっていくのが、嬉しい。
(……私、いつの間にか、こんなに前に出たがってたんだ)
「出たがり、じゃなくて、夢を見てる顔してたよ。
あの教室で、“女優になります”って言ったときの、あんたの顔。
あれ、たぶん“あたし”と同じ顔してた。あのときの、私と」
紬の喉が詰まる。
思い出す。
教室で、無意識に発したあの言葉。
「女優になりたい」
誰にも相談せず、計画もなく、ただ“そうしたい”という衝動だけで発したあの宣言。
あのときから、なにかがもう止まらなくなっている。
「……ねぇ、“私”はここで終わった。
でも“あんた”には、まだ続きがある。
だったら、やればいいんじゃない? 私の分まで、なんて言わない。
でも、あんた自身の夢として、“やってみたい”って思ったならさ」
紬は、そっと目を閉じた。
暗闇の中に、ランウェイのライトが見える。
フラッシュの嵐。
監督の指示。
セリフの練習。
カメラの向こうにいる、何万人という観客。
それらが、脳内で蘇る。
そして――
「……私、やってみたい」
ぽつりと、呟いた。
「“香坂結の続き”じゃなくて、“小森紬の夢”として。
もう一度、今度こそ、ちゃんと最後まで……やってみたい」
それは、自分への決意表明だった。
静かな部屋。
布団の中。
誰にも聞かれない、けれど確かな“第一歩”。
目を閉じたまま、紬は深く息を吸った。
(明日から、変わる。もっと、変わっていく)
そう心に刻んで、ようやく眠りについた。
◆◇◆
その朝。
紬は早起きして、鏡の前に立った。
顔を洗い、化粧水を肌に染み込ませ、軽くBBクリームを伸ばす。
目元には少しだけブラウンのアイラインを引き、
リップは血色感のあるローズカラー。
制服のリボンは丁寧に整え、髪はアイロンで軽く内巻きに。
まるで、撮影前のルーティンのように一連の動作を済ませると、最後に鏡の自分に向かってこう言った。
「おはよう。……自称25歳、今日もよろしく」
寝室の明かりはとっくに消えていて、部屋の中は月明かりだけが淡く差し込んでいる。
小森紬は布団の中で天井を見上げながら、まったく眠れない自分を持て余していた。
(……また、眠れない)
枕の上でゆっくりと身じろぎをする。
隣の部屋からは、弟のいびきがかすかに聞こえてくる。
リビングでは父親が点けっぱなしにしていたテレビの音が漏れ、微かにバラエティ番組の笑い声が響いた。
それらすべてが、自分の現実の一部なのだと頭では理解している。
けれど、心のどこかでそれを“借り物”のように感じる瞬間がある。
(このベッドも、この制服も、この家族も……本当に“私のもの”なのかな)
布団の中で、自分の手のひらを見つめる。
高校生らしい、まだ骨ばった細い指。
爪には何も塗っていない。
でも、脳内にはちゃんとある――爪の形に合わせたネイルの色味、手を美しく見せる指輪のつけ方、手首の角度すら。
それは、前世――香坂結だったときに、何百回も撮影やステージで身につけた感覚だ。
(あのときは……こんな夜、何をしてたっけ)
記憶を手繰る。
ベッドの上で資料を読みながら、セリフを声に出して練習していた夜。
顔のむくみをとるため、保冷剤を頬に当てていた朝。
次の撮影のテーマカラーに合わせて、香水を変えることに神経を尖らせていた日々。
今とは、何もかもが違う。
(……でも、同じ“私”なんだよね)
そう思った瞬間、頭の中に言葉が響いた。
「ほんとにそう思ってる?」
それは、まるで“自分の中の自分”からの問いかけだった。
「……誰?」
「誰って、あんたでしょ。前の“私”――香坂結」
「……そんなわかりやすい声じゃなかったはず」
「まあ、脳内の演出ってことで。演技も含めて、あんたが得意だったやつ」
布団の中で、紬は苦笑した。
こんな真夜中に、自分の中で“自分と会話”している。
普通なら、ちょっと危ない子だ。
でも今の彼女には、これが一番必要な時間だった。
「……結、あなたは本当に、あのまま死んでよかったの?」
「死にたくなかったよ。全然。
やっと女優の仕事が来たのに。夢だったのに。
でも、もう身体が限界だった。目が霞んで、歩くのもしんどくて……声も出なかった」
「……私、あなたの代わりになれるかな」
「さあね。でも、私には“続き”が欲しかった。
だから、今ここにいるあんたに、私の“後悔”を乗っけたのかもね」
「ずるいよ」
「うん。めっちゃずるい。
でも、あんた……嫌がってないでしょ?
むしろ、楽しんでるじゃん。メイクも、所作も、見られることも」
「……それは」
反論しようとして、できなかった。
否定しようとした言葉が喉で詰まり、静かに胸に沈んでいく。
そう――楽しいのだ。
恐ろしいほどに。
目立つことが苦手だった“紬”のはずなのに、
人前で注目されることが怖くてたまらなかったはずなのに、
今は、教室で視線を浴びるのが、ほんの少しだけ心地いい。
メイクを工夫して、鏡を見る時間が、楽しい。
周囲の反応が変わっていくのが、嬉しい。
(……私、いつの間にか、こんなに前に出たがってたんだ)
「出たがり、じゃなくて、夢を見てる顔してたよ。
あの教室で、“女優になります”って言ったときの、あんたの顔。
あれ、たぶん“あたし”と同じ顔してた。あのときの、私と」
紬の喉が詰まる。
思い出す。
教室で、無意識に発したあの言葉。
「女優になりたい」
誰にも相談せず、計画もなく、ただ“そうしたい”という衝動だけで発したあの宣言。
あのときから、なにかがもう止まらなくなっている。
「……ねぇ、“私”はここで終わった。
でも“あんた”には、まだ続きがある。
だったら、やればいいんじゃない? 私の分まで、なんて言わない。
でも、あんた自身の夢として、“やってみたい”って思ったならさ」
紬は、そっと目を閉じた。
暗闇の中に、ランウェイのライトが見える。
フラッシュの嵐。
監督の指示。
セリフの練習。
カメラの向こうにいる、何万人という観客。
それらが、脳内で蘇る。
そして――
「……私、やってみたい」
ぽつりと、呟いた。
「“香坂結の続き”じゃなくて、“小森紬の夢”として。
もう一度、今度こそ、ちゃんと最後まで……やってみたい」
それは、自分への決意表明だった。
静かな部屋。
布団の中。
誰にも聞かれない、けれど確かな“第一歩”。
目を閉じたまま、紬は深く息を吸った。
(明日から、変わる。もっと、変わっていく)
そう心に刻んで、ようやく眠りについた。
◆◇◆
その朝。
紬は早起きして、鏡の前に立った。
顔を洗い、化粧水を肌に染み込ませ、軽くBBクリームを伸ばす。
目元には少しだけブラウンのアイラインを引き、
リップは血色感のあるローズカラー。
制服のリボンは丁寧に整え、髪はアイロンで軽く内巻きに。
まるで、撮影前のルーティンのように一連の動作を済ませると、最後に鏡の自分に向かってこう言った。
「おはよう。……自称25歳、今日もよろしく」
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